第九話 打ち解けあうもの
2026.10.06 改訂しました
木々の隙間から差す光が、少しずつ傾いていた。
しばらく歩いたところで、ラグナが足を止める。
道から少し外れた場所に、下草の少ない平らな地面があった。
近くからは、水の流れる音が聞こえる。
「今日は、この辺で休もうか」
ラグナが振り返ると、リオンが頷いた。
「うん。暗くなる前に準備できそうだね」
エルと手を繋いでいたルナも、立ち止まった。
治してもらった足に痛みはないようだったが、歩く速度は次第に落ちていた。
エルが荷物を下ろす。
「ルナ、ここに座ろ。いっぱい歩いたもんね」
倒れた幹の、土の付いていないところを手で払う。
ルナは促されるまま、そっと腰を下ろした。
「俺は水を汲んでくる」
ラグナが水袋を手に取った。
「僕は焚き木を集めるね」
リオンも荷物を置き、周囲の地面へ目を向ける。
「遠くまで行くなよ」
「うん。この辺で探す」
「じゃあ、あたしたちはお留守番ね」
エルがルナの隣へ座った。
ラグナは片手を上げ、水音のする方へ歩いていく。
リオンは少し離れた木の根元で、乾いた枝を拾い始めた。
声が途切れると、葉擦れの音がよく聞こえた。
ルナは膝の上で手を重ねていた。
ラグナの去った方を見て、それからリオンの姿を探す。
エルは急かさず、靴先についた土を落としていた。
「……あの」
「ん?」
ルナはエルを見上げた。
「二人と、一緒に行かなくていいの?」
「水汲みと枝拾い? あたしまで行ったら、ルナが一人になっちゃうじゃん」
「でも……」
ルナの指が、服の裾を握った。
「わたしと二人で、怖くないの?」
エルの足が止まる。
ルナは俯いた。
「わたし、魔族なのに」
エルは少し考えてから、ルナの方へ身体を向けた。
「……まだ、ルナのことはあんまり知らないよ」
ルナの肩が強張る。
「でも、さっき一緒に歩いたでしょ。手も繋いだし」
エルは自分の掌を開いた。
「その間、怖いことは何もなかったよ」
ルナが顔を上げた。
エルはいつもの調子で続ける。
「それより、ルナは? あたしと二人で平気?」
「……分かんない」
少し迷ってからの返事だった。
「まだ、ちょっと怖い」
「そっか」
エルは頷いた。
「じゃあ、ここに座ってよ。話したくなったら話せばいいし」
返事を求めることなく、足元へ目を戻す。
ルナはその横顔を見つめた。
しばらくして、木々の間から枝の折れる音がした。
ルナの身体がびくりと動く。
「リオンだよ」
エルが声をかけた。
見れば、少し離れたところでリオンがこちらを向いていた。
片腕には、拾った枝を抱えている。
「ごめん。びっくりさせた?」
ルナは首を横に振った。
リオンがほっとしたように笑い、また地面へ目を向ける。
「……あの人も、怖くないのかな」
「リオン?」
ルナが頷く。
「わたしに、触ってくれたから」
自分の膝へ、そっと手を置いた。
擦りむいた傷は、もう残っていなかった。
「あたしには、リオンが何を考えてたかまでは分かんないけど」
エルもその膝を見た。
「痛くなくなって、よかったって顔してたよね」
「……うん」
ルナはもう一度、リオンの方を見た。
今度は、すぐに目を逸らさなかった。
「戻ったぞ」
水袋を持ったラグナが、木々の間から現れた。
ルナの顔が上がる。
エルも片手を上げた。
「おかえり。近かった?」
「ああ。すぐそこに浅い流れがあった」
ラグナが荷物を下ろす頃、リオンも枝を抱えて戻ってきた。
「これくらいで足りるかな?」
「おう、助かる」
二人が地面へ枝を並べ始める。
ルナはその様子を見つめた。
やがて足元に落ちていた細い枝を拾い、膝の上で持て余すように回した。
リオンと目が合う。
「それも、もらっていい?」
ルナは少し驚いてから、枝を差し出した。
「……これでもいいの?」
「うん。細いのも使うから」
リオンが受け取り、集めた枝の上へ重ねる。
ルナは空になった手を見た。
それから、もう一本、足元の枝を拾った。
夜になると、森の奥はすっかり見えなくなった。
