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第八話 守る理由

2026.10.06 改訂しました

 森は、昼だというのに薄暗かった。


 枝葉の隙間から差す光が、細い道に点々と落ちている。

 その上を踏みながら、エルは大事そうに包みを抱え直した。


「ねえ、朝のジャムパン、どうだった?」


「美味かったぞ」


 ラグナが答えると、エルは嬉しそうに振り返った。


「でしょ! 村を出る前に作ったジャム、すっごくいい出来だったの!」


「ちょっと酸っぱいところも、おいしかったね」


 リオンの言葉に、エルが大きく頷く。


「そう、それ! 甘いだけじゃ駄目なのよ。パンと一緒に食べたときに、ちょうどよくなるんだから」


 包みの中には、残りのパンが入っていた。

 布の隙間から漂う甘い匂いに、ラグナが目を向ける。


「まだあるんだよな?」


「あるけど、お昼の分!」


「もう昼だろ」


「さっき食べたばっかりじゃん!」


「……少し歩いたぞ」


 リオンが吹き出した。


「そんなにすぐ、お腹すくの?」


「話を聞いてたら、食いたくなったんだよ」


「ふふん。そこまで言われたら、また作るしかないね」


 エルは満足そうに包みを持ち上げた。


「次に落ち着いて料理できるところに着いたら、もっといっぱい作ろうかな」


「それは楽しみだな」


「食べすぎて歩けなくなっても、知らないからね?」


「そのときは休めばいいだろ」


「ラグナ、今度は休む方が目的になってない?」


 三人の笑い声が、木々の間を抜けていった。


 ラグナは道の先へ目を戻す。

 根の張り出した足元を確かめ、枝を避けた。


 そのとき。


「——助けて!」


 声がした。


 三人の足が止まる。


 ラグナは声のした方へ顔を向けた。

 短い悲鳴に、男の怒鳴り声が重なる。


「こっちだ!」


 地面を蹴る。

 リオンとエルも、その後を追った。


 道を外れ、茂みを抜ける。


 少し開けた場所に、倒れた木があった。

 その幹を背にして、少女が座り込んでいる。


 浅黒い肌。

 乱れた黒髪の間から、尖った耳が覗いていた。


 その前には、二人の男が立っている。

 一人は剣を持ち、もう一人はナイフを手に、少女の逃げ道を塞いでいた。


「手間かけさせやがって」


「傷は付けるなよ。売り物にならなくなる」


 少女が幹へ背を押しつけた。


 ラグナの足が、一瞬止まる。


 ——魔族。


 話に聞いたことはあっても、実際に見るのは初めてだった。


 人間とは違う存在。

 その言葉だけで、抜こうとした剣の柄を握る手が強張る。


「ラグナ……」


 追いついたリオンの声がした。

 エルも少女を見つめ、息を詰めている。


 少女がこちらを見た。


 助けを求めて開きかけた口が、閉じる。


 怯えた目は、男たちだけでなく、ラグナたちにも向けられていた。


 ナイフを持った男が、その腕を掴もうとする。


 少女は身を縮めた。

 もう、後ろへ逃げる場所はなかった。


「……やめろ」


 ラグナが踏み込んだ。


 男たちが振り返る。


「あ? なんだ、お前ら」


「その子から離れろ」


 剣を抜き、少女と男たちの間へ入ろうとする。


 剣を持った男が、行く手を塞いだ。


「見りゃ分かるだろ。魔族だぞ」


「聞こえなかったのか」


 ラグナは相手を見据えた。


「離れろって言ってるんだ」


 男の顔から笑いが消えた。


「邪魔すんな!」


 剣が振り下ろされる。


 ラグナは横へ踏み込み、その刃を弾いた。

 開いた胴へ蹴りを入れ、男を少女から引き離す。


 もう一人がナイフを突き出した。


 身体を捻ってかわす。

 刃が服の脇をかすめた。


「リオン、その子を!」


「うん!」


 ラグナが男の前へ出る間に、リオンは倒木の脇へ回り込んだ。


 少女の目の高さに屈む。


「こっちへ来られる?」


 差し出した手を、少女は見つめた。

 けれど、すぐには取らない。


 金属のぶつかる音に、肩が跳ねる。


「……少しだけ、場所を移そう。ここは危ないから」


 リオンが静かに言う。


 少女は迷いながら、その手を掴んだ。


 立ち上がるのを支え、倒木の陰へ導く。

 エルは二人が離れたのを確かめると、包みを木の根元へ置き、ハープを構えた。


 剣を持った男が、腹を押さえながら起き上がる。


 ラグナは二人を正面に捉え、じりじりと位置を変えた。

 少女たちの方へ行かせないように、剣先で牽制する。


「……エル、頼めるか」


「うん」


 弦が鳴った。


