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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第六章 ユリウス領
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第八十六話 覚悟の証

 乾いた風が、中庭を吹き抜け砂が舞い上がる。

 宮殿の壁に掲げられた黄色い旗が、大きくはためいた。


 その下で向かい合う者たち。


 ユリウスは長槍を手に立っている。


 黒い長髪が風に揺れる。

 浅黒い肌、長く尖った耳。

 そして胸元には、深海色の真珠が嵌め込まれたブローチ。


 その姿は堂々としていた。

 南方の地を治める領主。

 何百年と受け継がれてきた歴史。


 民、街、この砂漠で生きる者たちの暮らし。

 その全てを背負う者として、ユリウスはラグナたちの前に立っていた。


 手にした長槍をゆっくりと構える。

 穂先が陽光を反射した。

 そこに迷いはない。


「言葉だけでは証明出来ぬものもある」


 低い声が響く。


「お前たちの覚悟」


「私に示してみろ」


 ラグナは腰の剣を抜いた。

 まだ包帯の残る腕は握っただけでも、皮膚の奥に鈍い痛みが走る。

 けれど、手を緩めるつもりはなかった。


 隣ではルミナスも静かに剣を抜く。


 エルは背負っていた弓を手に取り、矢を番える。


 リオンは胸元のロザリオを握った。


 そして、ライカは胸元の刻へ触れる。

 深海色の真珠。

 淡い光。


 けれど。


 ライカは周囲を見回した。


 中庭、乾いた石畳、砂、壁。

 どこを見ても水がない。

 噴水も、川も、井戸も何もない。


 指先へ力を込める。

 水がなければ雷は届かない。


 わたしは何も出来ない。

 胸の奥に、冷たいものが広がる。


 ラグナたちは、自分のために戦おうとしている。


 自分が取り戻したいと願ったから。

 リリアナに会いたいと願ったから。

 それなのに、自分だけが何も出来ない。


 視線が落ちる。


 その時。


「ライカ」


 名前を呼ばれた。


 顔を上げると、こちらを見ていたラグナと目が合う。

 そして、まるで何も心配することなんてないと伝えるように穏やかに笑った。


 その笑顔はいつもと変わらない。

 これから強大な相手へ挑む者とは思えないほど、自然な笑顔。


「大丈夫だ」


 ライカは目を見開く。


 ラグナはそれ以上何も聞かなかった。

 何が出来るのか、何が出来ないのかそんなことを確かめようともしない。


 ただ。


「ライカはそこに居てくれ」


 それだけだった。


 胸の奥が、小さく揺れる。

 そこにいる。

 それだけでいい。


 以前なら、何も出来ない自分に耐えられず俯いていたかもしれない。

 海底神殿へ戻っていたかもしれない。


 けれど、今は見届けたい。

 リリアナのことを、自分たちの過去を。


 そして、この先の未来を。


 ライカは胸元の刻を握った。


 ゆっくり顔を上げる。


「……うん」


 ラグナは頷く。


 そしてユリウスへ向き直った。


「行くぞ」


 ユリウスは長槍を構え直す。


「来い」


 次の瞬間、砂が弾けた。

 ユリウスが一気に間合いを詰める。


 速い。


 ラグナが剣を構えた直後、長槍が振り下ろされた。

 金属同士が激しくぶつかる。

 甲高い音が中庭へ響いた。


「っ……!」


 ラグナの腕が沈む。


 重い。


 槍そのものが重いのではない。

 力、技術、経験。

 長い年月をかけて積み重ねてきたもの。


 その全てが、一撃に込められている。


 ラグナは歯を食いしばった。

 剣を押し返し、そのまま踏み込もうとする。


 だがユリウスは槍を引いた。


 一歩ラグナが追う。


 その瞬間、槍の石突が地面を擦るように跳ね上がった。


「っ!」


 咄嗟に身体を捻る。


 目の前を槍が通り過ぎた。


 風圧が頬を撫でる。

 あと僅かに遅ければまともに受けていた。


 ユリウスは止まらない。

 長い槍の間合いを活かし、ラグナを近付かせない。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 ラグナは受ける。


