↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/118

第四話 門を守るもの

2026.09.26 改訂しました。

挿絵(By みてみん)


 崩れた庭園に、風が吹いていた。


 枯れ草が擦れ、噴水の縁に溜まった砂が流れていく。

 兵士長の死霊は片膝をついたまま、静かに頭を垂れていた。


 その前で、少年はようやく顔を上げた。


「……すみません。取り乱してしまって……」


「気にするな」


 ラグナは隣に座ったまま答えた。


 少年は目元を拭い、被っていた灰色の布を肩へ下ろした。

 押さえられていた緑色の髪が、風に揺れる。


 顔をきちんと見るのは、初めてだった。

 自分より、いくらか年下だろうか。まだ赤みの残る緑の瞳が、落ち着かなそうにこちらを窺っている。


「そういや、名前も聞いてなかったな」


 ラグナは自分の胸を指した。


「俺はラグナ。お前は?」


「僕はリオン……です」


 名を告げてから、最後の一言を継ぐまでに、わずかな間があった。


 リオンの視線が横へ泳ぐ。

 何か言い足そうとした唇が、そのまま閉じられた。


 ラグナはその様子を見たが、尋ねなかった。


「リオンか。さっきは本当に助かった」


「……いえ」


 リオンは俯き、胸元のロザリオに触れた。

 口元がほんの少し緩んだのを見て、ラグナは立ち上がった。


 ズボンについた砂を払う。

 右肩を動かしても、もう痛みはなかった。


 リオンもその隣で立ち上がったが、すぐには歩き出さなかった。

 ロザリオに指を添えたまま、何かを考えている。


「どうした?」


「……あの」


 促されて、リオンは顔を上げた。


「ひとつ、お願いしてもいいですか」


「ああ」


「一緒に……会ってほしい人がいるんです」


 その指先に、わずかに力がこもった。


「門のところに、鎧を着た人がいませんでしたか?」


「いたな。近付いても動かなかった奴だろ」


 リオンが頷く。


「僕、昔……この城で、お姫様に会ったんです」


「お姫様?」


「はい。もう、亡くなっていた人なんですけど……」


 リオンは手の中のロザリオへ目を落とした。


「その人に、頼まれたことがあるんです」


 それは、リオンがまだ幼かった頃のことだった。


 城の奥に、ひっそりと残された一室。

 傾いた扉の隙間から覗くと、窓辺にひとりの女性がいた。


 透き通る身体。

 淡く揺れる髪。


 床に落ちる日の光は、その姿を通り抜けていた。


 女性はリオンに気付くと、ゆっくりと振り向いた。


『……あなたが、あの人の子ね』


 父のことを言っているのだと分かった。


 リオンは扉の陰に立ったまま、頷いた。

 何かを期待されるのが、怖かった。


「……でも、僕は何もできません」


 声が小さくなる。


 女性は責めなかった。

 ただ、寂しそうに微笑んだ。


『いいのよ』


 そう言って、窓の外へ目を向けた。


『私もね、本当は……一番癒したかった人の側に、いられなかったの』


 リオンは、その横顔を見つめた。


 笑っているのに、悲しそうだった。

 かける言葉が見つからず、扉から一歩だけ部屋へ入る。


『あの人は……きっと今も、城の門を守っているわ』


 窓の向こうには、城門が見えていた。


 女性はしばらくそこを見つめてから、リオンへ向き直った。


『お願い。あの人を、救ってあげて』


「僕が……ですか?」


 女性が頷く。


 リオンには、どうすればいいのか分からなかった。

 父の期待にも応えられない自分に、そんなことができるとは思えなかった。


 けれど、目の前の人は真剣だった。


 リオンは迷いながらも、頷いた。


 女性は胸元へ手を伸ばした。

 首から外されたロザリオが、差し出されたリオンの手にそっと重なる。


 その重みは、確かにあった。


『私の代わりに、たくさんの人を助けてあげてね』


 ロザリオを包む指先から、淡い光が広がった。


 掌へ。

 腕へ。

 そして、胸の奥へ。


 温かさが、ゆっくりと満ちていく。


『あなたなら……きっと、できる』


 リオンはロザリオを握った。


 女性の言葉に、今度は声を出して応えようとした。

