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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第五章 断崖の村
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第五十六話 海へと続く道

 翌朝。


 まだ空が薄暗い時間だった。


 木造の宿屋の扉が、静かに開く。


「起きてる?」


 入ってきたのはユーリだった。


 ラグナは半分眠そうな顔で身体を起こす。


「……朝早ぇな」


「今日は朝から商談なんだ」


 ユーリは苦笑する。


 だが、その表情には少し疲れも見えた。


「海が荒れてるせいで、なかなか上手くいかなくてね」


 窓の外では、今日も風が強い。


 遠くから、荒波の音が響いてくる。


「ま、頑張ってくるよ」


 そう言って、ユーリは軽く手を振る。


 三体の魔物たちも静かについていった。


 扉が閉まる。


 再び静けさが戻った。




 朝。


 一行が宿屋を出た瞬間だった。


「いた!」


 昨日の魔族の少女が、こちらへ駆け寄ってくる。


 息を切らしながら、興奮した様子で言った。


「昨日の夜も光ったんだよ!」


 ラグナたちは顔を見合わせる。


 少女は海を指差した。


「すっごく青く!」


「海の下から、こう……ぶわって!」


 エルが少し真面目な顔になる。


「また……」


 村の空気も、昨日より騒がしかった。


 漁師たちが海を睨みながら話している。


 空も暗い。


 海風も強い。


 ごぉ、と不穏な音が響く。


 ラグナは海を見る。


 胸の奥が、妙にざわついていた。


「……やっぱ気になるな」


 ルミナスが静かに頷く。


「私もです」


 リオンは少し不安そうだった。


「でも、この海かなり危ないよ……?」


「近付けるとこまで行ってみようぜ」


 ラグナはそう言って歩き出した。




 断崖を降りた先。


 荒れた海岸。


 黒い波が岩へぶつかり、白く砕ける。


 風も強い。


 まともに立っているだけでも大変だった。


 ラグナは目を細めながら海を見る。


「……なんも見えねぇな」


 ルミナスも周囲を見渡す。


 海は荒れるばかり。


 ただ、不気味だった。


 まるで何かを隠しているような海。


 その時だった。


 リオンがふと眉をひそめる。


「……聞こえた気がした」


「何が?」


 ラグナが振り返る。


 リオンは首を傾げた。


「分からない」


「声……みたいな」


 風が吹く。


 波が岩へぶつかる。


 けれど、それ以外は何も聞こえない。


「気のせいかな」


 リオンはそう言ったが、どこか納得していない様子だった。


「ねぇ」


 エルが、ふと前へ出る。


 ハープを抱えていた。


「心も海も、荒れてる時はさ」


 風で黄色の髪が揺れる。


「やっぱり、歌を聞いて落ち着かないとね」


 ラグナが少し笑う。


「こんな波の音で聞こえるのか?」


「さぁ?」


 エルは悪戯っぽく笑った。


 そして。


 静かに、ハープへ触れる。


 ぽろん。


 小さな音。


 荒波の音に掻き消えてしまいそうな、儚い音色。


 けれど。


 その音は、不思議と心へ届いた。


 風の隙間を縫うように。


 海へ染み込むように。


 優しく、広がっていく。


 リオンが息を呑む。


 波の音が。


 少しずつ、静かになっていく。


 ざばん。


 ざばん。


 荒れていた海が、ゆっくり落ち着いていく。


 ルミナスが目を見開いた。


「……海が」


 水面が、青白く光り始める。


 海の底。


 さらに深く。


 淡い深海色の光が揺れていた。


 そして。


 ごぽり、と。


 海が割れる。


 水が左右へ押し退けられ、海底へ続く道が姿を現した。


 エルが思わず呟く。


「……うそ」


 そこには、青白い光に照らされた石の道が続いていた。


 海の底へ。


 まるで誰かが導いているみたいに。


 ラグナは、その道を真っ直ぐ見つめる。


 胸の奥の違和感。


 それが、今ははっきりと“呼ばれている”感覚へ変わっていた。


 ラグナは振り返る。


「……行こう」


 誰も反対しなかった。


 ラグナを先頭に、一行は静かに海底への道を進み始める。


 左右には海。


 頭上には揺れる水面。


 まるで別世界だった。


 エルは思わず足を止める。


「すごい……」


 光が、水面から降り注ぐ。


 揺れる青。


 揺れる影。


 まるで海そのものが空になったみたいだった。


 ルミナスは静かに周囲を見渡す。


 不思議だった。


 初めて見る景色のはずなのに。


 どこか懐かしい気がする。


 理由は分からない。


 だが胸の奥が、静かにざわめいていた。


 その隣で。


 ラグナもまた、妙な感覚を覚えていた。


 誰かに呼ばれている。


 そんな気がする。


 けれど恐怖はない。


 むしろ。


 どこか優しい気配だった。


 そして。


 最後の一人が海底の道へ入った瞬間。


 背後で、静かに水が閉じる。


 ごぽん。


 入口は消えた。


 残ったのは。


 青白い光と。


 どこまでも響く、海の泡の音だけだった。


挿絵(By みてみん)

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