 澄んだ音に、男の一人が顔を向ける。


「何だ……?」


 歌声が重なった。


 木々の間へ、柔らかな旋律が広がっていく。


 男は顔をしかめ、再び剣を構えようとした。

 けれど、その腕が途中で止まる。


 瞼が重そうに下がった。


 首を振って踏ん張ろうとした身体が傾き、そのまま膝から崩れる。


 ナイフを持った男が、ぎょっとして仲間を見た。


「おい、何して——」


 その手から、ラグナがナイフを弾き落とした。


 男が拾おうと屈む。

 ラグナは腕を取り、地面へ押さえ込んだ。


「もうやめろ」


「わ、分かった! 降参だ!」


 抵抗していた肩から力が抜ける。


 ラグナはすぐには手を離さなかった。

 男の呼吸が深くなり、眠りに落ちたのを確かめてから、エルへ目を向けた。


 歌が止まる。


 森に残ったのは、三人の息遣いと、葉擦れの音だけだった。


 ラグナは落ちていた剣とナイフを拾い、男たちから離れた場所へ置いた。


 男の荷物には縄があった。

 二人の手を縛り、ほどけないことを確かめる。


 その間も、倒木の向こうから、少女がこちらを見ていた。


 ラグナが立ち上がると、その身体が強張った。


 自分の手にある剣へ気付き、ラグナは刃を収めた。


「……怪我、してないか?」


 少し離れたところから尋ねる。


 少女はすぐには答えなかった。


「足、痛む?」


 隣にいたリオンが、擦りむいた膝へ目を向ける。


 少女が小さく頷いた。


「手を当ててもいいかな。僕、傷を治せるんだ」


 少女はリオンの顔を見た。

 それから、おずおずと膝を前へ出す。


 リオンが手をかざした。


 胸元のロザリオに光が宿る。

 柔らかな温もりが、傷の上を包んだ。


 少女が目を見開く。


 痛みが引いたのか、自分の膝へそっと触れた。


「……もう、痛くない」


「よかった」


 リオンが微笑む。


 エルもハープを下ろし、少女のそばへ屈んだ。


「あたしはエル。こっちがリオンで、あそこにいるのがラグナ」


 順に指し示してから、少女を見る。


「名前、聞いてもいい?」


 少女は三人の顔を見回した。


「……ルナ」


「ルナね」


 エルが笑う。


 けれど、ルナの表情はまだ硬かった。

 治った膝を抱えるようにして、ラグナへ目を向ける。


「……どうして?」


「ん?」


「どうして、助けたの……?」


 ラグナが黙る。


 ルナは視線を落とした。


「わたし……魔族だよ」


 その言葉に、ラグナは先ほど足を止めた瞬間を思い出した。


 少女を見た。

 尖った耳に気付き、魔族だと思った。


 それだけで、助けようとしていた身体が止まった。


 ラグナは少し頭をかいてから、ルナの前に屈んだ。


「……魔族を見たの、初めてなんだ」


 ルナの指が、服の裾を握る。


「だから、正直びっくりした。どうしたらいいか、一瞬迷った」


 リオンもエルも、黙って聞いていた。


 ラグナはルナを見た。


「でも、お前、助けてって言っただろ」


 ルナが顔を上げる。


「逃げる場所もなくて、怖がってた。……そのまま見てるのは、嫌だったんだ」


「……それだけ?」


「ああ」


 ラグナが頷く。


「助ける理由は、それでいいだろ」


 ルナは何も言わなかった。


 ラグナの顔を見つめ、それからリオンへ目を向ける。


 リオンはゆっくりと頷いた。


「僕も、あのままにしておけなかったよ」


「あたしも」


 エルが続ける。


「知らないことはいっぱいあるけど、ルナが怖がってるのは分かったから」


 ルナは唇を結んだ。


 何か言おうとして、うまく言葉にならないようだった。


 エルは急かさず、立ち上がった。

 木の根元へ置いていた包みを拾い、ルナのもとへ戻る。


「ここから、少し離れよっか」


 眠っている男たちの方へ、一度だけ目を向ける。


「落ち着けるところで休もう。パンもあるし」


 差し出された手を、ルナが見た。


 すぐには動かなかった。

 けれど今度は、後ずさることもなかった。


 震える指が、ゆっくりと伸びる。


 エルの手に触れ、そっと握った。


「……うん」


 ラグナは立ち上がり、男たちがまだ眠っていることを確かめた。

 リオンが、ルナの歩く方へ回る。


 四人は、倒木のそばを離れた。


 ルナはまだ、時折後ろを振り返った。

 そのたびにエルも足を緩め、同じ速さで歩いた。


 繋いだ手は、離れなかった。


挿絵(By みてみん)

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