第九十六話 信じるということ
玉座の間には、先ほどまでとは少し違う静けさが流れていた。
宝石、採掘場、魔族の命。
そして、海底の民。
これまで知らなかった多くの真実を知り、ユーリはしばらく何も言えずにいた。
自分がこれまで商売道具として扱ってきた宝石が、魔族にとって命を繋ぐために欠かすことのできないものだったこと。
採掘場が単なる産業の中心ではなく、遠く離れた土地で暮らす魔族たちの命まで支えていること。
そして、その採掘場では魔族自身が働くことが出来ない。
ユーリはゆっくりと顔を上げると、玉座に座るナタージャとその傍らに立つユリウスを見た。
「では、採掘場を失くすことは出来ないんですね」
「うむ」
ナタージャは静かに頷く。
「宝石が途絶えれば、いずれ多くの魔族が再び魔力を失い、短い生涯を終えることになるじゃろう」
ユリウスも重い表情で続ける。
「採掘場を閉じるという選択肢だけは取れない」
「だが、人間を奴隷として働かせ続けることも、もう出来ん」
ユーリは目を伏せる。
採掘場。
そこにいたレン。
首輪。
汗に濡れた服。
疲れた顔。
それでも、自分へ笑い掛けてくれた青年。
あの場所を思い出す。
奴隷制度を終わらせる、それだけなら簡単だったのかもしれない。
全員を解放して採掘場を閉じる。
けれどその先で、多くの魔族が命を失う。
反対に。
魔族を生かすためだと言って、今まで通り人間へ採掘を押し付けるなら何も変わらない。
ユーリはゆっくりと息を吐いた。
「……採掘場にいる人たちへ」
静かな声。
ユリウスがユーリを見る。
「全部、話すのはどうでしょう」
玉座の間に沈黙が落ちる。
ユリウスの眉が僅かに動いた。
「全部、とは」
「宝石が魔族の命を支えていることです」
「どうして採掘場を失くせないのか」
「どうして魔族ではなく、人間の力が必要なのか」
「全部です」
ユリウスはすぐには答えなかった。
やがて。
低い声で言う。
「危険だ」
ユーリは黙って聞く。
「この秘密は長い間、ごく僅かな者だけが知るものだった」
「もし人間たちが真実を知り、採掘を拒んだらどうする」
「宝石を運ぶ商人たちが、魔族のために働くことを拒めば」
「その時、困るのは南方領だけではない」
「魔族全体だ」
その言葉は、脅しではなかった。
ユリウスは本当に恐れている。
これまで守ってきた多くの命が、一つの選択によって失われることを。
ユーリにも、それは分かった。
だから少しだけ考える。
答えに迷いがなかった訳ではない。
それでも脳裏に浮かんだのは、赤い髪の少年だった。
ラグナ。
魔族の村で出会う魔族たちも。
海底神殿でライカと出会った時も。
相手が自分を受け入れてくれる保証など、どこにもなかった。
それでもラグナは手を伸ばした。
ユーリは静かに顔を上げる。
「保証はありません」
ユリウスが目を細める。
「でも」
ユーリは続けた。
「ラグナたちは」
「何も保証なんてないまま、魔族を信じました」
ユリウスは何も言わない。
ナタージャの口元が僅かに緩んだ。
「魔族の村へ行った時も」
「ライカ様と出会った時も」
「僕と出会った時だって」
「相手が自分たちを受け入れてくれる保証なんてなかったと思います」
「それでもラグナたちは、話そうとした」
「知ろうとした」
「信じようとした」
ユーリは自分の胸元へ手を当てる。
「僕は、それで変わることが出来ました」
「だから今度は僕たちが、人間を信じる番なんじゃないでしょうか」
静かな言葉。
けれど、その一つ一つに。
ユーリがここまで歩いてきた時間が込められていた。
ユリウスは目を閉じる。
長い沈黙。
遠い昔、砂漠で座り俯いていた一人の少年は名前も帰る場所も、何も持っていなかった。
それでも自分は手を差し伸べた。
あの少年が、いつか自分を裏切らない保証などなかった。
人間だから危険だと言われることもあった。
それでも信じた。
名前を与え、食事を与え、学ぶ場所を与え。
息子のように育てた。
その子が。
今。