 避ける。


 踏み込む。

 けれど届かない。


「くそっ……!」


 剣を振るう。


 ユリウスは槍の柄で受け止める。


 そのまま捻る。


 ラグナの剣が弾かれた。


 腕へ衝撃が走る。

 包帯の下、まだ塞がりきっていない傷が熱を持った。

 僅かに血が滲む。


 それでもラグナは剣を握り直した。


「どうした」


 ユリウスが静かに問い掛ける。


「その程度か」


「まだまだ……!」


 ラグナは地面を蹴った。


 その横を一本の先端が丸い矢が通り過ぎる。

 エルだった。


 矢の軌道は、正確にユリウスの肩へ向かう。


 しかしユリウスは僅かに身体を傾ける。


 槍が翻った。

 矢が切り払われ地面へ転がった。


「甘い」


「むぅ……!」


 エルが次の矢を番える。


 今度は二本。


 続けて放つ。


 ユリウスは一歩下がる。


 槍を横へ薙いだ。

 その瞬間、風が巻き起こる。


 矢の軌道が大きく逸れた。


 一本は石畳へ、もう一本は壁に当たって落ちる。


「風……!」


 エルが目を見開く。


 次の瞬間、ユリウスが槍を振り抜いた。


 空気が震えた。

 刃のように鋭い風は一直線に飛んでいく。


 その先。


 エル、リオンそしてライカ。


「危ない!」


 ルミナスが飛び出した。


 剣を振るう。


 風の刃と剣がぶつかる。


 空気が弾け金色の髪が大きく揺れる。


 ルミナスは踏み止まる。

 だが、次から次へと風の刃は止まらない。

 ルミナスは一つずつ弾いていく。


 その間にも、ユリウスはラグナと槍を交えていた。

 前にいるラグナを相手にしながら、後方へ攻撃を放つ。


 一切の隙がない。


「このっ……!」


 ラグナが懐へ飛び込む。

 ようやく、剣の間合い。


 振り上げる。


 ユリウスの表情が僅かに変わった。


 槍では間に合わない。

 そう思った瞬間、ユリウスは身体を捻る。

 柄の中央を持ち槍そのものを回転させた。


 剣と柄がぶつかる。


 ラグナの身体が弾かれた。


「ラグナ!」


 ライカの声。


 ラグナは地面へ片膝をつく。

 腕が震える。

 包帯の下から赤いものが僅かに滲んでいた。


「ラグナ……」


 ライカは一歩前へ出かけて止まった。

 行っても何も出来ない。

 その考えが胸を締め付ける。


 ラグナはゆっくり立ち上がった。

 そして振り返らないまま言った。


「大丈夫だ」


 その声は少し苦しそうだった。

 それでも、いつもの声だった。


 ライカは唇を噛む。


 逃げたくない。

 見ていなければ。

 何も出来なくても、ここにいたい。


 ラグナがそこにいてくれと言ってくれたからではない。

 自分が見届けたいと思ったから。


 ライカは胸元の刻から手を離す。

 そして真っ直ぐ前を見た。


 ユリウスの胸元にあるリリアナを。

 もう、目を逸らさなかった。


 少し離れた場所。

 ユリウスの背後で、ユーリはその光景を見ていた。


 ずっと、ただ見ていた。


 ラグナが剣を振るう。


 ユリウスが受ける。


 ルミナスが風を弾く。


 エルが矢を放つ。


 リオンが傷付いた仲間を治療する。


 ライカが何も出来ないまま、それでも逃げずに立っている。


 そして、ユリウスはいつものように堂々としていた。

 強かった。

 迷いがなかった。


 幼い頃から見てきた背中。

 何度も憧れた姿。


 ユーリは無意識に、腰元へ手を伸ばす。

 そこには短剣。

 指先が柄へ触れた。


 けれど握れない。


 手を離す。


 戦いは続く。


 金属音が響く。


 風が唸る。


 砂が舞う。


 ユーリは目を伏せる。


 脳裏に、一つの光景が浮かんだ。


 砂漠。


 差し出された大きな手。


『立てるか』


 あの日、自分はその手を取らなかった。

 自分で立った。

 それでもユリウスは待ってくれた。


 名前すらなかった自分へ、名前をくれた。


 ユーリ。


 初めて自分だけのものをもらった。


 次に浮かぶ。


