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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第六章 ユリウス領地
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第七十話 谷底の村

 漁村を出発した一行は、再び崖沿いの道を南へ進んでいた。


 海風が吹く。


 右手には果てしない海。


 左手には切り立った岩壁。


 穏やかな道だった。


 やがて左手の岩壁は少しずつ低くなる。


 しばらく進んだ先で、その景色は突然終わる。


 ラグナは足を止めた。


「……なんだこれ」


 目の前に広がっていたのは。


 巨大な谷だった。


 地面が世界ごと裂けたかのような大穴。


 谷底は遥か下。


 覗き込んでも暗闇しか見えない。


 エルが青ざめる。


「ひっ……」


 思わず後ずさる。


「た、高くない!?!?」


「高いですね」


 ルミナスが素直に頷いた。


 リオンも思わず息を呑む。


「これ……落ちたら助からないね……」


「多分な」


 ラグナも苦笑する。


 谷は左右どこまでも続いている。


 対岸は遠い。


 その向こうには。


 砂。


 砂。


 砂。


 広大な砂漠。


 しかし空気が揺らいでいた。


 熱気。


 蜃気楼。


 まるで景色そのものが溶けている。


 建物らしきものも見える。


 だが輪郭が曖昧だ。


 夢を見ているような光景だった。


「……あれがユリウス領?」


 ラグナが尋ねる。


 ユーリは頷いた。


「ああ」


「広いだろう?」


 その時だった。


 ライカが前へ出る。


 深海色の瞳。


 じっと砂漠の一点を見つめていた。


 誰も気付かない。


 だが。


 ユーリだけは気付いた。


 ライカが見ている場所。


 あそこには。


 ユリウスの都市がある。


 オアシス都市。


 砂漠の中心。


 領主ユリウスが住む場所。


 ユーリの視線が僅かに揺れる。


 やはり。


 この子は。


 ――知っている。


 胸元の深海色の真珠。


 白い肌。


 見たことのない魔族。


 そして。


 あの都市を見る目。


 繋がった気がした。


 けれど。


 ユーリは何も言わない。


 いつものように微笑むだけだった。


「さて」


「次はどこ行くんだ?」


 ラグナが聞く。


 ユーリは谷を指差した。


「下」


 沈黙。


 数秒。


 エルが固まる。


「……え?」


「下」


「え?」


「谷底」


「嘘でしょ!?」


 叫んだ。


 ラグナも思わず笑う。


「俺も同じこと思った」


 リオンは谷を覗く。


「この下に村が……?」


「あるよ」


 ユーリはさらりと言う。


「結構大きい」


 エルは納得できない。


「いやいやいや!」


「見えないよ!?」


「あるから」


「見えない!」


「だから見えないんだよ」


 ユーリは苦笑した。


「結界が張られてるからね」


 ラグナの目が微かに輝く。


「結界か…」


 ルナの村。


 断崖の村。


 そしてここがナタージャが言った3つ目の村。


 ユーリは続けた。


「正直」


「僕は寄らなくてもいいかなって思ってたんだけどね」


「そうなのか?」


 ラグナが聞く。


 ユーリは肩を竦めた。


「もっと東に行けば橋があるんだ」


「そこからユリウス領に渡れる」


「わざわざ谷底へ降りなくてもいい」


 エルが頷く。


「それは確かに」


「合理的だね」


 リオンも同意する。


 しかし。


 ラグナは谷底を見た。


「でも村あるんだろ?」


「ある」


「じゃあ見てみたいな」


 エルもすぐ乗る。


「見たい!」


「谷底の村とか気になる!」


 リオンも笑った。


「僕も興味あるな」


 ユーリは頭を抱えた。


 予想通りだった。


 この旅の仲間たちは好奇心が強い。


 絶対そう言うと思った。


 そこで。


 静かな声が響く。


「……わたしも」


 全員が振り向く。


 ライカだった。


「行ってみたい」


 ユーリは天を仰いだ。


 終わった。


 もう決定だ。


 ライカがそう言うならラグナは絶対行く。


 案の定。


「じゃあ決まりだな」


 ラグナが即答した。


「決まったね!」


 エルも笑う。


 ユーリは深いため息を吐いた。


「はいはい……」


「分かりましたよ」


 荷物から魔笛を取り出す。


 短く吹く。


 澄んだ音色。


 風へ溶けていく。


 しばらくして。


 遠くから羽音が聞こえた。


 空を見上げる。


 双頭の鳥型魔物。


 大きな翼。


 青黒い羽。


 谷の上を旋回する。


 魔笛の音に応えるように鳴いた。


「迎えを呼んだよ」


「迎え?」


 ラグナが首を傾げる。


「谷底の村の人」


「勝手に降りると迷うから」


 なるほど。


 一行は待つ。


 しばらくすると。


 谷沿いの岩陰から一人の魔族が現れた。


 驚くほど普通だった。


 黒髪に浅黒い肌。


 黒い衣は農夫のような作りで。


 控え目に緑の宝石があしらわれている。


 年齢は四十代くらい。


「あれ?」


 魔族はユーリを見る。


「ユーリじゃないか」


「久しぶりですね」


 ユーリも手を振る。


「ああ」


「また来たのか」


 気さくな会話だった。


 ラグナたちは少し意外そうな顔をする。


 ユーリはこういう場所でも知り合いが多い。


「案内お願いできます?」


「もちろん」


 魔族は笑った。


「ついてきな」


 そして。


 崖の脇へ歩いていく。


 そこには。


 人ひとり通れる程度の細い道があった。


 谷底へ続く道。


 エルが青ざめる。


「せ、狭い……」


「落ちないでね」


「怖いこと言わないで!?」


 ラグナが笑う。


 リオンも苦笑する。


 一行は慎重に歩き始めた。


 下へ。


 下へ。


 どこまでも。


 谷底は暗い。


 だが。


 少しずつ光が見えてくる。


 最初は小さな点。


 次第に増える。


 やがて。


 全員が息を呑んだ。


「……え」


 エルが立ち止まる。


「うそ……」


 谷底は。


 明るかった。


 巨大な空間。


 遥か上から差し込む太陽の光。


 岩壁に反射して輝く光。


 中央には村。


 大きな村だった。


 家々が並び。


 畑が広がり。


 人々が歩き回る。


 市場らしき場所も見える。


 さらに奥。


 川が流れていた。


 そして。


 谷の一角には。


 砂浜まである。


 地下とは思えない景色。


挿絵(By みてみん)


 ラグナも目を見開く。


「すげぇ……」


 リオンも見惚れる。


「こんな場所が……」


 ルミナスは静かに呟く。


「綺麗です」


 ライカも足を止めていた。


 深海神殿とも違う。


 断崖の村とも違う。


 誰かが生きている場所。


 笑っている場所。


 谷底に広がる大きな世界。


 その景色を見つめながら。


 ライカは小さく目を細めた。


 そして。


 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。


「……賑やか」


 それは。


 少しだけ。


 嬉しそうにも聞こえた。

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