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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第六章 ユリウス領
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第七十八話 もう我慢しなくて良い

「ライカ!」


 夜の街を駆ける。


 ラグナは前を走るライカだけを見ていた。


 呼びかけても止まらない。


 人がいない場所を目指している。


 右腕の裾の端から白くヒビ割れているのが見えた。


 ライカは誰も傷付けたくなかったはずだ。


 ラグナは顔をしかめる。


 だから一人で行ったのか。


 誰も巻き込まないように。


 誰も傷付けないように。



 前を走るライカの髪と服が白く染まっていく。


 そして。


 ぱちっ。


 静かに雷が漏れる。


 ライカは今どんな表情をしてるのだろう。


 何百年も会いたかった人の形見を見つけて。


 どれだけ傷付いているんだろう。


 ラグナには想像出来なかった。


 けど放ってなんかおけない。


 ライカを見失わないように走り続けた。




 やがて。


 街外れの砂地へ辿り着いた。


 ラグナは息を呑む。



 ライカが立っていた。


 月明かりの下。


 髪も。


 服も。


 真っ白に染まっている。


 胸元の深海色の刻(こく)だけが夜の中で静かに輝いていた。


 青白い雷が身体の周囲で弾ける。


 ぱちっ。


 ぱちっ。


 まるで感情そのものが漏れ出しているようだった。



 ライカが振り向く。


 ラグナを見る。


 その表情を見た瞬間。


 ラグナは何も言えなくなった。



 苦しそうだった。


 悲しそうだった。


 嬉しそうだった。


 泣きそうだった。


 笑いそうだった。



 どれも正しかった。


 どれも違った。



 何百年分もの感情が。


 あまりにも多すぎる感情が。


 ライカの中で渦巻いている。


 そんな顔だった。



「ライカ」


 ラグナが呼ぶ。


 ライカは胸元の刻(こく)を握る。


 指先が震えている。



「……あった」


 掠れた声。



「ずっと」



「ずっと探してた」



 雷が弾ける。


 砂が舞う。



「あるって信じてた」



「でも」



「本当にあるなんて」




 言葉が続かない。



 呼吸が乱れる。



 雷が強くなる。




 それでも。


 ライカは耐えていた。




 我慢していた。



 泣かないように。



 壊れないように。



 感情を押さえ込むように。




 ラグナはそれを見た。



 ずっと見てきた。



 海底神殿で。



 砂浜で。



 焚き火の前で。



 ライカはいつも我慢していた。



 一人で。



 ずっと。




 ラグナは肩に掛けていたマントへ手を掛ける。


 そして。


 静かに外した。


 砂の上へ落ちる。


 風が吹く。


 身を守るものはいらない。


 ラグナは一歩前へ出た。




 ライカが目を見開く。



「……来ちゃだめ」



 小さな声。


 雷が弾ける。


 それでも。


 ラグナは止まらない。



 一歩。


 また一歩。


 ゆっくり。


 怖がらせないように。


 逃げないように。


 ライカの方へ歩く。




「ラグナ」




 震える声。




「だめ」



「危ない」




 ラグナは首を横に振った。



 そして。


 静かに言った。




「もう我慢しなくて良い」




 その一言だった。



 何かが切れた。



 ぱきん、と。


 長い長い年月。


 ライカの中で閉じ込められていたもの。


 押し殺していた感情。



 全部。



 全部。



 溢れ出した。




「っ――!」



 雷。


 轟音。


 青白い光が夜を覆う。


 感情が弾ける。




 悲しみ。


 孤独。


 怒り。


 喜び。


 安堵。


 後悔。


 全部が雷になって空へ放たれる。


 ライカは泣いていた。


 声にならない声を上げながら。


 何百年も流せなかった涙を流しながら。




 ラグナは止まらない。



 雷が身体を打つ。



 熱い。



 痛い。



 それでも。



 止まらない。




 やがて。


 ライカの目の前まで辿り着く。



 深海色の瞳。


 涙で滲んでいる。



 ラグナはそっと手を伸ばした。




 そして。




 抱きしめた。




 ライカの身体が震える。




 雷が走る。




 それでも。




 ラグナは離さない。




 逃げない。




 ただ。




 抱きしめる。




 その瞬間。



 刻(こく)に触れた。


 深海色の真珠。


 視界が揺れる。


 知らない景色。



 海底神殿。


 長い廊下。


 一人で歩くライカ。


 幼い頭を撫でるリリアナ。


 優しい笑顔。


 穏やかな時間。



 そして。


 別れ。


 歩いていく背中。


 取り残されるライカ。




 消えていく同胞たち。


 刻(こく)へ刃を突き立てる姿。


 静かに。


 誰も泣かずに。


 受け入れるように。




 大戦争。


 青白い雷が夜空を覆う。


 無数の海底の民。


 放電。


 悲鳴。


 光。




 そして。


 刻を奪われる同胞。


 崩れ落ちる身体。


 残される真珠。




 海底神殿。


 静かな広場。


 談笑する人々。


 笑顔。


 優しい時間。



 全部。



 全部。




 ラグナの中へ流れ込む。


 胸が苦しい。


 息が詰まる。


 それでも。


 目を逸らせなかった。


 ライカが見てきたものだから。


 ライカが生きてきた時間だから。




 やがて。


 雷が弱くなる。


 光が薄れていく。


 白い髪が揺れる。


 夜風が吹く。


 ライカの肩の震えが少しずつ収まっていく。


 静寂。


 砂漠の夜。


 星空。


 その中で。


 ライカは小さく呟いた。




「……会いたかった」




 涙が零れる。


 何百年分もの想い。


 ずっと言えなかった言葉。


 ようやく口に出来た言葉。


 ラグナは目を閉じた。


 そして。


 静かに答える。




「うん」




 少しだけ間を置く。




「知ってる」




 ライカの肩が震える。


 また涙が溢れる。


 けれど。


 もう雷は出なかった。


 ただ。


 泣いていた。


 静かに。


 子どものように。




 しばらくして。



 ライカはゆっくり顔を上げた。


 そして。


 初めて気付いた。


 抱きしめているラグナの腕。


 服。


 焦げた跡。


 赤くなった肌。


 雷が走った痕。


 ライカの指が震える。


 無意識に。


 ラグナの服の裾を掴んだ。


 ほんの少しだけ。


 遠慮がちに。


 離れていかないように。


 そこにいてほしいように。


 そして。


 掠れた声で言った。




「……痛かったよね」




 ラグナは少しだけ笑う。


 優しく。


 本当に少しだけ。




 そして答えた。


「お前の痛みに比べたら」


「なんてことねぇ」




 夜風が吹く。


 星が瞬く。


 ライカは何も言わなかった。


 ただ。


 ラグナの服を掴む指に。


 少しだけ力が入った。


 それだけだった。


 けれど。


 それだけで十分だった。


挿絵(By みてみん)

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