 温かなスープ。


 柔らかな寝台。


 新しい服。


 文字、計算、歴史、地理。


 何も知らなかった自分に一つずつ、本当に一つずつ教えてくれた。


 間違えても怒鳴られなかった。

 殴られなかった。


 出来た時には褒めてもらえた。


 そして、十歳の頃。


 窓辺に立つユリウス。


 街を見下ろす背中。


『私が守るべき街だ』


 あの時、自分もいつかこの人のようになりたいと思った。


 更に。


 魔笛を渡された日。


『お前なら任せられる』


 嬉しかった。


 認められたと思った。


 そして。


『お前は私の息子のようなものだ』


 あの言葉。


 ずっと、ずっと忘れなかった。


 ユーリの指先が震える。


 再び短剣の柄へ触れる。


 握る。


 けれど、抜けない。


 抜いてしまえば戻れなくなる。


 この人へ刃を向ける。


 自分を拾ってくれた人へ。


 名前をくれた人へ。


 居場所をくれた人へ。


 生きる理由をくれた人へ。


 父親のように思ってきた人へ。


 そんなこと、出来るはずがない。


「……僕は」


 掠れた声。


 誰にも届かない。


「どうしたいんだ……」


 顔を上げる。


 目の前では、ユリウスが槍を振るっている。

 その姿は昔と何も変わらない。


 強く、堂々としていて。

 誰よりもこの街を守ろうとしている。

 だからこそ分からなくなる。


 何が正しいのか。

 何を信じればいいのか。


 視界の端。


 ラグナがユリウスの槍を受けた。

 傷付いた腕の包帯に赤が滲む。


 それでも剣を離さない。


 その後ろにはライカが立っている。

 小さな身体。

 何も出来ない。


 それでも逃げていない。


 ユーリは思い出す。


 寝台に座るラグナへ言った言葉。


『僕は』


『ユリウスを信じたいんだ』


 その時、ラグナは責めなかった。

 奴隷を認めるのかとも。

 間違っているとも、何も言わなかった。


 ただ。


『……そうか』


 そう言った。


 ユーリの想いをそのまま受け止めた。


 信じたい。


 そうだ。


 自分は。


 この人を信じたい。


 だから見ないふりをするのか。


 違う。


 ユーリの瞳が揺れる。


 夜の裏路地。


 冷たい檻。


 首輪を繋げられた人間たち。


 値段を付けられる人々。


 採掘場。


 砂埃。


 汗。


 疲れ切った顔。


 そして。


 レン。


 いつも少し離れた場所へ立っていた少年。


 隣に座らなかった。


 違う。


 座れなかったんじゃない。


 自分が座らせなかった。


 人間と魔族。

 主人と従者。

 それがこの街の常識だったから。


『お前が魔族と人間の架け橋となる』


 幼い日に、ユリウスが教えてくれた言葉。


 架け橋。


 ユーリは目を閉じる。


 これがそうなのか。

 人間へ首輪を着けて、檻へ入れて、主人と従者として。


 決して同じ場所には立たない。

 それがあなたの言った未来なのか。


 違う。


 胸の奥で、はっきりと何かが答えた。


 違う。


 違う。


 そんなはずがない。

 あなたが僕に教えてくれた未来は、こんなものじゃなかったはずだ。


 魔族と人間が、共に生きる未来。

 争うのではなく、理解し合う未来。


 それを教えてくれたのは、あなたじゃないか。


 ユーリは目を開いた。


 涙が滲んでいた。

 もう答えは分かっていた。


 止めることは、信じることをやめることじゃない。

 むしろ、まだ信じたいから。

 この人なら変われると、今でも信じているから。


 止めなければならない。


 ユーリは短剣の柄を握る。


 今度は離さなかった。

 ゆっくりと、鞘から引き抜く。


 小さな金属音。


 それは。


 激しい戦いの音に紛れて、誰にも聞こえなかった。


 初めてだった。


 誰かに与えられたものではない。

 誰かに言われたからでもない。

 ユリウスが望んだからでもない。


