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第九十五話 循環の外にある命

 玉座の間には、しばらく静寂が流れていた。


 ユーリは胸の奥で何度も、ナタージャから聞いた話を反芻していた。


 魔物。


 宝石。


 魔族。


 そして再び魔物。


 終わることなく巡り続ける命。

 自分が商売道具として扱ってきた宝石が、魔族にとっては命そのものだった。


 その事実は、簡単には飲み込めるものではなかった。


「……だから」


 ユーリは静かに口を開いた。


「ユリウス領では、採掘場だけは残さなければならなかったんですね」


 ユリウスは頷く。


「その通りだ」


「宝石が途絶えれば、魔族たちの命は長く保てなくなる」


「採掘場は、この領地だけの問題ではない」


「魔族全体に関わる問題なのだ」


 ユーリは小さく息を吐いた。


 これまで自分は、採掘場を見ても疑問を抱かなかった。

 ただ、宝石を掘る場所だと思っていた。


 けれど今は違う。


 あそこは命を繋ぐ場所だった。


 ふと、別の疑問が浮かぶ。


「でしたら……」


「魔族の方々が採掘すればいいのではありませんか?」


「人間を働かせなくても済みます」


 その言葉に、ユリウスは僅かに目を伏せた。


 ナタージャが静かに頷く。


「それが出来れば」


「わらわ達も、とうの昔にそうしておる」


 玉座の間へ、穏やかな声が響く。


「どうしてもそれは出来ぬのだ」


 ユーリは首を傾げた。


「どうしてですか?」


 ナタージャはゆっくりと言葉を続ける。


「魔力は、少な過ぎても命を失う」


「されど」


「多ければ良いというものでもない」


「魔力とは命そのもの」


「均衡が崩れれば、身体もまた耐えられぬ」


 ユーリは静かに耳を傾ける。


「採掘場の地下には、長い年月をかけて蓄えられた魔力が眠っておる」


「鉱脈へ近付けば近付くほど」


「空気そのものが濃い魔力で満たされておるのじゃ」


「魔族が長く留まれば」


「その濃すぎる魔力を浴び続けることになる」


「やがて身体は均衡を失い命に関わる」


 ユーリは思わず目を見開いた。


「つまり……」


「宝石は命を救うけれど」


「掘り出す前の鉱脈は、魔族には危険なんですね」


「うむ」


 ナタージャは静かに頷いた。


「宝石一つに宿る魔力であれば身体は少しずつ取り込める」


「じゃが、鉱脈そのものは別じゃ」


「大河を一滴ずつ飲む者はおらぬであろう?」


「命を潤す水も一度に浴びれば人を押し流す」


「魔力も同じことじゃ」


 ユーリは小さく息を呑む。


 ようやく理解した。


 だから採掘場は、人間が掘るしかない。

 大量の宝石を運ぶのも、人間が担ってきた。


 それは、差別でも怠慢でもない。

 命を守るために選ばれた役割だった。


 ユリウスが静かに口を開く。


「だからこそ」


「人間へ全てを押し付け続けたことは、私の責任だ」


「役割は変えられなくとも扱いは変えられる」


「私は、それを怠ったのだ」


 その声には悔いが滲んでいた。


 ユーリは何も言わない。


 ただ、静かに頷いた。


 役割は変えられない。

 けれど、生き方は変えられる。

 それこそが、ラグナたちから教わったことだった。


 しばらくの沈黙が流れる。


 やがてユーリは、もう一つ気になっていたことを口にした。


「魔王様」


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「申してみよ」


「ライカ様の刻は……」


「宝石とは違うのですか?」


 その瞬間だった。


 ナタージャの表情が僅かに変わる。


 穏やかな眼差しのまま、少しだけ遠くを見るような顔になる。


「……違う」


 静かな一言だった。


「海底の民はわらわ達と同じ魔族ではある」


「じゃが」


「命の在り方が、全く異なる」


 ユーリは息を呑む。


 ユリウスも静かに耳を傾けていた。


「わらわもあの娘の存在を知ったのは、ごく最近のことじゃ」


「海底神殿、そして海底の民。」


「それらは長き時の中で歴史から消え」


「誰にも知られず生き続けておった」


 ナタージャは静かに続ける。


「あの娘は魔物にならぬ」


「宝石によって命を繋いでもおらぬ」


「食事も必要とせず水だけで生きていける」


 ユーリは驚きを隠せなかった。


 知れば知るほど、自分たちとは違う。


「そして」


 ナタージャはライカの胸元を思い浮かべるように、自らの胸へ手を添えた。


「あの娘が刻と呼ぶもの」


「あれこそが、あの娘たちの命じゃ」


「青白い雷の膨大な魔力をあの小さな刻が留めておる」


「刻なくして海底の民は生まれることすら出来ぬ」


 ユーリは自然と、ライカの姿を思い出していた。


 深海色の瞳。


 胸元の刻。


 雷。


 そして。


 何百年もの孤独。


 ナタージャは静かに首を振る。


「つまり」


「あの娘たちは」


「わらわ達、魔族とも違う」


「命の循環から外れた存在なのじゃ」


 玉座の間が静まり返る。


「魔物から生まれた命でもなければ」


「魔物へ還る命でもない」


「それが海底の民じゃ」


 ユーリは言葉を失った。


 断崖の村で出会った少女。


 皆と旅をして笑うようになった少女。


 あの少女は、命の循環から外れた世界で唯一の存在だった。


 ナタージャは穏やかに微笑む。


「だからこそ」


「あの娘が今も生きておったことは、わらわにとっても一つの奇跡じゃった」


 その言葉にユーリは静かに目を閉じる。


 ラグナが命懸けで守った理由。


 ユリウスが深海色の刻を返した理由。


 ライカが何百年も独りで生きてきた理由。


 その全てが、一本の線となって繋がった。


 玉座の間には、再び静かな時間が流れる。

 その静寂の中でユーリは胸の奥に、新たな決意が芽生えるのを感じていた。


 人間と魔族。

 そして、命の循環から外れた海底の民。


 それぞれが違う命を持ちながらも、共に生きられる世界。


 その未来を繋ぐ架け橋になりたい。


 その想いは、先ほどよりもずっと強く、ユーリの胸の中に根付いていた。

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