第三話 初めて認められた力
街の夕暮れは、どこか落ち着かない色をしていた。
市場の喧騒は賑やかなのに、空気の底に薄い不安が沈んでいる。誰もが“あの廃墟”の方角を、無意識に避けているからだ。
そんな中、ラグナはひとりの少年を見つけた。
灰色の布をすっぽりとかぶり、顔を隠した小さな影。
パンと干し肉を抱え、誰とも目を合わせないように歩いている。
「……おい」
ラグナが声をかけた瞬間。
びくり、と肩が跳ねた。
少年は振り返らない。けれど、逃げる準備だけは完璧だった。
「待て、別に——」
言い終わる前に、少年は駆け出した。
人混みをすり抜け、細い路地へと消えていく。
「……なんだ、あいつ」
追いかけようとして、ラグナは足を止めた。
ただの逃げ方じゃない。あれは——“慣れている”。
結局その日は、少年を見失った。
代わりに、酒場で聞いた話がひとつ。
「ああ、そのガキか? 灰色の布のやつだろ。あいつな……あの城に住んでるらしいぜ」
「城?」
「ほら、北の外れの。とっくに滅んだ、あの廃墟だよ」
誰かが、嫌そうに顔をしかめた。
ラグナは何も言わず、席を立った。
——翌朝。
街を抜け、荒れた道を進むと、やがてそれは姿を現した。
朽ちた城。
壁は崩れ、塔は折れ、空に向かって骨のように突き出している。
門の前に、ひとつの影があった。
男だ。鎧を着ている。
だが、その姿勢はおかしい。力なく崩れ、門に寄りかかっている。
ラグナはゆっくり近づく。
「……」
男は動かない。
目も、ラグナを追わない。
ただ、そこに“ある”だけの死霊。
生者ではない。だが、敵意もない。
ラグナは一瞬だけ警戒し——そのまま門をくぐった。
その直後だった。
空気が、変わる。
ざわり、と。
見えない何かが、ざらついた手で背中を撫でた。
「来るか……!」
次の瞬間、影が溢れた。
兵士の死霊たち。
崩れた鎧、空洞の目、錆びた剣。
一斉に、ラグナへ襲いかかる。
剣が閃く。
ひとつ、またひとつと切り伏せる。
だが、倒しても終わらない。
霧のように揺らぎ、また立ち上がる。
「チッ、数が多い……!」
歯を食いしばり、ラグナは進む。
奥へ、奥へ。
やがて辿り着いたのは——かつて庭園だった場所。
草は枯れ、噴水は砕け、静寂だけが支配している。
そして、その中央に。
ひときわ大きな影が立っていた。
巨体。重厚な鎧。
手には巨大な大剣。
兵士長。そう呼ぶにふさわしい威圧。
「……お前が、ボスか」
低く呟いた瞬間、死霊は剣を構えた。
戦いは激しかった。
重い一撃が地面を砕き、風を裂く。
ラグナの剣も幾度も叩き込まれるが、決定打にはならない。
そして——
「ぐっ……!」
ついに一撃を受け、ラグナは膝をついた。
視界が揺れる。身体が軋む。
終わるか——そう思った、その時。
ふわり、と。
背中に、何かが触れた。
温かい。
まるで、春の光をそのまま手のひらにしたような感触。
傷が、消えていく。
「……なに……?」
振り返る。
そこにいたのは——
あの少年だった。
灰色の布の奥から覗く、不安そうな瞳。
手にはロザリオ。かすかに光を帯びている。
「お前……ヒーラーなのか!」
ラグナは思わず声を上げた。
「あっという間に傷が治った…。すごいな!!」
その言葉を聞いた瞬間。
少年の顔が、ぱっと明るくなった。
まるで、長い夜が終わって朝が来たみたいに。
「……え……あ……」
言葉にならない声。
でも、その表情だけで十分だった。
だが、ラグナが再び剣を握り、兵士長へ向き直ろうとした時。
「待って!」
小さな声が、強く響いた。
「もう止めて。ここは僕にまかせて。」
「なに……?」
少年は一歩、前へ出る。
震えている。
でも、逃げない。
ゆっくりと、兵士長の死霊へ歩み寄る。
「この人は……悪い人じゃないんだよ」
優しく、語りかけるように。
「お願いだから……戦うのやめて。」
静寂が落ちた。
風も、音も、すべてが止まる。
そして。
兵士長は——動いた。
大剣を持ち上げ。
一瞬、ラグナは身構える。
だが、その剣は。
ゆっくりと、鞘に納められた。
そして、その巨体は。
静かに——膝をついた。
「……!」
ラグナの目が見開かれる。
戦っても屈しなかった存在が、たった一言で。
少年は振り返る。
その顔には、信じられないという戸惑いと——
ほんの少しの、誇らしさ。
「……すごいな、お前」
ラグナは、心からそう言った。
「傷を癒すだけじゃない。あいつを……止めた」
少年の目が揺れる。
「すごいよ。本当に」
その一言で。
何かが、決壊した。
「……っ……」
ぽろり、と。
涙がこぼれた。
「ぼく……ぼく……」
初めてだった。
この力を、誰かに認められたのは。
初めてだった。
“すごい”と、言ってもらえたのは。
少年はその場で泣き崩れた。
声を押し殺すこともできず、ただ、溢れるままに。
ラグナは何も言わず、ただ隣に立つ。
崩れた庭園に、ひとつだけ確かなものが生まれていた。
それは剣でも、力でもない。
誰かを救うための、はじまりの光だった。