 自分が、どうしたいのか。

 自分自身で選んだ。


 ユーリは顔を上げる。


 ユリウスの背中が見える。


 ラグナを押している。


 槍を振るう。


 風を操る。


 圧倒している。


 その背中は、憧れだった。

 尊敬だった。

 父だった。


 今も、それは変わらない。

 だからこそ止めなければならない。


 ユーリは歩く。


 一歩。


 また一歩。


 足が震える。


 短剣を握る手も震えている。


 胸が痛い。

 息が苦しい。


 逃げ出したかった。

 誰かに止めてほしかった。

 自分では選べないと言ってしまいたかった。


 それでも歩いた。


 一歩。


 また一歩。


 ユリウスとの距離が縮まる。


 あの日。


 砂漠で、ユリウスの背中を追いかけた時とは違う。

 あの時は何も持っていなかった。

 何も知らなかった。


 ただ、与えられるままその背中を追った。


 今は違う。

 たくさんのものをもらった。


 名前も、知識も、居場所も。

 生きる理由も。


 未来も。


 だから、今度は自分で選ぶ。


 ユリウスは振り返らない。


 気付いていないのか。

 それとも、気付いていたのか。


 ユーリには分からない。


 それでももう、足を止めなかった。


 そして。


 短剣を突き出した。


 刃が。


 ユリウスの脇腹へ入る。


「……っ!」


 ユリウスの動きが止まった。


 槍が揺れる。


 風が消える。


 中庭を包んでいた轟音が。


 一瞬。


 止まった。


 ラグナが目を見開く。


「ユーリ……!?」


 エルも。


 リオンも。


 ルミナスも。


 そしてライカも。


 動きを止めた。


 深くはない。

 致命傷ではない。

 戦うことを止めるための一撃。


 それでも、確かにユーリはユリウスへ刃を向けた。


 ユリウスがゆっくり振り返る。


 最初に見たのは、自分の脇腹へ刺さった短剣。

 次にそれを握る手。


 震えていた。


 そして、ユーリの顔を見る。


 涙。


 頬を伝っている。

 止めることも出来ずに、次々と零れていた。


 ユリウスの瞳が僅かに揺れる。


 怒りはなかった。

 何故だと問い詰めることもなかった。


 ただ、しばらくユーリの涙を見つめていた。

 そしてその表情から、何かが少しずつ消えていく。


 驚き。

 戸惑い。


 最後に残ったのは、静かな理解だった。


 まるで、気付いたように。


 自分が拾った幼い少年が。

 初めて、自分とは違う答えを選んだのだと。


 ユーリは短剣を引き抜く。


 血が流れる。


 刃を握っていた手から力が抜けた。


 短剣が落ちる。


 乾いた音。


 石畳の上。


 二人の間へ転がった。


「ごめんなさい……」


 声が震える。


「ごめんなさい」


 もう一度。


 子どものように。


 ユーリは謝った。


「でも……」


 涙が溢れる。


 止まらない。


 今まで、どれだけ苦しくても泣かなかった。


 砂漠へ捨てられた時も。

 名前がなかった時も。

 何も持っていなかった時も。


 泣かなかった。


 けれど、今は止められなかった。


「僕は……」


 息を吸う。


 震える。


 それでも顔を上げる。


「あなたを止めたかった」


 ユリウスは何も言わない。

 ただ、見つめている。


 ユーリは続ける。


「もう……」


「こんなことはやめましょう」


 声が掠れる。


 そして。


 ほんの僅かに。


 躊躇う。


 ずっと、口にしたことのない呼び方。


 けれど。


 今だけはそう呼びたかった。


「……お父さん」


 静寂。


 風だけが。


 二人の間を通り過ぎる。


 ユリウスの目が、大きく揺れた。


 ユーリが。

 自分の意思で願いを口にした。


 自分を止めるために、自分へ刃を向けて。


 それでも、父と呼んだ。


「……お前が」


 ユリウスの声が低く響く。


「私を止めるのか」


