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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第五章 断崖の村
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第六十一話 知らない温度

 青白い雷は、まだ微かに空気を震わせていた。


 ライカは俯いたまま動かない。


 胸元の(こく)を押さえ、感情を押し戻そうとしている。


 まるで。


 溢れてしまうこと自体が、悪いことみたいに。


 静かな空間。


 海の泡だけが揺れている。


 やがて。


 ラグナがぽつりと言った。


「……なんで謝んだよ」


 ライカの肩が、小さく震える。


「危ない、から……」


 掠れた声。


「わたし、うまく抑えられなくて」


 ぱちっ。


 小さな雷が漏れる。


 だがラグナは特に気にした様子もなく肩を竦めた。


「今んとこ別に死んでねぇし」


 あまりにも軽い返事だった。


 エルが思わずラグナを見る。


 ライカも、少しだけ目を瞬かせていた。


 まるで。


 そんな返答が来ると思っていなかったみたいに。


 長い沈黙。


 その静かな空気の中で。


 エルがそっとライカの近くへ座る。


 けれど、触れない。


 ライカが怖がっているのが分かるから。


 エルは小さく笑った。


「……独りって、やだよね」


 その言葉に。


 ライカの瞳が、ゆっくりエルを見る。


 エルは膝を抱える。


「なんかさ、静かすぎると考えすぎちゃうし」


「誰とも話さないと、どんどん変なこと考えちゃうじゃない?」


 いつもの明るい口調。


 でも。


 そこにはちゃんと優しさがあった。


 ライカはしばらく黙っていた。


 それから、小さく呟く。


「……わからない」


 エルが目を瞬かせる。


 ライカは海を見る。


「独りが、普通だったから」


 青白い光が瞳へ映る。


「朝も」


 ぽつりと呟く。


「昼も」


「夜も」


 言葉が続く。


「同じだったから」


 エルは返す言葉を失った。


 海底神殿には朝も夜も無い。


 空も無い。


 太陽も無い。


 季節も無い。


 ライカにとって時間は流れるものではなく。


 ただ積み重なっていくものだったのかもしれない。


 その言葉に、誰もすぐ返せなかった。


 リオンがロザリオを握る。


 そして静かに言った。


「……でも」


 ライカが視線を向ける。


「記憶を残したいって気持ち、僕は少し分かるよ」


 穏やかな声だった。


「死んだ人たちって、忘れられるのが一番苦しいんだ」


 ライカの瞳が、微かに揺れる。


 リオンは続ける。


「だから、誰かが覚えててくれるだけで救われることもある」


 海の泡が静かに浮かぶ。


 ライカはその言葉を、ゆっくり聞いていた。


 今度はルミナスが口を開く。


「ライカ」


「……なに」


「あなたは、“記憶を未来へ連れていく”と言いました」


 ライカは小さく頷く。


 ルミナスは真っ直ぐ彼女を見る。


「なら」


 静かな声。


「ライカも、その未来を見なければいけないのではありませんか」


 空気が止まる。


 ライカの呼吸が、僅かに乱れた。


 未来。


 その言葉を向けられること自体、久しぶりだったのかもしれない。


 ライカはすぐには答えられなかった。


 ただ、胸元の(こく)をそっと握る。


 まるで。


 そこに眠る記憶へ、触れるみたいに。


 長い沈黙。


 その後。


 突然ラグナが立ち上がった。


「……とりあえず、腹減った」


 エルが思わず吹き出す。


「この空気で最初に出る言葉それ!?」


「減ったもんは減った」


 ラグナは悪びれもしない。


 リオンが苦笑した。


 ルミナスも少しだけ肩の力を抜いている。


 張り詰めていた空気が、ほんの少し緩んだ。


 その時だった。


 ライカが小さく首を傾げる。


「……おなか、へる?」


 全員が止まる。


 ラグナが聞き返した。


「……知らねぇのか?」


 ライカは静かに瞬きをする。


「身体が、苦しくなるの?」


 エルの表情が変わる。


 ライカは、本当に知らないのだ。


 空腹も。


 食事も。


 誰かと囲む温かな時間も。


 リオンが静かに聞く。


「海底の民は、食事をしなかったの?」


 ライカは胸元の(こく)へ触れる。


(こく)へ水を与えるだけで、生きられるから」


 静かな声。


「食べなくても平気」


 ラグナたちは、言葉を失う。


 ライカは少し考えるように言った。


「でも……」


「海の上の人たちが、楽しそうに何かを囲んでたのは見た」


 深海色の瞳が、静かに揺れる。


「……あれは、食事?」


 エルは思わず目を瞬かせた。


「見たことあるの?」


 ライカは頷く。


「うん」


 当たり前のような返事だった。


 けれど。


 ライカは海底神殿の外へ出たことが無いと言っていた。


 エルは首を傾げる。


「でも、ここ海の底だよね?」


 ライカも少し考えるように首を傾げた。


「……そう」


 それ以上は答えない。


 というより。


 何を不思議がられているのか分かっていない様子だった。


 エルは一瞬だけリオンを見る。


 リオンも首を傾げている。


 だが今は、それ以上追及しなかった。


 ラグナは少し困ったように頭を掻いた。


 それから笑う。


「そーそー」


「うまいもん食うと、ちょっと元気出る」


 ライカは、その言葉を静かに聞いていた。


 元気。


 その言葉を胸の中で繰り返す。


 悲しくない。


 苦しくない。


 そんな状態のことだろうか。


 それとも。


 誰かと笑うことだろうか。


 ライカには分からなかった。


 けれど。


 不思議と少しだけ気になった。


 海の上の人たちが囲んでいたもの。


 楽しそうだった光景。


 その理由を。


 少しだけ知ってみたいと思った。

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