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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第六章 ユリウス領
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第七十七話 押し寄せる感情

 夜の宿屋。


 部屋は静かだった。


 皆ベッドに横になり眠っていた。


 だが。


 ラグナだけは起きていた。


 窓際の椅子に座り、いつものように剣を磨いている。


 いつもと同じ。


 そのはずだった。


 けれど手は動いていても、どこか上の空だった。


 奴隷として売られていた人間たち。


 檻の中の子ども。


 怯えた目。


 そして。


 ライカの右腕のヒビ。


 何度も頭に浮かんでくる。


 どうにもならない。


 そんな言葉で片付けたくなかった。


 だが、どうすればいいのかも分からない。


「……眠らないの?」


 声がした。


 ラグナが振り向くと、窓際にライカが立っている。


 月明かりが黒い髪を照らしていた。


「お前こそ」


 ラグナは答える。


「眠れねぇのか」


 ライカは少し考える。


「分からない」


 そして。


 ラグナの隣へ座った。


 お互い何も語らず、静かな時間が流れる。


 砂漠の夜風だけが窓から入ってくる。


 やがて。


 ライカがぽつりと言った。


「……怒ってる?」


 ラグナの手が止まる。


 少し驚いた顔で。


「なんでそう思った」


「いつもと違う」


 ライカは答える。


「剣を磨いてる音、今日は少し違う」


 ラグナは思わず笑った。


「そんなの分かるのか」


「うん」


 当たり前のように、ライカは頷く。


 ラグナは少し困ったように頭を搔いた。


 そして。


 小さく息を吐く。


「まぁ……ちょっとな」


 ライカはそれ以上聞かなかった。


 ラグナも説明しなかった。


 ただ。


 同じ夜空を見上げる。


 砂漠の星空。


 海底神殿では見られなかった景色。


 しばらくして。


 ライカが小さく呟いた。


「……明日」


「うん?」


「リリアナに近付く気がする」


 ラグナは何も言わずに聞く。


「嬉しいのか怖いのか分からない」


 ライカは胸元の刻(こく)を握る。


「変な感じ」


 ラグナは少しだけ考えて。


 そして言った。


「そりゃそうだろ」


 ライカが振り向く。


「ずっと探してたんだから」


 短い言葉だった。


 それだけだった。


 けれど。


 ライカは少しだけ肩の力が抜けた気がした。



 朝。


 目を覚ました時、部屋の空気は重かった。


 昨夜の出来事が誰の頭からも離れていない。


 ラグナは窓際に立ちながら腕を組んでいた。


 リオンは椅子に座り、静かに俯いている。


 エルはベッドの端に腰掛け、落ち着かない様子で足を揺らしていた。


 ルミナスはそんな皆を見回している。


 ライカだけが少し離れた壁際に立っていた。


 誰も口を開かない。


 やがてラグナが息を吐く。


「昨夜、街を見て回ったんだ」


 全員の視線が向く。


「人間がいた」


 短い言葉。


 けれど、その意味は重かった。


 ラグナは続ける。


「奴隷として売られてた」


 部屋の空気がさらに重くなる。


 エルか顔をしかめた。


「やっぱり……」


 リオンも小さく拳を握る。


 ラグナは昨夜見た光景を話した。


 裏路地に並んだ檻。


 その中の人間の首には首輪が付けられ。


 魔族たちに値段を付けられる。


 助けたかった。


 けれど動けなかった。


 その言葉に誰も何も返せなかった。


 今の自分たちではどうにも出来ないことを、皆分かっていたからだ。


 中立の立場で動くと決めた以上、そこで暴れても何の解決にもならなかった。


 沈黙が落ちる。


 今度はエルが口を開いた。


「こっちもね……」


 エルは昨夜部屋で起きたことを話し始めた。


 突然押し入ってきた魔族たち。


 捕まったこと。


 ライカが助けてくれたこと。


 ルミナスも静かに頷く。


「ライカがいなければ、どうなっていたか分かりませんでした」


 全員の視線がライカへ向く。


 ライカは少しだけ困ったような顔をした。


「……たまたま」


 小さく答える。


 それ以上は何も言わない。


 右腕の裾を少し握った。


 ラグナは気付いたが何も言わなかった。


 再び沈黙。


 重い空気。


 誰も次の言葉を見つけられない。


 ライカはそんな皆を見ていた。


 ラグナ。


 リオン。


 エル。


 ルミナス。


 皆暗い顔をしている。


 皆自分のことを心配している。


 胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。


 何故なのかは分からない。


 けれど。


 このままは嫌だった。


 ライカは小さく口を開く。


「……ご飯」


 誰も反応しない。


 ライカは続ける。


「ご飯……食べよう?」


 部屋が静まり返る。


 エルが目をぱちぱちさせた。


「なんで今!?」


 思わず叫ぶ。


 ライカは少し首を傾げた。


「だって……」


 少し考える。


 そして真面目な顔で答えた。


「食べたら……少し元気になる」


 一瞬。


 誰もが言葉を失った。


 そして。


「ぷっ」


 最初に吹き出したのはエルだった。


「なにそれ!」


「いや、間違ってないけど!」


 リオンも思わず笑ってしまう。


 ルミナスも小さく微笑んだ。


 ラグナは頭を掻きながら苦笑する。


「そうだな」


 ライカは皆を見回した。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 部屋の空気が軽くなった気がした。


