第三十七話 胸の奥に残る炎
山道を抜けた先。
小さな村が見えてきた。
木造の家々。干された洗濯物。畑を耕す人影。遠くで鳴く鶏の声。
どこにでもあるような、静かな村だった。
けれど。
「……帰ってきたな」
ラグナの声は、いつもより少しだけ静かだった。
エルが周囲を見回す。
「いいところね」
「空気がやわらかいです」
ルミナスも小さく頷く。
リオンは少し緊張したようにロザリオを握っていた。
その時だった。
「――ラグナぁぁぁ!!」
怒鳴り声のような大声。
次の瞬間。
村の奥から、大柄な男が猛スピードで走ってきた。
茶色い髪に無精髭。腕は丸太みたいに太い。四十代くらいだろうか。
男はそのままラグナの頭を拳でぐりぐり押し潰した。
「いっでぇ!? なにすんだよおっさん!!」
「うるせぇ! 急に旅に出やがって!! しかも何ヶ月も帰ってこねぇとはどういう了見だ!!」
「ぐぇぇぇ!! 首! 首しまる!!」
エルが吹き出す。
リオンは目を丸くしていた。
ルミナスはきょとんとしている。
男はようやくラグナを解放すると、大きくため息を吐いた。
「……ったく」
その目が、少しだけ赤い。
「無事ならいい」
ラグナは頭を押さえながら笑う。
「心配しすぎなんだよ、ガルド」
ガルド。
それが男の名前だった。
「つーか誰がおっさんだ、誰が」
「おっさんはおっさんだろ」
「このガキ……」
睨み合う。
だが、その空気はどこかあたたかい。
ガルドは三人へ視線を向けた。
「……そっちは?」
ラグナが胸を張る。
「旅の仲間だ」
「雑だなお前!」
エルが一歩前へ出た。
「あたしはエル! 吟遊詩人よ!」
「僕はリオンです……」
「私はルミナスです」
ガルドは順番に見て、それからニヤリと笑った。
「へぇ。ちゃんと仲間連れて帰ってくるとはな」
ラグナは得意げだ。
「だろ?」
「調子に乗るな」
また拳が落ちた。
「いっっっでぇ!!」
村にはすぐ噂が広がった。
「ラグナが帰ってきた!」
「本当に旅してたのか!」
「背ぇ伸びたな!」
子どもたちが集まり、大人たちが笑う。
ラグナは照れ臭そうに頭を掻いていた。
その姿を見て、ルミナスは静かに思う。
――帰る場所。
それは、こういうものなのかもしれないと。
夕方。
ガルドの家。
木の匂いがする広い家だった。
机には料理が並び、エルは目を輝かせている。
「すごい……!」
「食え食え。ラグナの仲間なら遠慮はいらねぇ」
「やったー!」
エルが勢いよくパンを取る。
リオンはおそるおそるスープを飲み――
「……おいしい」
小さく呟いた。
ガルドはふっと笑う。
「そりゃよかった」
ルミナスは料理を見つめながら尋ねる。
「ガルドさんは、ラグナと長いのですか?」
「あ?」
ガルドは酒を飲みながら頷く。
「まぁな」
ラグナが口を挟む。
「こいつ、昔から口うるさいんだよ」
「誰のおかげで飯食えてたと思ってんだ」
「うっ……」
エルが笑う。
「ラグナ、弱いところあるのね」
「うるせぇ!」
賑やかな食卓。
その中で。
ふと、リオンが尋ねた。
「ラグナって、小さい頃どんな子だったの?」
ラグナが止まる。
「……んー」
少し考えて。
「覚えてねぇ」
ルミナスが顔を上げる。
「覚えていない?」
「ああ」
ラグナはあっさり言った。
「小さい頃のことは、ほとんど」
ガルドの手が、わずかに止まる。
ラグナは気づいていない。
「気づいた時にはこの村にいたし」
笑いながら続ける。
「昔から剣振ってた記憶しかねぇや」
その言葉に。
ガルドは静かに酒を飲んだ。
夜。
皆が眠った後。
鍛冶場には熱気が残っていた。
壁に丁寧に並べられた剣。
ガルドは椅子に座り、無言で刃物を研いでいる。
シャッ、シャッ、と音が響く。
そこへ。
「……眠らないのですか」
ルミナスが現れた。
ガルドは少し驚き、それから苦笑する。
「嬢ちゃんか」
「眠れなかったのか?」
「少し」
ルミナスは鍛冶場を見回す。
「ここは?」
「俺の仕事場だ」
剣を持ち上げる。
「武器を作ったり手入れしたりしてる」
ルミナスは静かに頷いた。
それから。
「ラグナについて、聞いてもよろしいですか」
ガルドの手が止まる。
しばらく沈黙。
やがて、低い声で話し始めた。
「……あいつの故郷はな」
「魔物に滅ぼされた」
ルミナスは黙って聞く。
「俺はたまたま近くを通ってた」
夜だった。
燃える村。
悲鳴。
壊れた家。
その中を、一人で歩く男。
そして。
瓦礫の近くで倒れていた、小さな子ども。
『……生きてる』
血まみれだった。
だが、息はあった。
ガルドはその子を背負い、走った。
後ろでは魔物の咆哮が響いていた。
「……それが、ラグナだ」
ルミナスの瞳が揺れる。
「でもな」
ガルドは苦く笑った。
「あいつ、自分の故郷のことを全然覚えてねぇんだ」
「思い出も、親の顔も」
「覚えてたのは自分の名前だけだ」
作業場に静かな音だけが残る。
「この村に来てから」
ガルドは続ける。
「急に、剣を振り始めた」
「毎日毎日、狂ったみてぇに」
朝も。
昼も。
夜も。
小さな身体で、何度も剣を振る。
転んで。
手が裂けて。
それでもやめなかった。
「何かに取り憑かれたみたいだった」
ガルドは目を細める。
「そんで、急に言い出した」
低く、静かな声。
『俺、魔王を倒す』
その時のラグナの目を、今でも覚えている。
勇者の力が無いと分かっても、関係なかった。
静かに消えることのない燃える目をしていた。
「……止められなかったよ」
ガルドは笑った。
少し寂しそうに。
「夜中になっても、隠れて素振りしてやがった」
「ガキにはまだ早ぇって何度怒鳴ってもな」
ガルドは、研いでいた剣を見つめる。
「たぶん、あいつ自身にも分かってねぇんだろうな」
「なんでそこまで、魔王を倒したいのか」
ルミナスは、静かに目を伏せる。
鍛冶場では再び、シャッ、シャッ、と音が響く。
遠くの部屋では、ラグナが微かに寝息を立てて眠る。
まるで何も知らない子どもみたいに。
けれど、その胸の奥には。
消え残った炎が、ずっと燃えているのかもしれなかった。




