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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第四章 新たな旅への序章
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第四十七話 結界の先の村

 森の入口まで来たところで、ラグナは足を止めた。


 目の前には深い木々。


 昼だというのに薄暗い。


 霧のような空気が漂っていて、その先へ進もうとすると感覚がぼやける。


 道が、分からない。


「……やっぱり普通には入れないんだな」


 ラグナが呟く。


 リオンは周囲を見回しながら、小さく頷いた。


「ナタージャさんの結界……」


 エルは静かにハープを抱え直す。


「前にルナが言ってたわね」


『歌が聞こえたら、迎えに行く』と。


 エルはゆっくりと息を吸い込む。


 そして。


 指先で弦を弾いた。


 ぽろん――


 柔らかな音色が、森へ溶けていく。


 静かな旋律。


 争うためではない。


 誰かへ“来たよ”と伝えるような音。


 風が吹く。


 木々がざわめいた。


 しばらくして。


 森の奥、揺れる茂みの向こうから、小さな影が現れる。


 黒髪の少女。


 ルナだった。


「……また来てくれたんだね」


 少し控えめな声。


 けれど、その瞳はどこか嬉しそうだった。


 ラグナが笑う。


「おう、久しぶり」


 ルナはゆっくり近づいてくる。


 以前より少し落ち着いた様子だった。


 ルミナスを見る。


「……ルミナスも」


「お久しぶりです」


 ルミナスが静かに頷く。


 ルナはその胸元で、ふと視線を止めた。


 黒銀色の紋章。


 空気が少し変わる。


 ルナの目が、わずかに見開かれる。


「それ……」


 ルミナスは紋章へ手を添えた。


「ナタージャ様から、お預かりしました」


 ルナはしばらく黙っていた。


 それから、小さく息を吐く。


「……そっか」


 その反応だけで十分だった。


 魔族にとって、それがどれだけ特別な物なのか伝わってくる。


 ルナは少しだけ視線を落とす。


「……ねぇ」


 静かな声。


「前に話した、人間と魔族の話……覚えてる?」


 ラグナたちは顔を見合わせる。


 人間の男と、魔族の女。


 共に暮らしていた二人。


 ラグナが頷いた。


「ああ」


 ルナは少しだけ迷うように唇を結んだ。


「……あの二人、逃げたんだ」


 空気が静かに変わる。


「村から?」


 リオンが聞く。


 ルナは頷く。


「人間の人、前は村の中に閉じ込められてたから」


「でも……」


 少し俯く。


「一緒に、いなくなっちゃった」


 エルが静かに目を細める。


「魔族の女の人と?」


「うん」


 ルナは小さく頷いた。


「そのことで、村長が疲れちゃってて……」


 その声には、本当に心配している色があった。


「助けてほしいの」


 ラグナはすぐ答える。


「分かった」


 即答だった。


 エルが苦笑する。


「早いわねぇ」


「困ってんだろ?」


「まぁ、そうだけど」


 ルナは少しだけ安心したように笑った。


「……ありがとう」


 そして振り返る。


「ついて来て」


 ルナの後を追って、四人は森の奥へ入っていく。


 霧のような空気が揺れる。


 普通なら迷うはずの森。


 だがルナの後ろを歩いていると、不思議と道が見えていた。


 やがて。


 木々の向こうに、小さな集落が見えてくる。


 森に溶け込むように作られた村。


 煙突から細く煙が上がっている。


 人の――いや、魔族たちの生活の匂いがした。


 ルミナスは静かにその景色を見つめる。


「……綺麗な場所ですね」


 ルナが少しだけ嬉しそうに頷く。


「うん」


 村へ入ると、何人かの魔族たちがこちらを見る。


 だが。


 ルミナスの胸元にある紋章へ気づいた瞬間、その空気が変わった。


 警戒が、静かに引いていく。


 その中の一人がこちらに駆け寄ってきた。


「あんたたち…」


 ラグナが振り返る。


 男は目を見開いていた。


「葬列を助けてくれた人間たちじゃないか」


「あ」


 エルが声を上げる。


 リオンも思い出したように頷いた。


「あの時の」


 男は深く頭を下げた。


「父を無事に送り出せたのは、あんたたちのおかげだ」


 その声を聞いて、近くにいた魔族たちも集まってくる。


「本当か?」


「葬列を助けてくれたっていう?」


「ありがとう」


「助かったよ」


 次々と向けられる感謝の言葉。


「だから言ったでしょ!」


 ルナは胸を張る。


「ラグナたちは良い人なんだから!」


「あの時、真っ先に動いたのはルミナスだ」


「俺はなんもしてねぇ」


 ラグナは頭をかきながら言った。


 魔族たちの視線が、ルミナスに向けられる。


挿絵(By みてみん)