 ユーリは涙を拭う。


 一度、大きく息を吸う。

 そして頷いた。


「はい」


 もう、声は震えていなかった。


「僕は、あなたを信じたいんです」


 ユリウスの瞳が揺れる。


 ユーリは続ける。


「あなたが僕に教えてくれたんです」


「魔族と人間が、いつか一緒に生きられる未来が来るって」


「僕がその架け橋になるんだって」


 ユリウスは何も言わない。


「僕は、その未来を信じた」


「あなたが教えてくれたから」


「信じたかった」


 涙が。


 また一筋。


 頬を伝った。


「今だって、信じたいんです」


 ユーリの視線が、ユリウスの胸元へ向く。

 深海色の真珠。

 そして、少し離れた場所に立つライカ。


「でも」


「このままじゃ信じ続けられない」


「だから」


 ユーリは真っ直ぐユリウスを見る。


「もう、やめましょう」


挿絵(By みてみん)


 長い沈黙。


 ユリウスは、何も答えなかった。

 ただ目の前の青年を見ていた。


 五歳の頃。


 砂漠で拾った少年。

 名前もなく、帰る場所もなく生きることすら諦めていた子ども。

 あの日、自分の後ろを頼りない足取りで歩いていた少年。


 その少年が今、自分の前に立っている。

 自分の言葉を信じて、自分とは違う答えを選び、自分を止めようとしている。


 やがて、ユリウスの手から力が抜けた。


 長槍が傾く。


 そして砂の上へ落ちた。


 重い音が響く。


 誰も動かなかった。


 ユリウスはゆっくりと膝をつく。

 傷口を押さえる。

 けれど、その表情に苦痛はほとんどなかった。


 長い沈黙の後、ユリウスは胸元へ手を当てた。

 深海色の真珠。


 幼い頃から見てきたもの。

 領主となった日に、自分へ託されたもの。


 この街を守る者の証。

 民を導く者の証。


 先祖から。

 そのまた先祖から、何百年も受け継がれてきた。


 歴史そのもの。


 ユリウスはブローチへ触れる。


 そして、静かに留め具を外した。


 胸元から離れる深海色の真珠。

 しばらく手の中のそれを見つめる。


 誰も言葉を挟まなかった。


 やがて、ユリウスは口を開く。


「……私は」


 低い声。


「このブローチを誇りに思ってきた」


 ライカの瞳が揺れる。


「先祖から受け継ぎ」


「この街を守る責任の象徴として」


「領主の証として、ずっと胸に抱いてきた」


 ユリウスは目を閉じる。


 何百年もの歴史。

 自分が信じてきたもの。

 守ってきたもの。


 その象徴。


「だが」


 ゆっくり目を開く。


「それがお前たちの大切な者の命だったというのなら」


 ライカを見る。


「私はその重みを知らぬまま」


「誇りだと信じ、受け継いできたのだな」


 ライカは何も言わない。

 ただ、真っ直ぐユリウスを見ていた。

 もう俯かない。


 ユリウスは手を伸ばす。


 掌の上。


 深海色の真珠。


「返そう」


 ライカの呼吸が止まる。


「これは、領主の証である前に」


 僅かに、ユリウスの指が真珠へ触れる。


「一人の命だったのだから」


 ライカの身体が震えた。


 一歩、足を踏み出す。


 そしてまた一歩。

 ゆっくりと、ユリウスの元へ歩いていく。


 誰も声を掛けない。


 ラグナも。


 リオンも。


 エルも。


 ルミナスも。


 ユーリも。


 ただ、見守っていた。


 ライカはユリウスの前へ立つ。


 差し出された手。

 その上にある深海色の真珠。


 リリアナ。


 何百年。


 会いたかった。

 触れたかった。

 取り戻したかった。


 ライカは、ゆっくりと手を伸ばす。


 指先が震えている。


 あと少し。


 ほんの少し。


 そして、触れた。


 その瞬間。


 深海色の光が溢れた。


 海のような静かな光。


 砂漠の乾いた中庭を。


 優しく包み込んでいった。

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