 けれど、胸がいっぱいになって、うまく声にならなかった。


「……それから、何度も門へ行きました」


 リオンは静かに続けた。


「話しかけても、触れてみても……何も返してくれなくて」


 庭園を抜ける風に、肩の布が揺れた。


「お姫様に頼まれたのに、僕はずっと、何もできないままで……」


 声が途切れる。


 ラグナは急かさず、次の言葉を待った。


「ラグナさんに来てもらって、何か変わるかは分かりません。でも……」


 リオンが顔を上げる。


「もう一度、話しかけてみたいんです。一緒に来てもらえませんか」


「いいぞ」


 リオンが瞬いた。


「……いいんですか?」


「ああ。門だろ? 行こう」


 ラグナが歩き出すと、少し遅れて足音が続いた。


 門衛の死霊は、朝と同じ場所にいた。


 門の脇に座り込み、頭を垂れている。

 鎧の表面には汚れがこびりつき、その下の身体は薄く揺らいでいた。


「……この人です」


 リオンが足を止めた。


 ラグナは男の前に屈み、顔を覗き込んだ。

 やはり、目は合わない。


「いつも、こうなのか?」


「はい」


 リオンも隣に膝をついた。


「……聞こえますか」


 呼びかけても、男は動かなかった。


「お話を、させてもらえませんか」


 返事はない。


 リオンの指が、ロザリオを握り直す。

 ラグナはその手元と男の顔を見比べ、少し考えた。


「リオン。手、貸せ」


「え?」


 差し出された手を、リオンが見つめる。


「なんとなくだけど……一人じゃ駄目でも、二人なら届くかもしれないだろ」


 確信があるわけではなかった。


 それでも、もう一度話しかけたいと願ったリオンを、ひとりでこの沈黙に向き合わせたくはなかった。


 リオンは左手にロザリオを持ち、空いた右手を重ねた。


 剣を握っていた掌は硬く、温かかった。

 握り返されると、強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。


 ラグナは男へ向き直った。


「……なあ」


 反応はない。


 それでも、今度はそのまま言葉を続けた。


「聞こえてるか。こいつ、お前と話がしたいんだ」


 重ねた手の間で、リオンの指が動いた。


 男の輪郭が、かすかに揺らぐ。


 やがて、垂れていた頭が持ち上がった。


『……俺は……』


 長く使われていなかったような、かすれた声だった。


『才能を見込まれ……期待されていたのに……』


 リオンが息を呑む。


『何の役にも、立てなかった……』


 初めて返ってきた言葉だった。

 けれど、こちらへの答えというよりも、ずっと胸の内で繰り返してきた呟きのようだった。


 ラグナは男を見つめた。


「……お前、本当は誰の役に立ちたかったんだ?」


 男の唇が止まる。


『……誰の……』


 何かを探すように、視線が彷徨った。


『覚えていない……ただ、多くの人の期待に……応えられなかった……』


 その声に、リオンは胸元のロザリオを握った。


 隣にいるラグナの手を、そっと離す。


「……あなたのことを、心配していた人がいました」


 ロザリオを持ち上げる。

 鎖の先で、淡い光が揺れた。


 男の目が、そこに留まった。


『……なぜ』


 低い声だった。


『なぜ、それをお前が持っている』


 男が立ち上がった。


 鎧が鳴る。

 その手が剣の柄へ伸びた瞬間、ラグナも動いていた。


「リオン、下がれ!」


 リオンを背へ庇い、剣を抜く。


 振り下ろされた刃を、踏ん張って受け止めた。


 鋭い音が、門の内側に響いた。


「待て……! これは、本人からこいつに託されたものだ!」


 重なった刃の向こうで、男の目が揺れる。


 ラグナは剣を支えたまま声をかけた。


「そうだよな、リオン」


「……はい」


 返ってきた声は震えていた。


 それでもリオンは逃げず、ラグナの背後から一歩、横へ出た。


「お姫様に、言われたんです」


 ロザリオを胸へ寄せる。


「自分の代わりに、たくさんの人を助けてほしいって」


 男を見上げた。

 窓辺にいた女性の表情を、思い出しながら。


「一番癒したかった人の側に、いられなかったって……」