「じゃあ行こ!」


 エルが立ち上がる。


「お腹空いたし!」


「さっきまであんな空気だったのに…」


 リオンが呆れたように笑う。


「エルらしいですね」


 ルミナスも続く。


 皆が部屋を出ていく。


 ライカは最後に窓の外を見た。


 眩しい朝日。


 賑やかな街。


 そして仲間たちの背中。


 胸の奥のざわめきは消えていなかった。


 けれど。


 少しだけ温かかった。



 一行は遅い朝食を終えて部屋へと戻り、窓の外を眺めたり、椅子に腰掛け本を読んだりしながらくつろいでいた。


 今朝に比べると空気が軽く、それぞれの表情も穏やかになっていた。


 すると。


 トンットンッ。


 と、軽くノックする音が響く。


 エルが腰掛けていたベッドから飛び降り、扉を開く。


 そこに立っていたのはユーリだった。


「やあ」


 谷底の村で別れた時と変わらない調子に見える。


「あ、ユーリじゃん!」


「久しぶりだね」


「ほんとだよ!」


 ユーリはふふっ、と軽く笑った。


 窓際に立っていたラグナがユーリの前に歩み寄り、真剣な表情で言った。


「聞きたいことがあるんだ、この街のことで」


 ユーリが首を傾げる。


「この街のことかい?」


「ああ、この街に居た人間は奴隷だけだった」


「お前は何か知ってるんじゃないのか?」


 二人のやりとりを見ていたエル、リオン、ルミナスの表情が固くなる。


 ライカだけは普段と変わらず窓の外を眺めている。


 ユーリはほんの僅かに目を伏せた。


 そして。


 短く答えた。


「着いてきたら分かるよ」


 何処へ連れて行かれるのかは分からないが、昨夜見た事の理由を知るために着いていく他無かった。


 ラグナは振り返って皆を見る。


 リオンもエルもルミナスも、迷いなく首を縦に振った。


「ライカ?」


 窓の外を見ていたライカが、ラグナに声を掛けられてはっと振り向き。


「うん、行く」


 それだけ答えた。


 一行は宿屋を出て、ユーリの先導で街の中心へと向かう。


 その先には巨大な宮殿が見えている。


 白い石で造られた建物は遠くから見ても圧倒的な存在感を放つ。


「すごーい…!」


 真っ先に反応するのはエルだ。


「もしかしてあの宮殿に入れるの!?」


「入れるよ、まぁ観光じゃないけどね」


 ユーリは苦笑しながら答える。


「なんか魔王城の時とは違う緊張感ある!」


 まるで緊張などしていないように見えるエルであった。


 一方で後方を歩くライカは。


 一歩一歩、宮殿に近づいて行く度に胸の奥がざわつき、心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。


 呼吸が浅くなる。


 胸元の刻(こく)が微かに震えているような気がする。


 近づいている。


 リリアナを感じる。


 確実に近づいているけれど。


 この先に何が待つのか、知りたいという思いと同じくらいに怖かった。


 知りたいのに知るのが怖い。


 ライカの足が僅かに止まった。


 誰にも気付かれないほどに。


 それでも、僅かに止まった足音にラグナは気付いた。


「ユーリ」


 先を歩く背中へ声を掛けたのはラグナだ。


「少し待ってくれ」


 ユーリが立ち止まり振り返る。



 ラグナはライカの隣に歩み寄る。


 すぐには声を掛けず、その表情からなんとなく汲み取る。


 大きく表情は変わらないが、普段より息が浅いのが分かる。


「嫌なら戻っても良い」


 ライカが目を見開く。


 ラグナは続けて言った。


「無理して会う必要はねぇだろ」


「ライカまで無理することねぇよ」


 ライカは呆然とした。


 そんなこと、考えたこともなかった。


 ここまで来たのだからいかなければいけないと、そう思っていた。


 向かう先にある宮殿を見上げた。


 白い石の壁、閉ざされた扉の先にリリアナが居る気がした。


