第四十八話 泣いて生きるより
森を抜けた先。
小さな湖のほとりに、その小屋はあった。
木を組み合わせただけの簡素な家。
煙突から煙は出ていない。
ラグナは周囲を見回した。
「……静かだな」
エルが小さく眉を寄せる。
「ちょっと嫌な静かさね」
ルミナスも、何かを感じ取っていた。
生活の気配はある。
けれど、どこか張り詰めている。
その時。
小屋の扉が勢いよく開いた。
現れたのは、魔族の女だった。
以前会った時と同じ、黒い髪。
だが、その顔には疲労が浮かんでいる。
彼女は一瞬警戒した。
だが、ラグナたちを見ると目を見開く。
「……あなたたち」
ラグナが軽く手を上げる。
「久しぶり」
女は少しだけ安心したように息を吐く。
だがその直後、表情が曇った。
「どうした?」
ラグナが聞く。
女は迷うように俯く。
「……あの人が」
リオンが反応する。
「怪我を?」
女は頷いた。
「食料を探しに行った時、魔物に襲われて……」
その声は震えていた。
「追い払えたけど、傷が酷くて……」
リオンは即座に言う。
「診せて」
女は驚いたように顔を上げる。
だが、すぐに頷いた。
「こっち……!」
リオンはそのまま小屋の中へ駆け込む。
寝室。
ベッドに横たわる男。
腹部には布が巻かれている。
赤黒く染まった布。
顔色も悪い。
リオンの表情が変わる。
「……酷い」
すぐにロザリオを握る。
淡い光が部屋を照らした。
「大丈夫」
リオンは静かに言う。
「助かるよ」
その言葉に、女の肩がわずかに震えた。
安心したように、その場へ座り込む。
――
居間。
ラグナ、ルミナス、エルは、魔族の女と向かい合って座っていた。
窓の外では風が木々を揺らしている。
少し重たい沈黙。
その中で。
最初に口を開いたのはルミナスだった。
「……あなた達のお名前を聞いてもいいですか?」
優しい声。
女は少し驚いたように顔を上げた。
それから小さく答える。
「……私はフィリア、あの人はカインよ」
ルミナスの瞳が静かに揺れる。
ラグナも気づいた。
村長が探していた娘。
エルがそっと息を吐く。
フィリアは視線を落とした。
「……やっぱり、父に会ったのね」
ラグナは隠さず頷いた。
「ああ」
フィリアは苦笑する。
「怒ってたかしら?」
その問いに。
ラグナは少しだけ考えた。
だが答える前に、ルミナスが静かに口を開く。
「村長は、怖いと言っていました」
フィリアが顔を上げる。
ルミナスは続けた。
「人間を、信じ切れるわけではないと」
部屋が静まる。
フィリアの表情が曇る。
やはり、と思ったように。
けれど。
ルミナスは、そのまま優しく続けた。
「でも」
静かな声。
「娘が泣いて生きるよりはいい、と」
フィリアの目がわずかに見開かれる。
「……え」
「そう、言っていました」
その言葉は、静かにフィリアへ届いていく。
彼女はしばらく何も言えなかった。
ただ、視線が揺れている。
エルがそっと口を開く。
「心配してたわよ」
「すごく疲れた顔してた」
フィリアは俯いた。
「……戻るのが、怖かったの」
小さな声。
「カインを受け入れてもらえるか分からなかった」
窓の外を見る。
「人間と一緒に生きたいなんて言ったら……」
言葉が止まる。
ラグナは腕を組みながら言う。
「まぁ、すぐ全部上手くはいかねぇと思う」
フィリアが少し不安そうに見る。
ラグナは続けた。
「でもさ」
「話さねぇと、始まんねぇだろ」
真っ直ぐな言葉だった。
ルミナスも静かに頷く。
「私たちは、あなたたちを無理に連れ戻しには来ていません」
フィリアの目が揺れる。
「……じゃあ」
「あなたたち自身に、選んでほしいんです」
ルミナスは真っ直ぐフィリアを見る。
「どう生きたいのかを」
静かな空気。
フィリアは両手を握りしめる。
「……私は」
小さく震える声。
「本当は、帰りたかったわ」
ラグナたちは黙って聞く。
「でも、怖かったの」
「村のみんなに嫌われるのが」
「カインが傷つくのが」
涙が一滴、膝へ落ちる。
その時。
寝室の方から、小さな声が聞こえた。
「……フィリア」
全員が振り向く。
そこには、壁に手をつきながら立つカインの姿があった。
「カイン!?」
フィリアが駆け寄る。
リオンも慌てる。
「まだ動いちゃ駄目だよ!」
カインは苦笑した。
「……ごめん」
だが、その表情は以前よりずっと穏やかだった。
「少し、聞こえた」
フィリアが不安そうに彼を見る。
カインは静かに言った。
「……帰ろう」
その言葉に、フィリアの目が揺れる。
「でも……」
「怖いのは、僕も同じだ」
カインは正直に言った。
「でも」
フィリアの手を握る。
「僕は戦えないし、今度傷付くのはフィリアかもしれない」
「僕も君が泣いて生きるのは、嫌なんだ」
静かな声だった。
だが、そこには確かな覚悟があった。
ルミナスは、その光景を静かに見つめていた。
争わない世界。
それはきっと。
こういう小さな“向き合う勇気”から始まるのだと。




