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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第六章 ユリウス領
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第八十九話 それぞれの道

 翌朝、一行は支度を終えてオアシス都市から出た小高い砂丘にいた。

 そこから見える空は、どこまでも青く広がっていた。


 昨夜まで吹いていた風も弱まり。朝の光が砂漠を照らしている。


 街を囲む高い壁。

 その向こうから聞こえてくる人々の声。

 いつもと変わらない朝だった。


 けれど、ユーリには少しだけ違って見えた。


 街の入口を行き交う人々。

 荷物を運ぶ人間、それを指示する魔族。

 遠くに見える宝石商。


 そして、街のさらに奥にある採掘場。


 何も変わっていない。


 昨日までと同じ景色。


 奴隷市場も、採掘場も、人間と魔族の関係も。

 たった一晩で何かが変わるはずもない。


 それでも。


「戻ったら」


 ユリウスが呟いた。


 ユーリは隣を見る。


 ユリウスは街を見つめていた。

 長い間、自分が治めてきた街。


 その表情は、いつもより少しだけ険しい。


「やることが山ほどあるな」


 ユーリは目を細める。


 以前ならユリウスの言葉を待った。

 命令を受け、それに従った。


 けれど、今は。


「はい」


 ユーリも同じ街を見る。


「一つずつ変えていきましょう」


 ユリウスがユーリを見る。

 そして、小さく笑った。


「ああ」


 それだけだった。


 領主と従者。


 その関係はまだ変わっていない。

 けれど、これまでとは確かに違っていた。



 一方でラグナ達。


 セリナはエルの隣に立ち、大きな赤いリボンを揺らしながら不思議そうに街の外を眺めている。


「おかあさんのところ、帰れる?」


 ラグナは頷いた。


「おう」


「ちゃんと帰れるぞ」


 セリナの表情が明るくなる。


「ほんと!?」


「ああ」


 ラグナは笑う。

 その様子を、ライカが静かに見つめていた。


 帰る場所。


 その言葉を聞くたび、以前なら胸の奥が少しだけ痛んだ。

 自分には帰る場所などないと思っていた。


 海底神殿は誰もいない場所。

 忘れ去られた場所。


 けれど今は違う。

 あそこには、リリアナが残してくれたものがある。


 自分が帰ってくることを、最後まで願ってくれた人がいた。


 ライカは胸元へ触れる。

 深海色の刻。


 そして、ほんの少しだけ微笑んだ。



 その時ユーリがふと振り返った。

 遠く、街の入口から少し出た所に一人の姿があった。


 レンだった。


 こちらへ近付いてくることはない。

 ただ、ユリウスとユーリへ向かって深く頭を下げる。


 主人を見送る従者として。

 それが、この街では当たり前の距離だった。


 ユーリは黙ってその姿を見つめる。


 採掘場で感じた距離を思い出す。


 すぐ近くにいた。

 ずっと近くにいたはずなのに。

 自分は、レンのことを何も知らなかった。


 好きなものも。

 嫌いなものも。

 何を考えているのかも。


 そして、自分たちが友達なのかどうかさえ。

 聞くことが出来なかった。


 やがて、レンが顔を上げる。


 遠く。


 視線が重なった。


 ユーリは、いつものように笑った。

 そして軽く手を振る。


 レンも小さく笑ったように見えた。


 声が届く距離ではない。


 だから。


 ユーリは誰にも聞こえないほどの声で呟いた。


「……帰ったら話そう」


 何を話すのか、まだ決めていない。

 何から聞けばいいのかも分からない。


 それでも、今度は見ないふりをしたくなかった。


 ユーリは前を向く。

 その表情は少しだけ晴れやかだった。


「では」


 ユーリは懐へ手を伸ばす。

 取り出したのは、一本の笛。


 魔笛。


 ユーリは静かに息を吸い込む。

 そして、笛へ息を吹き込んだ。


 澄んだ音色が砂漠へ響き渡る。


 高く。


 遠く。


 風に乗り、どこまでも広がっていく。


 ラグナたちはその音を黙って聞いていた。


 しばらくして。



 ――グオォォォォッ!!