 それでも胸元の刻(こく)を握る指先が震える。


 不安、恐怖、期待が入り交じっている感情が外側へ出ないように抑え込む。


 そして、首を横に振った。


「……大丈夫」


 本当は大丈夫とは言い難い状態だった。

 それは自分でも分かっていた。


 それでもここで知らなければいけないと思った。


「そっか」


 ラグナはそれ以上何も言わなかった。


 ただ、その決断を受け止めて歩き出す。



 やがて。


 宮殿の中へと入っていく。


 魔王城ほどの護衛の魔族はおらず、何人か宮殿に仕えている人間とすれ違った。


 ラグナたちに会釈する人間の首には、奴隷の首輪があった。

 それでもどこか、檻に入れられていた人たちと比べると健康的なように見える。


 宮殿の一室の前でユーリは立ち止まり、扉をノックした。


「ユリウス様、お連れしました」


 中から低い男の声が返ってくる。


「入れ」


 ユーリが扉を開く。


 中はそれなりに広く、壁面には本棚やユリウス領を表す黄色い旗、そして槍が立てかけられている。


 部屋の真ん中は大きめのテーブルとそれを囲うように椅子が並べられ、部屋の奥には領主の公務机。


 その奥に座る。


 一人の男の魔族。


 ラグナたちはその人物を見る。


 黒髪に浅黒い肌。

 見た目は五十台ほどで顔には無精髭と深い皺が刻まれているが、威厳を感じさせる風格と言える。


「よく来てくれた」


 ユリウスは立ち上がった。


「歓迎しよう、そちらに掛けると良い」


 ユリウスに促されそれぞれ椅子に掛けた。



 部屋に入ってからも。

 椅子に座ってからも。


 ライカだけはユリウスを見なかった。


 ただずっと俯き、右肩を抑えていた。


 ラグナが何かをユリウスに問いかけ、ユリウスが何か答えている。


 ラグナの問いを軽くいなしたかと思えば、ユリウスはこちらを見る。


「まずは、そちらの白い魔族と話がしたい」


 ライカが顔を上げた。


 この部屋に入って初めて。


 ユリウスの姿を見た、はっきりと。



 そして、見つけた。


 胸元のブローチ。


 そこには深海色の真珠。



 呼吸が止まる。


 リリアナ。



 胸の中のざわめきが一気に膨れ上がるのを感じる。


 心臓の鼓動が高鳴る、痛いほどに。



 あった。


 ずっと探していたものが、そこに。


 胸元の刻(こく)を握る手が震えて止まらない。



 ユリウスが何か言った。

 聞こえない。


 ラグナが振り向く。

 エルが何か言ってる。

 聞こえない。


 何も、聞こえない。



 ライカは立ち上がった。


 そして、小さな声で。


「……ごめんなさい」


 それだけ。


 次の瞬間、部屋を飛び出した。



「ライカ!!」


 真っ先に動いたのはラグナだった。

 椅子を倒しながら追いかける。


「待って!」


 エルも続く。


 リオンも立ち上がり、出る前にユリウスとユーリへ頭を下げる。


「失礼します」


 そう言って追いかける。


 最後に残ったのはルミナスだった。


 ルミナスは真っ直ぐユリウスを見て、静かに頭を下げた。


「また次の機会に話をさせて下さい」


 ユリウスは少し驚いたように目を細め、穏やかに頷いた。


「もちろんだ、いつでも歓迎しよう」


 ルミナスも頷く。


「ありがとうございます」


 そして部屋を飛び出して行った。


 ユリウスとユーリが残された部屋。


 しばらくの沈黙の後にユリウスがブローチに触れ、目を細める。


 そこには深海色の真珠。


「……やはり」


 小さく呟く。


 ユーリは何も言わず、ただ静かに窓の外を見つめていた。


 その先で。


 白い魔族の少女が初めて過去と向き合おうとしていることを知りながら。

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