表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第五章 断崖の村
PR
60/74

第五十九話 深海の巫女

 海の泡の音だけが響いていた。


 静かな空間。


 青白い光が、ゆっくりと揺れている。


 ライカは窓辺へ座ったまま、深海を見つめていた。


 その横顔は、まるで時間そのものから切り離されているみたいだった。


 ラグナが静かに口を開く。


「……海底の民ってのは」


 ライカの瞳が、少しだけ動く。


「お前以外にも居たんだよな」


 沈黙。


 ライカは胸元の刻へ、そっと触れた。


「……うん」


 小さな声。


「みんな、いた」


「わたしは巫女だから残った」


 エルが恐る恐る聞く。


「その人たちは……?」


 ライカはしばらく答えなかった。


 深海色の瞳が、どこか遠くを見る。


 やがて。


「……眠った」


 静かな声だった。


 リオンが、僅かに目を伏せる。


 その言葉が何を意味しているのか。


 彼だけは、すぐ分かった。


 ラグナは眉をひそめる。


「眠ったって……」


 ライカは続ける。


「みんな、優しかった」


「海の歌を聞いて」


「静かな場所で暮らしてた」


 青白い光が、彼女の白い肌を照らしている。


「戦うの、嫌いだった」


 その言葉に、エルが小さく息を呑む。


 ライカの姿は、とても“戦う種族”には見えなかった。


 細い身体。


 儚い声。


 今にも消えてしまいそうな少女。


 けれど。


「……オルディスは、わたしたちの雷を必要としてた」


 その瞬間だけ。


 ライカの瞳へ、暗い影が落ちる。


「逆らえなかった」


 静かな声。


 でも。


 その言葉には、長い苦しみが滲んでいた。


 ルミナスが、ゆっくり問いかける。


「ライカは……巫女だったんですよね」


 ライカは小さく頷く。


「わたしは、みんなの記憶を預かる役目だった」


 胸元の刻が、淡く光る。


「みんなが見たもの」


「聞いたもの」


「悲しかったこと」


「嬉しかったこと」


「全部、未来へ連れていく」


 静かな声。


 けれど、その言葉は重かった。


 リオンがそっと聞く。


「……どうして?」


 ライカは少しだけ考える。


 まるで、自分でも答えを探しているみたいだった。


「……忘れたら」


 小さく呟く。


「みんな、本当に居なくなるから」


 沈黙。


 エルは胸が苦しくなる。


 この子は。


 何百年も。


 独りで。


 皆の記憶を抱えていたのだ。


 ラグナが静かに聞く。


「……ずっと独りだったのか?」


 ライカは、少し考える。


 ラグナは返事を待ちながら、ライカを見ていた。


 海底神殿へ来てからずっと思っていた。


 この場所は静かだ。


 静かすぎる。


 人の声も。


 笑い声も。


 生活の音も無い。


 けれど。


 食堂があった。


 台所があった。


 墓標があった。


 ここには確かに人がいた。


 誰かが笑い。


 誰かが歌い。


 誰かが生きていた。


 そして今は。


 その全てが失われている。


 残っているのは。


 目の前の少女だけだった。


「……たぶん」


 小さな返事。


「とても、長く」


 海の泡が揺れる。


 ラグナは、その横顔を見る。


 ライカは深海を見つめたまま動かない。


 まるで外の世界など存在しないかのように。


 ラグナは窓の向こうを見る。


 広がる海。


 その先には空がある。


 村がある。


 人間もいる。


 魔族もいる。


 笑う奴もいれば。


 泣く奴もいる。


 喧嘩する奴もいる。


 けれど。


 ライカはそのどれも知らない。


 いや。


 知ろうとしていない。


 そんな気がした。


 ライカはずっと静かだった。


 寂しいとも。


 苦しいとも言わない。


 けれど。


 その姿は、どう見ても独りだった。


 ラグナは壁へ寄り掛かる。


「外には行かねぇのか?」


 その瞬間。


 ライカの身体が、僅かに強張る。


 深海色の瞳が揺れた。


 長い沈黙。


 やがて。


「……怖いから」


 小さな声。


 エルがそっと聞く。


「外が?」


 ライカは頷く。


「外は、たくさん死ぬから」


 その言葉は。


 何百年も前で止まっていた。


 ライカは長い時間を生きている。


 ラグナより遥かに。


 けれど。


 ラグナにはそう見えなかった。


 一人で取り残された子ども。


 ただ、それだけだった。


 ラグナはしばらく黙っていた。


 そして。


 静かに言う。


「……違うだろ」


 ライカの瞳が揺れる。


 ラグナは真っ直ぐライカを見る。


「お前、外が怖いんじゃなくて」


「ここに残ろうとしてるだけだろ」


 空気が止まった。


 ライカの呼吸が、僅かに乱れる。


「みんながお前を守ったから」


「お前だけ生き残ったから」


「だから、お前もここに居なきゃいけねぇって思ってる」


 ライカの瞳が、大きく揺れた。


 言葉が出ない。


 胸元の刻が、強く光り始める。


 ぱちっ。


 小さな青白い雷が、空気を走った。


 エルが息を呑む。


 リオンが反射的に前へ出る。


 だが。


 一番怯えていたのは、ライカ自身だった。


「……っ」


 身体へ、青白いヒビのような光が浮かぶ。


 ライカは胸元を押さえる。


「ちが……」


 声が震える。


「わたしは……」


 ぱちっ。


 また雷が漏れる。


 海の泡が震えた。


 ルミナスが静かに剣へ手を添える。


 だがラグナだけは動かなかった。


 ただ、真っ直ぐライカを見ていた。


 まるで。


 今にも壊れてしまいそうな少女を見るように。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