 大気を震わせる咆哮。


「な、なんだ!?」


 ラグナが顔を上げる。


 遥か彼方、青い空に一つの影。

 それは見る見るうちに大きくなっていく。


 巨大な翼。


 長い尾。


 鋭い爪。


 飛竜が、砂煙を巻き上げながら舞い降りた。


「うわっ!」


 エルが髪を押さえる。


 マントが大きく靡く。


 リオンも腕で顔を覆いながら、思わず息を呑んだ。


「飛竜……」


「初めて見た……」


 ルミナスは、興味深そうに飛竜を見上げている。


「大きいですね」


「感想それだけ!?」


 エルが思わず振り返った。


 飛竜はゆっくり翼を畳む。


 そして、ユーリを見つけるとその前まで歩いてきた。

 大きな頭を少しだけ下げる。


 喉の奥から低い音が鳴った。


 ユーリは、慣れた様子でその首筋へ手を伸ばす。


「迎えに来てくれてありがとう」


 飛竜は気持ち良さそうに目を細めた。


 ラグナは、飛竜とユーリを交互に見る。


「これで魔王城まで行くのか?」


「うん」


 ユーリは頷く。


「領主様が長距離を移動する時に使う飛竜なんだ」


「これなら魔王城までかなり早く着けるよ」


「へぇ……」


 ラグナは素直に感心する。


 その隣。


 エルの目は飛竜へ釘付けだった。


「ねぇ!」


 嫌な予感がしたのか、ユーリが僅かに眉を上げる。


「……なに?」


「一回だけ乗ってみたい!」


「やっぱり」


 エルは飛竜へ近付こうとする。


「ちょっとだけ!」


「ほんのちょっとでいいから!」


 ユーリは苦笑する。


「ごめんね」


「領主様が乗る飛竜だから」


「そっかぁ……」


 エルの肩が落ちる。


「残念……」


 その姿を、飛竜が不思議そうに見つめていた。

 首を傾げる。


「ほら!」


「この子も乗っていいって言ってる!」


「言ってないと思うよ」


 リオンが苦笑する。


 ラグナも笑った。


「またいつかな」


 エルは顔を上げる。


「うん!」


 すぐにいつもの笑顔へ戻った。

 その様子を見ながら、ユーリも笑っていた。


「そういえば」


 ラグナが、砂漠の向こうへ視線を向ける。


「俺たちはどうするかな」


 地平線。


 どこまでも続く砂。


「ナタージャ領まで戻らないといけねぇし」


「セリナを村まで送らないとな」


「……迷子にならない?」


 セリナが不安そうに聞く。


「それは……」


 ラグナが言葉に詰まる。


 その時だった。


 ふわり、と淡い光。


 皆が振り返る。

 ルミナスの胸元の、魔王の紋章が紫色に輝いていた。


「……?」


 ルミナスは胸元へ手を当てる。


 光はゆっくりと伸びる。

 一本の線となって、砂漠の彼方を真っ直ぐ指した。


「これは……」


 リオンが目を見開く。


 ユーリは、すぐに懐から方位磁石を取り出した。

 方角を確認する。

 何度か、光と方位磁石を見比べる。


 そして思わず笑った。


「ナタージャ領だ」


「本当か?」


「うん」


 ユーリは方位磁石を見せる。


「ぴったり一致してる」


 ラグナは頭を掻いた。

 そして、苦笑しながら空を見上げる。


「あの魔王は……」


 一度、言葉を止める。


「本当にどこまで見えてるんだ?」


 エルが笑う。


「全部だったりして!」


「……あり得そうなのが怖いね」


 リオンも笑った。


 ルミナスだけが、不思議そうに自分の胸元を見ていた。


「私たちに帰ってきてほしいのでしょうか」


 ラグナは、少し考えて笑った。


「そうかもな」


 これなら迷うことはない。

 進むべき道は、もう示されている。


 ユリウスが飛竜へ乗り込む。


 ユーリは飛竜へ乗り込む前に、ラグナたちの方へ向き直る。


 最初に口を開いたのは、リオンだった。


「ユーリ」


「はい」


「また会った時は」


 リオンは少し笑う。


「今度は怪我人としてじゃなく会いたいね」


 ユーリも笑った。


「それは僕もそう願うよ」


 エルが手を上げる。


「次に会った時は飛竜乗せてね!」


「まだ諦めてなかったんだ……」


 ユーリは呆れたように笑う。


「覚えておくよ」


「約束だからね!」


「約束はしてないよ」


 皆から小さな笑い声が漏れた。


 ルミナスは。


 真っ直ぐユーリを見る。


「ユーリ」


「ありがとうございました」


 ユーリは一瞬、目を丸くする。


 そして。


 穏やかに頷いた。


「こちらこそ」


「ありがとうございました」


 それから。


 ライカが一歩前へ出た。


 ユーリを見る深海色の瞳。


「ユーリ」


「はい」