 刃を押す力が、弱まった。


「だから、あなたを救ってほしいと……僕に」


 男は動かなくなった。


 風だけが、三人の間を通り抜ける。


 やがて男は、自らの剣へ視線を落とした。

 ゆっくりと刃を引き、下ろしていく。


『……彼女が、言いそうなことだ』


 ラグナも剣を下げた。


 男はもう、ロザリオを奪おうとはしなかった。

 それを握るリオンを、静かに見つめていた。


『……確かに、感じる』


 その声から、先ほどまでの険しさが薄れていく。


『微かにだが……お前から、彼女の力を』


 リオンは何も言わず、頷いた。


『受け継がれたのだな』


 男が目を伏せる。


 それまで固く結ばれていた口元が、わずかに緩んだ。


『……なら、もういい』


 剣が鞘へ戻された。


 男はラグナとリオンを順に見てから、口を開いた。


『俺には、特別な力が備わっている』


 かすれてはいたが、先ほどよりも確かな声だった。


『必要になった時に、来るといい』


 そう告げて、再び門の脇へ腰を下ろす。


 けれど今度は、頭を垂れなかった。

 その目は、門から外へ続く道に向けられていた。


 ラグナはしばらく男を見つめ、それから剣を収めた。


「……これでいいのか?」


 リオンはすぐには答えなかった。


 目の前にいる人は、消えていない。

 城の門を離れたわけでもない。


 それでも、呼びかけには声が返ってきた。

 お姫様の話を聞いて、その表情が和らいだ。


「……まだ、全部は分かりません」


 リオンは静かに言った。


「でも……今度は、話を聞いてもらえました」


「ああ」


 ラグナが頷く。


 リオンは男へ向き直り、頭を下げた。


「また、来ます」


 男は黙っていた。

 ただ一度、その目がリオンへ向けられた。


 門を離れたところで、リオンは足を止めた。


「ありがとうございました、ラグナさん」


「礼はいらない。俺も助けてもらったしな」


 ラグナは城を振り返った。


 崩れた壁。

 その向こうに続く、薄暗い回廊。


「……これから、どうする?」


 リオンはロザリオに触れた。


 この城の中なら、どこへ行けば誰がいるのか分かる。

 街へ出ても、必要なものを買ったら、すぐにここへ帰ってきた。


 外へ続く道を、こんなふうに立ち止まって見ることはなかった。


「僕……外の世界へ、行きたいです」


 口にしてから、自分の言葉を確かめるように、もう一度道を見る。


「たくさんの人を、助けたいんです」


 怖さがなくなったわけではない。


 知らない人に会えば、また俯いてしまうかもしれない。

 力を使うことを、ためらうかもしれない。


 それでも、傷の治った肩を動かして笑ったラグナの顔が、胸に残っていた。


 あんなふうに誰かを助けられるのなら。


 ここから、出てみたかった。


 ラグナは頷いた。


「じゃあ、一緒に来い」


「……え?」


「俺も旅の途中なんだ。お前がいてくれたら、心強い」


 リオンはラグナを見つめた。


「……いいんですか。僕が、一緒でも」


「ああ」


 返事に、迷いはなかった。


 リオンはロザリオから手を離した。


「……行きたいです。一緒に」


「よし。じゃあ、支度してこい」


 ラグナは門の脇を指した。


「ここで待ってる」


 ほどなくして、荷物をまとめたリオンが戻ってきた。


 門衛の前で足を止め、一度、頭を下げる。

 それから、待っていたラグナのもとへ歩み寄った。


「お待たせしました」


「忘れ物はないか?」


「はい。大丈夫です」


 ラグナが歩き出す。


 リオンもその後へ続こうとしたとき、ふと、ラグナが振り向いた。


「あ、それと」


「はい?」


「敬語じゃなくていいぞ」


 何でもないことのように言った。


 リオンは口を開き、言葉を探した。

 いつもの返事が出かかって、止まる。


 ラグナは急かさずに待っていた。


 リオンは少しだけ戸惑った顔のまま、それでも笑った。


「……うん!」


 数歩進んで、ラグナの隣に並ぶ。


 二人の足音が、城から続く石畳に重なった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。