第四十二話 五百年前の勇者
魔王城、玉座の間。
高い天井の奥で、炎が静かに揺れている。
広間は広大だった。
けれど、不思議と威圧感だけではない。
静かだった。
まるで、長い時間そのものが眠っているような空気。
玉座に座る女。
魔王ナタージャ。
紅い瞳が、まっすぐルミナスを見つめていた。
「……来たか」
低く、静かな声。
その響きだけで空気が震える。
ラグナは剣の柄へ手を置く。
エルはハープを抱え。
リオンはロザリオを握る。
けれど誰も、動かなかった。
ナタージャは四人を見渡し、最後にルミナスへ視線を戻す。
「良い眼をしておる」
ルミナスは、一歩前へ出た。
逃げない。
その瞳は真っ直ぐだった。
「はい」
短い返事。
ナタージャはわずかに口元を緩める。
「……では聞こう」
長い黒髪が揺れる。
「ルミナスよ」
「おぬしは、わらわを討ちに来たのか?」
静寂。
広間の空気が止まったようだった。
ラグナたちも、黙ってルミナスを見る。
だが。
ルミナスは、すぐには答えなかった。
代わりに。
静かに問い返す。
「……あなたは」
淡青の瞳が、ナタージャを見据える。
「なぜ、勇者を生み出すのですか」
その瞬間。
ナタージャの目が、わずかに細くなった。
予想していたようでもあり。
少しだけ、懐かしそうでもあった。
「……そうか」
静かな声。
「そこへ辿り着いたか」
玉座に深く腰掛ける。
そして魔王は、ゆっくりと語り始めた。
「わらわもな」
その声は、どこか遠い。
「かつては“勇者”だった」
ルミナスの瞳が揺れる。
ラグナが目を見開く。
エルも、リオンも息を呑んだ。
だがナタージャは淡々と続ける。
「今のおぬしと、そう変わらぬ」
炎が揺れる。
「王に命じられた」
『魔王を討て』
『人類の敵を滅ぼせ』
『世界を救え』
その言葉を、何度も聞いた。
「だが、わらわには分からなかった」
ナタージャは静かに言う。
「なぜ、魔王を討たねばならぬのか」
ルミナスが、静かに目を見開く。
それは。
かつて、自分が抱いた疑問と同じだった。
ナタージャは続ける。
「ゆえに、わらわは一人で旅をした」
「誰の言葉でもなく、自分の目で世界を見るためにな」
その瞳が、遠い昔を見る。
――小さな村。
畑を耕す魔族。
その隣で遊ぶ人間の子ども。
笑い声。
夕暮れ。
暖かな食卓。
――別の町。
魔族を憎み、略奪を繰り返す人間たち。
燃える家。
泣き叫ぶ子ども。
――そして。
傷ついた人間を助ける魔族。
魔族をかばって死んだ人間。
「……旅をして、分かった」
ナタージャの声は静かだった。
「人間も、魔族も、変わらぬ」
「優しい者も居れば、愚かな者も居る」
「争いを望む者も居れば、誰かを守りたいだけの者も居る」
ルミナスは、その言葉を静かに聞いていた。
まるで、自分の旅路を見ているようだった。
ナタージャは続ける。
「だが当時の世界は、今より遥かに酷かった」
空気が、少しだけ重くなる。
「わらわが生まれるより遥か昔」
「人間と魔族の間で、大戦争が起きた」
リオンの表情が変わる。
ナタージャの紅い瞳が揺れる。
「歴史に残るほどの大戦じゃ」
「大地が焼け」
「街が滅び」
「山ほどの死者が出た」
その声は淡々としている。
だからこそ重い。
「その戦争で、魔物と死霊が大量に生まれた」
エルが小さく息を呑む。
「魔族が死ねば魔物となり」
「人間が死ねば死霊となる」
「憎しみが新たな憎しみを生み、争いは終わらなかった」
ナタージャは静かに目を伏せる。
「だが」
「決着はつかなかった」
ラグナが顔を上げる。
「……え?」
「どちらも滅びなかった」
ナタージャは静かに言う。
「勝者など居なかったのじゃ」
「残ったのは、互いへの憎しみだけ」
その言葉が、広間へ重く落ちる。
ルミナスは静かに拳を握った。
ナタージャは続ける。
「そして当時の魔王は、理解した」
「争っても、何も終わらぬとな」
静かな声。
「だから戦争をやめた」
「自ら動くことをやめ、勇者を待ち続けた」
ラグナが眉をひそめる。
「……なんでだよ」
ナタージャは、ゆっくりラグナを見る。
「変えられなかったからじゃ」
その一言は、驚くほど静かだった。
「魔王である限り、人間は恐れる」
「恐れは争いを生む」
「ならば、自分とは違う誰かに託すしかなかった」
炎が揺れる。
ナタージャの瞳が、ほんの少しだけ遠くなる。
「そして、わらわが辿り着いた」
――魔王城。
玉座の間。
そこで待っていた魔王は、戦う気配すら見せなかった。
『……そうか』
静かな声。
『おぬしは、そういう目をしておるか』
当時の勇者だったナタージャは、剣を向けた。
だが。
『人間も魔族も、変わらぬ』
そう告げた時。
魔王は笑った。
『ならば、おぬしに託そう』
『次を』
――そして。
ナタージャは魔王を討った。
その瞬間。
勇者は消え。
新たな魔王が生まれた。
広間に静寂が落ちる。
ルミナスは、じっとナタージャを見ていた。
「……あなたは」
静かな声。
「後悔しているのですか」
ナタージャは少しだけ目を細めた。
「分からぬ」
長い沈黙のあと、そう答える。
「五百年は長すぎた」
「だが」
紅い瞳が、ルミナスを見る。
「それでも、わらわは待っていた」
「かつてのわらわとは違う勇者を」
空気が揺れる。
ルミナスの胸が、わずかに苦しくなる。
ナタージャは静かに立ち上がった。
黒い衣が揺れる。
圧倒的な魔力。
それでも、そこに敵意はない。
魔王は玉座の階段を降りながら、ルミナスの前へ立つ。
「……では」
紅い瞳が、真っ直ぐ彼女を映す。
「ルミナスよ」
静かな問い。
けれど、この世界の未来そのものを問う声。
「おぬしは」
「わらわを討つか?」