 少しだけ間を置いて。


「ありがとう」


 たった一言。


 けれど、ユーリにはそれで十分だった。


 柔らかく微笑む。


「あなたの変化に」


「突き動かされたのは、僕の方ですよ」


 ライカが首を傾げる。


「……わたし?」


「はい」


 ユーリは迷いなく頷く。


 白い魔族。

 何も知らず、何も信じられず。

 それでも、少しずつ外の世界へ手を伸ばした少女。


 変わることが出来る。

 それを、ライカが教えてくれた。


「出会えて」


「本当に良かった」


 ライカは少しだけ考える。


 そして、照れくさそうに。


 小さく笑った。


「……うん」


 ユーリも笑う。


 最後に。


 ラグナとユーリの視線が重なった。


「それじゃあ」


 ユーリが言う。


「お別れだね」


 ラグナは笑った。


「そうだな」


 それだけ。


 けれど、少ししてラグナは空を見上げた。


 そしてもう一度。


 ユーリを見る。


 その顔には、どこか安心させるような穏やかな笑顔が浮かんでいた。


「けど」


 ユーリは黙って聞く。


「お前とは」


「また会える気がする」


 約束ではない。

 何の根拠もない。


 いつになるのかも、どこで会うのかも。


 何一つ分からない。


 それなのに、ラグナは本当にそう思っているようだった。


 ユーリはしばらくその顔を見つめる。

 そして、困ったように笑った。


「……君には敵わないよ」


 ラグナも笑う。


 ユーリは小さく息を吐いた。


 それから、彼らに背を向け飛竜に乗りながら。


 誰にも聞こえないほど、小さな声で。


「……ありがとう」


 呟いた。


「皆さん」


 ユーリが大きく手を振る。


「お元気で!」


 飛竜が翼を広げる。

 大きく、羽ばたいた。


 砂煙が舞い上がる。


 セリナが、慌ててライカの後ろへ隠れた。


 そして、もう一度。

 巨大な翼が風を掴む。


 飛竜の身体が、宙へ浮かぶ。


 高く。


 さらに高く。


 青い空へ。


 ユリウスとユーリを乗せた飛竜は。

 魔王城へ向かって飛んでいく。


 ラグナたちは、その姿を見送っていた。

 誰もすぐには歩き出さなかった。


 やがて。


 飛竜は小さな影になる。

 そして、青い空の彼方へ消えていった。


 セリナが空を見上げたまま聞く。


「ユーリ」


「行っちゃったの?」


「ああ」


 ラグナは答える。


 セリナは少し寂しそうに俯く。


「もう会えない?」


 ラグナは、笑った。


「また会えるさ」


 迷いのない声。

 ユーリへ言った言葉と同じ。


 セリナは顔を上げる。


「ほんと?」


「おう」


「そっか!」


 セリナは笑った。


「さて」


 ラグナは砂漠の向こうを見る。


 ルミナスの胸元、魔王の紋章は今も紫色の光を放っている。

 進むべき方向を真っ直ぐ指し示していた。


「俺たちも行くか」


「うん!」


 エルがハープを抱える。


 リオンも荷物を背負い直す。


 ルミナスは光の示す先へ歩き始める。

 その後をラグナたちが続いた。


 ぽろん。


 柔らかな音。


 エルの指がハープの弦を弾く。

 砂漠へ、音色が広がっていく。


 それは、別れを惜しむような悲しい曲ではなかった。


 これから始まる旅を、少しだけ楽しみにするようなそんな音だった。


 セリナはその音を聞きながら歩く。

 そして、隣を歩いていたライカへそっと手を伸ばした。


 小さな手がライカの手を握る。


「……?」


 ライカは驚いて。


 セリナを見る。


 セリナは何でもないことのように笑っていた。


 ライカは、握られた手を見る。

 振りほどかない。


 そのまま、小さな手を優しく握り返した。


 砂漠の上にいくつもの足跡が続いていく。



 海底神殿では、リリアナが残した刻が。

 ライカへ最後の想いを託した。


 オアシス都市では、見ないふりをしていた青年が。

 誰かを見ることを始めた。


 そして今。


 魔王の紋章が、ラグナたちを次の地へ導いている。


 道は、二つに分かれた。


 ユリウスとユーリは、魔王城へ。


 ラグナたちは、一人の少女を家族の元へ帰すためナタージャ領へ。


 それぞれ違う道を歩いていく。

 けれど、その先にあるものはきっと同じだった。


 過去から託された願いは、人から人へ。

 優しさから、次の優しさへ。


 少しずつ。


 少しずつ。


 未来を変え始めていた。


挿絵(By みてみん)

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