焚き火の届く範囲だけが明るい。
四人はその周りへ座り、パンや木の実を分けて食べた。
ルナは初め、渡されたパンを見つめていた。
エルが隣で同じものをかじると、ようやく口へ運んだ。
食事を終えても、誰もすぐには立たなかった。
リオンが水を飲み、ラグナが火の様子を見る。
ルナは膝を抱え、その向こうの暗がりへ時折目を向けていた。
遠くで何かが鳴いた。
ルナの指に力が入る。
「……ルナ」
隣から、エルが声をかけた。
「もう少し、こっちに座る?」
ルナは迷ってから、少しだけ近付いた。
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「……人間に見つかったら」
ルナが呟いた。
三人は黙って、続きを待った。
「ひどいことされるって、ずっと言われてたの」
膝を抱える腕が、強くなる。
「今日、あの人たちに見つかって……本当だったんだって思った」
リオンは手にしていた水袋を下ろした。
ラグナも火へ伸ばしかけた手を止める。
「……すごく、怖かった」
エルはゆっくりと頷いた。
「うん」
ルナの顔は俯いたままだった。
エルは少し待ってから、傍らのハープへ手を伸ばした。
「ねえ、少し弾いてもいい?」
ルナが顔を上げる。
「……さっきの?」
「そう。今度は、ゆっくり聴いてほしいな」
エルはハープを抱え、弦へ指を添えた。
ルナが頷く。
澄んだ音が、ひとつこぼれた。
続く音が、その余韻に重なる。
焚き火の弾ける音を縫うように、静かな旋律が流れ始めた。
エルが歌う。
昼間、男たちを眠らせたときの声を、ルナはほとんど覚えていなかった。
逃げることと、差し出された手を取ることだけで、精いっぱいだった。
今は、すぐ隣で聴こえる。
弦に触れる指。
歌の合間に、そっと息を吸う音。
ときどき目が合うと、エルは歌いながら少し笑った。
ルナの腕が緩んでいく。
リオンは目を細めて聴いていた。
ラグナは薪を一本くべると、静かに座り直した。
森の奥で、また何かが鳴いた。
ルナは顔を上げかけた。
けれど、隣の歌声へ耳を戻した。
最後の音が、ゆっくりと消える。
「……きれい」
ルナの口から、言葉がこぼれた。
エルの顔が明るくなる。
「ほんと?」
「うん」
「よかった」
ハープを抱えたまま、エルが笑った。
ルナも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
しばらく、四人は火を見ていた。
先ほどまでルナが抱えていた膝は、もう下ろされている。
両手を火の方へ向け、その温かさを確かめていた。
「……人間って」
ルナが口を開く。
「怖いだけじゃ、ないんだね」
ラグナはルナへ目を向けた。
昼間、倒木の前で震えていた姿を思い出す。
魔族だと気付いて足を止めた、自分のことも。
「……俺も、魔族のことはよく知らなかった」
ルナが顔を上げる。
「今日、初めて会って。こうやって一緒に飯食って、歌聴いて……」
ラグナは少し考えてから続けた。
「知らないままじゃ、分かんないことがあるんだな」
ルナはその顔を見つめた。
リオンも頷いた。
「ルナも、僕たちのこと、少しずつ知ってくれたら嬉しいな」
「あたしの歌が上手なのは、もう分かったでしょ?」
エルが得意げに言う。
リオンが笑った。
「うん。それは、僕たちもすぐ分かったね」
「パンのことも教えてやれよ」
ラグナが言うと、エルはぱっとルナへ向き直った。
「そうだ! あたし、ジャムも作るんだよ」
「……ジャム?」
「イチゴの。今度、ルナにも食べてほしいな」
ルナは少し迷ってから、小さく尋ねた。
「……甘い?」
「甘いよ。ちょっと酸っぱくて、パンに挟むとすっごくおいしいの」
ルナの視線が、食事に使った包みへ動く。
「……食べてみたい」
エルが嬉しそうに頷いた。
ラグナは火へ目を戻した。
リオンも笑いながら、空いた包みを畳み始める。
ルナはエルの隣で、もう一度、両手を火へかざした。
森の暗がりへ向けられていた目は、今はエルの話す顔を見ていた。