「さすが魔王様が認めた人だ」


「村長のことも、どうかお願いします」


 魔族たちが笑っている。


 人間に向かって礼を言っている。


 争いも。


 憎しみも。


 そこにはなかった。


 こんな光景を、自分は知らなかった。


 ルミナスは静かに息を吞む。


「はい、私に出来ることをします」


 魔族たちに見守られながら、一軒の家へ向かう。


 他より少し大きい木造の家。


「……村長」


 小さく呼びかける。


 しばらくして。


 ゆっくりと扉が開いた。


 現れたのは、老いた魔族の男だった。


 深い皺。


 疲れた目。


 けれど、その奥には確かな強さが残っている。


 男は四人を見て――


 そして、ルミナスの胸元で視線を止めた。


 黒銀色の紋章。


 その瞬間。


 老いた瞳が、わずかに揺れる。


 静かな沈黙。


 やがて。


 男はゆっくりと頭を下げた。


「……魔王様の、客人か」


 低い声。


 そこにはもう、敵意はなかった。


 ルナが不安そうに村長を見る。


「……連れてきた」


 村長は小さく頷く。


 それから、ゆっくり四人へ視線を向けた。


「入るとよい」


 静かな声だった。


 だがその言葉は。


 閉ざされていた森の奥の村が、四人を受け入れた瞬間でもあった。


 村長に促され椅子に腰かける。


 少しの沈黙が流れた。

 

 ラグナが気まずそうに頭を掻く。


「えーと……なんか相談あるって?」


 村長は静かに頷く。


「……人間を、一人捕らえていた」


 四人の表情が変わる。


「以前、この村の近くの森に迷い込んだ男だ」


「処刑まではせなんだが、逃げられぬよう閉じ込めていた」


 リオンが小さく目を伏せる。


 村長は続けた。


「だが数ヶ月前に、逃げた」


「……一人ではない」


 空気が少しだけ張り詰める。


「わしの娘と共にな」


 エルとリオンが顔を見合わせる。


 ラグナは腕を組んだ。


「……あの二人か」


 人間の男。


 そして、共に暮らしていた魔族の女。


 以前出会った二人の顔が浮かぶ。


 村長は苦く笑う。


「娘は昔から、外に興味を持っていた」


「人間の話を聞きたがっておった」


「……愚かなものだ」


 そう言いながらも。


 その声には、怒りだけではない感情が混ざっていた。


 ルミナスは静かに尋ねる。


「連れ戻したいのですか」


 村長は答えない。


 代わりに、長い沈黙が落ちる。


 ラグナがそこで口を開いた。


「なぁ」


 村長が顔を上げる。


 ラグナは真っ直ぐ見返した。


「もしさ」


 少しだけ言葉を探す。


「……あんたの娘が、人間と一緒に暮らしたいって言ったら」


「受け入れるか?」


 静まり返る部屋。


 ルナが不安そうに村長を見る。


 村長は、すぐには答えなかった。


 深い皺の刻まれた手を見つめる。


 長い時間。


 そして、ぽつりと呟いた。


「……本音を言えば、怖い」


 その声は静かだった。


「人間を信じ切れるわけではない」


「昔から、そう教わって生きてきた」


 ラグナたちは黙って聞く。


 村長はゆっくりと目を閉じた。


「だが」


 小さく息を吐く。


「娘が泣いて生きるよりはいい」


 その言葉に、ルナが目を見開く。


 村長は続けた。


「元気な姿を……見られるなら」


 その声には、確かな親の感情があった。


 完全に受け入れたわけじゃない。


 恐れも、偏見も、まだある。


 それでも。


 歩み寄ろうとしていた。


 ルミナスは、その姿を静かに見つめる。


 ラグナは小さく笑った。


「……そっか」


 村長は目を細める。


「頼めるか」


「娘を探してほしい」


「できれば……話をしたい」


 ラグナは頷いた。


「分かった」


 即答だった。


 エルが苦笑する。


「ほんと即決よね」


「困ってるんだろ?」


「まぁ、そうだけど」


 リオンも静かに頷いた。


「……行こう」


 ルミナスは胸元の紋章に触れる。


 冷たかったはずの金属が、少しだけ温かく感じた。


 これが、最初の一歩。


 人間と魔族。


 その間に立つ旅。


 ラグナが立ち上がる。


「よし」


 剣を肩に担ぐ。


「じゃあ、あの二人探しに行くか!」


 ルナがラグナを見る。


「名前、覚えてる?連れ帰って来てね」


 ラグナはルナを見返して言う。


「フィリアだろ、どうするかはあいつら次第だな」


 村長の目が、わずかに揺れる。


 けれど。


 今度は否定しなかった。


 外では、夕方の風が森を揺らしている。


 その音を聞きながら。


 四人は再び、新しい旅路へ歩き出そうとしていた。

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