自分の前で、人間を信じようと言っている。
ユリウスはゆっくりと目を開いた。
「……そうだったな」
ユーリが僅かに首を傾げる。
「私も」
ユリウスは小さく笑う。
「何の保証もないまま、お前を信じたのだった」
ユーリは目を見開いた。
その表情が少しずつ柔らかくなる。
ナタージャは二人の様子を見つめながら、何も言わない。
ただ、どこか満足そうだった。
ユリウスは深く息を吐く。
「話そう」
「採掘場の者たちへ」
「全てを」
「その上で協力してくれる者へ、正当な報酬を支払う」
「奴隷としてではなく、この街を共に支える者として」
ユーリは静かに頷く。
「はい」
「僕も一緒に話します」
ユリウスも頷いた。
「頼む」
その一言は、領主が従者へ命じる声ではなかった。
一人の父が。
息子へ未来を託すような声だった。
ナタージャはそこでようやく口を開く。
「ふふ」
二人が振り返る。
「良い答えを出したのぅ」
「ですが」
ユーリが少し困ったように笑う。
「本当に上手くいくかどうかは、まだ分かりません」
「それでよい」
ナタージャは穏やかに言う。
「未来など、誰にも分からぬ」
「それでも進むからこそ、道になるのじゃ」
ユーリはその言葉を胸の中で繰り返した。
道。
自分がこれから進む道。
まだどこへ続いているのかは分からない。
けれど、以前より少しだけ前を見ることが出来る気がした。
話を終えユリウスが深く頭を下げる。
「魔王様」
「貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」
「うむ」
「気を付けて帰るのじゃ」
ユリウスが踵を返す。
ユーリも一礼し、その後へ続いた。
大きな扉へ向かう。
その時だった。
「ユーリ」
背後からのナタージャの声に、ユーリは足を止め振り返った。
ナタージャは玉座に座ったまま。
楽しげな目を向けている。
「お主が、自身の行く道を決めた時」
少しだけ間を置く。
「その時は」
「お主に飛竜を一頭やろう」
ユーリは思わず目を瞬かせた。
「……飛竜を?」
なぜ。
そんなものを自分へ。
領主でもなく魔族でもない、ただの人間である自分へ。
意味が分からなかった。
隣のユリウスも僅かに驚いたようにナタージャを見る。
けれど、ナタージャはそれ以上説明しなかった。
ただ静かに笑っている。
ユーリは少し迷ってから深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
今は、それしか言えなかった。
「うむ」
ナタージャは満足そうに頷く。
「また会おうぞ」
ユーリはもう一度頭を下げる。
そして今度こそ、玉座の間を後にした。
魔王城の外。
飛竜は変わらず二人を待っていた。
ユーリが首筋を撫でると飛竜は小さく喉を鳴らす。
ユリウスが先に背へ乗り、続いてユーリも乗り込んだ。
大きな翼が広がる。
一度。
二度。
力強く羽ばたく。
そして飛竜は大地を離れた。
魔王城が少しずつ遠ざかっていく。
眼下には広大な森。
遠くには砂漠へ続く大橋。
さらにその先。
自分たちの故郷、ユリウス領がある。
ユーリは前を見ながら先ほどのナタージャの言葉を思い返していた。
『お主が自身の行く道を決めた時』
自分の行く道。
それが何なのか、まだ分からない。
ユリウスの隣で領地を変えていくことなのか。
それとも別の何かなのか。
ユーリは空を見上げる。
青い空はどこまでも続いている。
ふと、ラグナたちと旅をした日々を思い出した。
草原で星々を眺めた夜。
荒れる海を眺める背。
谷底の村で赤い石を見るラグナの目。
魔物を追い払った後の満足げな姿。
笑い声。
困った顔。
驚いた顔。
誰かを助けるため、当たり前のように手を伸ばしていた彼ら。
ユーリは小さく笑う。
まだ答えは出ないけれど。
いつか自分自身で、その答えを選ぶ日が来るのだろう。
飛竜は大きく翼を広げる。
二人を乗せ南方の地へ向かって、広い空を真っ直ぐ飛んでいった。




