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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第五章 断崖の村
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第六十話 閉じ込めていた感情

 ぱちっ。


 青白い雷が、静かな空間を走る。


 ライカは胸元を押さえたまま、小さく息を乱していた。


 長い黒髪の隙間から覗く白い肌に、青白い光の筋が浮かんでいる。


 まるで身体そのものが、ひび割れていくみたいだった。


「……っ」


 ライカは俯く。


 雷を抑え込もうとしている。


 けれど感情が追いついていない。


 何百年も押し込めていたものが、少しずつ外へ漏れ始めていた。


 リオンは慎重に様子を見る。


「ラグナ……」


 声は小さい。


 下手に刺激しない方がいい。


 そう伝えたかった。


 だが。


 ラグナはゆっくりライカへ近付いていく。


 エルが思わず声を上げた。


「ちょ、ちょっとラグナ!」


 ぱちっ。


 また雷が漏れる。


 空気が震える。


 普通なら危険だった。


 けれどラグナは止まらない。


 ライカが顔を上げる。


 深海色の瞳が揺れていた。


「……来ないで」


 小さな声。


 怯えている。


 怒っているわけじゃない。


 傷付けることを恐れている声だった。


 ラグナは少しだけ困ったように笑う。


「別に、お前が怖ぇわけじゃねぇし」


 ライカの呼吸が止まる。


 ぱちっ。


 雷が大きく跳ねた。


 ライカは咄嗟に後ろへ下がる。


「だめ……」


「触れたら、危ない」


 震える声。


 長い間。


 誰にも近付かなかったのだろう。


 近付けなかったのだろう。


 ラグナはそこで初めて足を止めた。


 無理には近付かない。


 ただ、少し離れた場所で座り込む。


挿絵(By みてみん)


 海の泡が静かに揺れている。


「……お前さ」


 ラグナがぽつりと言う。


「ずっと我慢してたんだな」


 ライカの肩が、小さく震えた。


 返事は無い。


 けれど。


 否定もしなかった。


 静かな沈黙。


 その時間が、妙に長く感じる。


 エルはハープを抱えたまま、どうしていいか分からず立ち尽くしていた。


 演奏したい。


 落ち着かせたい。


 けれど。


 今は違う気がした。


 これは音で包めるものじゃない。


 もっと深くて。


 もっと長い孤独だった。


 ルミナスは静かに剣へ添えていた手を下ろす。


 戦う必要は無い。


 そう分かったからだ。


 ライカは敵じゃない。


 ただ。


 壊れそうになっているだけだ。


 リオンが小さく呟く。


「……独りだったんだね」


 その言葉に。


 ライカの瞳が揺れる。


 独り。


 その言葉を向けられたこと自体、久しぶりだったのかもしれない。


 ライカはゆっくり俯く。


「……みんなが、守ってくれたから」


 ぽつり。


 小さな声。


「リリアナが」


 胸元の(こく)を押さえる。


「わたしを、生かしたから」


 青白い雷が、静かに漏れる。


「だから、わたしは」


「ここに、いないといけない」


 それは。


 誰かに命令された言葉じゃなかった。


 ライカは胸元の(こく)を握る。


 強く。


 壊れてしまいそうなくらい。


 その仕草は、祈りに似ていた。


 あるいは。


 縋り付くようにも見えた。


「ここにいれば」


 ぽつり。


 小さな声。


「みんなを忘れないでいられるから」


 深海色の瞳が揺れる。


「ここにいれば」


「みんなが居たことを、覚えていられるから」


 海の泡が静かに昇っていく。


 ライカは俯いた。


「だから……」


 その先は続かなかった。


 言葉が詰まる。


 まるで。


 自分でも気付いているみたいに。


 その理由だけではないことを。


 ラグナは静かに聞いていた。


 遮らない。


 否定しない。


 ただ。


 その声を聞いていた。


 ライカは小さく息を吐く。


「わたしが外へ行ったら」


「みんなが守ってくれたことを、無駄にしてしまう」


 海の光が揺れる。


 何百年。


 何千日。


 ずっと。


 その考えだけで生きてきたのだろう。


 リオンはロザリオを握る。


 エルは唇を噛む。


 ルミナスは静かにライカを見つめる。


 誰も簡単に言葉を返せなかった。


 軽く触れていいものじゃない。


 それくらい分かった。


 ラグナは窓の向こうの海を見る。


 静かな深海。


 誰も居ない神殿。


 眠る同胞たち。


 そして。


 その全部を守ろうとしている少女。


 ラグナには分からない。


 何百年という時間なんて。


 想像もできない。


 けれど。


 一つだけ分かることがあった。


 ここに居るライカは。


 幸せそうには見えなかった。


 ラグナが、ぽつりと言った。


「……でもさ」


 ライカの瞳が動く。


 ラグナは海を見ながら続けた。


「お前、本当は独り嫌なんだろ」


 空気が止まる。


 ライカの呼吸が乱れた。


 胸元の(こく)が、強く光る。


 ぱちっ!!


 今までより大きな雷が走る。


 エルが肩を震わせる。


 だがラグナは動かない。


 ただ真っ直ぐライカを見る。


 ライカは何かを言おうとする。


 けれど。


 声にならない。


 何百年も閉じ込めていた感情が、言葉の形を忘れていた。


 だから代わりに。


 青白い雷だけが、静かに溢れていく。


 そして。


 ライカは小さく俯いた。


「……ごめんなさい」


 その声は。


 泣き声よりも、ずっと苦しかった。


 誰に向けた謝罪なのか。


 ライカ自身にも分からなかった。


 同胞たちへ。


 リリアナへ。


 それとも。


 今まで何も変わろうとしなかった自分へ。


 胸元の(こく)が淡く光る。


 青白い雷が、ぱちりと弾ける。


 けれど先程までの激しさは無い。


 まるで。


 張り詰めていた糸が少しだけ緩んだみたいだった。

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