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第九十三話 魔王の招き

 ラグナたちがナタージャ領に足を踏み入れた頃。


 一頭の飛竜が、大空を力強く羽ばたいていた。

 その背には、二人の姿。


 南方領主ユリウスと、その傍らに座るユーリである。


 眼下には、広大な森がどこまでも続いていた。


 砂漠を越え、山々を越え。

 やがて森を抜けると、一際大きな黒い城が姿を現す。


 巨大な城壁。

 空へ突き立つような尖塔。

 それは、人間たちが畏れを込めて語る魔王城だった。


 飛竜はゆっくりと高度を下げる。

 城門の前へ降り立つと、静かに翼を畳んだ。


 目の前には、固く閉ざされた巨大な門。


 ユーリが思わず息を呑んだ、その時だった。


 重々しい音を立てながら、門がゆっくりと開いていく。

 まるで、二人が訪れた事を迎え入れるように。


「行こう」


 ユリウスが短く言う。


「はい」


 ユーリは小さく返事をし、その後ろへ続いた。


 門を潜ると、そこには広い中庭が広がっていた。


 左右へ整然と並ぶ魔族たち。

 皆、一様に鎧を纏い、槍や剣を携えている。


 その視線が、一斉にユーリへ向けられた。


 鋭い。


 刺すような視線だった。


 ユーリは自然と背筋を伸ばす。


(...見られている)


 人間。

 それだけで、この場所では異質な存在なのだろう。


 隣にユリウスがいなければ、きっと自分は城門を潜ることすら許されなかった。

 そんな思いが胸を過る。


 それでも、誰一人として武器を向ける者はいない。


 ユリウスの後ろを歩くユーリを見て、魔族たちは静かに道を開けていく。


 その姿に。


 ユリウスがこの国でどれほど信頼されているのかを、改めて実感した。


 城の中へ入る。


 長い廊下や、高い天井の黒い大理石を燭台の赤い火が照らし。

 壁には魔族の歴史を描いたような壁画が並び、赤い絨毯が真っ直ぐ奥へ続いていた。


 歩く度に足音が静かに響く。


 やがて。


 最奥の大扉へ辿り着く。


 左右に立っていた門衛が、深々と頭を下げた。


「魔王様がお待ちです」


 その言葉と共に、重厚な扉がゆっくりと開かれていく。


 玉座の間。


 その最奥。


 数段高くなった場所に置かれた玉座へ、一人の女性が静かに腰掛けていた。


 長い黒髪。

 落ち着いた紫色の瞳。

 黒く長い衣は、色とりどりの宝石が静かに輝いている。


 その姿は、威圧的というよりもどこか穏やかだった。

 そして、こちらを見る瞳にはどこか楽しげな色さえ浮かんでいる。


(……この人が)


 魔王ナタージャ。


 人間なら誰もが恐れる存在。


 けれど、実際に目の前へ立った今。

 ユーリが抱いた感情は恐怖ではなかった。


 不思議だった。


 まるで、昔から知っている誰かと向き合っているような。

 胸の奥が、少しだけ温かくなるような感覚。


 理由は分からない。


 それでも、自然と肩の力が抜けていく。


「遠方から苦労をかけたのぅ」


 ナタージャが柔らかな声で言う。


 ユリウスはその場で膝をつき、深く頭を下げた。


 ユーリもすぐ後ろで膝をつく。


「このユリウス、魔王様からのお呼び出しとあれば、何処へでも駆け付けますぞ」


 その声には、一切の迷いがなかった。


 敬意。


 忠誠。


 そして信頼。


 その全てが滲んでいる。


 ユーリは思わずユリウスを見た。


 旅の途中で見せていた領主としての顔とも違う。

 父として接してくれた時とも違う。

 まるで、一人の臣下として魔王へ忠誠を誓っている姿だった。


(本当に……尊敬しているんだ)


 その思いが自然と伝わってくる。


 ナタージャは満足そうに頷いた。


「楽にするとよい」


「はっ」


 ユリウスとユーリは立ち上がる。


 やがて話は、本題へ移った。


「南方領の様子はどうじゃ?」


「これより、奴隷制度の撤廃へ向けて準備を進めて参ります」


 ユリウスは落ち着いた声で報告を始める。


 奴隷市場の閉鎖。


 人間たちへの補償。


 住む場所の確保。


 新たな仕事の用意。


 一つ一つ、丁寧に説明していく。


 ナタージャも真剣な表情で耳を傾けていた。


 時折質問を挟みながら、改善案を話し合う。


 その姿は、領主と魔王というより。

 共に国をより良くしようと考える者同士の話し合いのようだった。


 ユーリは少し後ろで、その様子を静かに見守っていた。


 やがて、話題が採掘場へ移ると空気が変わった。

 先程までの穏やかな雰囲気とは違う。


 二人とも表情が引き締まる。


「採掘場の人員はどうする」


「人間に頼り切る訳には参りません、ですが急に止める訳にも……」


「うむ」


 短い言葉。


 それでも。


 互いに深刻さを理解していることが伝わってくる。


 ユーリは不思議だった。


(そんなに重要なんだ……)


 宝石。


 採掘場。


 今まで、ただ装飾品を採る場所だと思っていた。

 もちろん産業として必要なのは分かる。


 だが、奴隷制度の話以上に真剣な表情を見せる二人を見ていると。

 それだけではない気がした。


 気付けば、口が動いていた。


「あの……」


 二人の視線がユーリへ向く。


「採掘場ってそんなに大切なんですか?」


「宝石は……ただの装飾品じゃ、ないんですか?」


 静かな沈黙が流れた。


 ユリウスが口を開く。


「ユーリ、それは──」


 そこまで知る必要はない。


 そう言いかけた、その時だった。


「よい」


 ナタージャが穏やかに手を上げる。


 ユリウスは言葉を止めた。


 ナタージャはユーリを見つめる。


「お主も知っておいて良いじゃろう」


「しかし……」


 ユリウスは僅かに表情を曇らせた。


「宝石のことは、ほとんどの魔族すら知りません」


「知ることを許されているのは、魔王様と、北方・南方の領主のみ」


「本当に……人間であるユーリへお教えしてもよろしいのでしょうか」


 玉座の間は静まり返る。


 ナタージャはしばらく黙っていた。


 やがて、ふっと口元を緩める。


 それはどこか楽しそうな笑みだった。


「その者は」


 ゆっくりと。


 ユーリへ視線を向ける。


「人間と魔族の架け橋、なのじゃろう?」


 その言葉を聞いた瞬間。


 ユーリは思わず目を見開いた。


『君には、人間と魔族を繋ぐ架け橋になって欲しい』


 以前、ユリウスから掛けられた言葉が脳裏を過る。

 あの時は遠い未来の理想だと思っていた。


 けれど今。


 魔王までもが同じ言葉を口にした。


 思わずユリウスを見る。


 ユリウスは一瞬だけ目を閉じる。

 静かに息を吐くと、迷いを振り払うように顔を上げた。


「……はい」


「魔王様の仰る通りです」


 その言葉に、ユーリは少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。


 まだ、自分はそんな大それた存在ではない。

 そう思っている。


 それでも、父と慕う人が迷いの末に、自分をそう認めてくれたことが。

 胸の奥を温かく満たしていた。


 ナタージャは満足そうに頷く。


 そして、静かに玉座へ座り直した。


「ならば」


 紫色の瞳が、真っ直ぐユーリを見つめる。


「お主に教えよう」


 一拍置いて。


 静かな声が玉座の間へ響いた。


「採掘場と宝石」


「そして、魔族たちの秘密をな」


挿絵(By みてみん)

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