第四十九話 この人で良かった
小屋の外では、雨上がりの雫が葉から落ちていた。
静かな昼。
湖の水面が、風に揺れている。
カインの傷は深かったが、リオンの治療のおかげで命に別状はなかった。
とはいえ、すぐ歩ける状態でもない。
「絶対安静だからね」
リオンは真剣な顔で言った。
「無理したらまた開くから」
「……はい」
カインは苦笑しながら頷く。
その数日間。
ラグナたちは、小屋で共に過ごすことになった。
「へぇー、ルミナスって甘いもの好きなんだ」
エルが笑う。
居間では、エル、ルミナス、フィリアの三人が並んで座っていた。
テーブルの上には、フィリアが淹れた温かいお茶。
窓から柔らかな光が差し込んでいる。
ルミナスは少しだけ視線を逸らした。
「……嫌いでは、ありません」
「これもイチゴジャムパンのおかげね」
エルが自慢げに笑う。
フィリアも小さく笑った。
以前より、少し表情が柔らかい。
その空気の中で。
エルがふと聞く。
「ねぇ」
フィリアが顔を上げる。
「どうしてカインを逃がしたの?」
静かな問い。
責める口調ではない。
純粋な興味だった。
フィリアは少し考える。
そして、窓の外を見ながら答えた。
「……私が、外の世界に興味あったのも本当」
小さな声。
「人間の国とか、街とか」
「見てみたかった」
ルミナスが静かに聞いている。
フィリアは続けた。
「でも」
少し笑う。
「カインが、聞いてた人間と全然違ったの」
エルが首を傾げる。
「違った?」
「うん」
フィリアは頷く。
「人間は怖くて、残忍だって聞いてた」
「魔族を見たら殺すって」
その声には、幼い頃から刷り込まれてきた恐怖が混ざっていた。
「でも、カインは……」
少し困ったように笑う。
「どう見ても、誰かを傷つけるような人じゃなかった」
ルミナスの瞳がわずかに揺れる。
エルがくすっと笑った。
「まぁ、分かる」
「あの人、お人好しよね」
「うん……」
フィリアは苦笑する。
「あの日も」
「困ってたあなたたちを、小屋に連れて帰って来ちゃうし」
エルが思い出して笑う。
「確かに」
「普通もっと警戒するわよね」
フィリアは小さく息を吐いた。
「あの時は、本当に困惑した」
「人間なのに、なんでそんなことするんだろって」
少しだけ俯く。
それから。
柔らかく笑った。
「……でも」
「やっぱり、この人で良かったって思う」
静かな言葉だった。
けれど、その声には確かな想いがあった。
ルミナスは、その横顔を静かに見つめる。
人間と魔族。
その間にあるものは、恐怖だけじゃない。
ちゃんと、 “好き”もあるのだと。
数日後。
カインが歩ける程度まで回復した頃。
ラグナたちは、再び森の奥の村へ向かっていた。
ルナが先導し、結界の森を進む。
その後ろを、フィリアとカインが並んで歩いていた。
カインはまだ少し顔色が悪い。
だが、その表情に迷いはなかった。
村が見えてくる。
その瞬間。
空気が変わった。
村人たちの視線。
ざわめき。
警戒。
特に、人間であるカインへ向けられる目は厳しかった。
カインも、それを感じている。
それでも、立ち止まらなかった。
フィリアがそっと彼の袖を握る。
カインは、小さく笑って頷いた。
「……大丈夫」
本当は、怖い。
それでも。
逃げなかった。
やがて、村長の家へ辿り着く。
扉の前。
村長は、すでに待っていた。
その隣には、数人の村人たちも居る。
静かな緊張。
フィリアが、小さく口を開く。
「……ただいま」
村長の目が揺れる。
長い沈黙。
やがて。
「……戻ったか」
低い声。
怒鳴らなかった。
追い返しもしない。
だが。
村人たちの空気は、まだ固い。
「人間を村へ入れるのか?」
「危険じゃないのか」
小さな声が漏れる。
カインは俯かなかった。
その時。
村長が静かに口を開く。
「……ラグナ」
「ん?」
「おぬしたち」
村長は四人を見渡す。
そして、ゆっくりと言った。
「しばらく、この村へ滞在してくれぬか」
ラグナが眉を上げる。
「俺たちが?」
「うむ」
村長は頷く。
「村の者たちも、不安なのじゃ」
「フィリアも」
「その人間も」
「本当に信用してよいのか、分からぬ」
重たい現実だった。
だが。
村長は続ける。
「……じゃが」
その視線は、ルミナスの紋章へ向く。
「魔王様が認めたおぬしたちなら」
「何か、変わるやもしれん」
静かな声。
それは。
この村が、ほんの少しだけ“変わろうとしている”音だった。




