第三十二話 朝露と小さな共通点
朝は、音もなく森に差し込んできた。
夜の湿り気を含んだ空気が、ゆっくりと光にほどけていく。
葉の先に残った露が、ひとつ、またひとつと落ちる。
ラグナは目を覚ますと、軽く伸びをした。
「……朝か」
まだ焚き火の名残が、かすかに温もりを残している。
少し離れたところでは、ルナがもう起きていた。
手に小さなカゴを持っている。
「おはよう」
リオンが眠そうに目をこすりながら言う。
「おはよ……」
エルも続く。ハープを抱えたまま、まだ半分夢の中だ。
ルミナスはすでに起きていた。
静かに、森の奥を見ている。
ルナが振り返る。
「あ……おはよう」
「おう」
ラグナは立ち上がる。
「何してんだ?」
ルナはカゴを少し持ち上げた。
「食料、取りに行こうと思って」
「木の実?」
エルがぴくっと反応する。
「うん」
「行く!」
即答だった。
ラグナが苦笑する。
「だろうな」
リオンも立ち上がる。
「僕たちも手伝うよ」
ルナは一瞬迷ったが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう」
――
森の中は、朝の光でまだらに染まっていた。
完全な明るさにはならず、影が優しく残っている。
ルナは慣れた足取りで進みながら、木々を見上げる。
「この辺り……あるはず」
そう言って、一つの低い木の前で止まった。
小さな赤い実が、いくつもなっている。
エルの目が輝く。
「かわいい……!」
「食べられるよ」
ルナが一つ取って、差し出す。
エルは恐る恐る口に入れて――
「……あまい」
ふわっと笑う。
その表情は、朝の光よりもやわらかい。
「これいっぱい集めよ!」
すぐに動き出す。
ラグナは木の上を見て、軽く跳んだ。
枝に手をかけ、そのまま体を持ち上げる。
「上のほう、でかいのあるぞ」
「ほんと!?」
エルが下で手を広げる。
ぽと、ぽと、と実が落ちる。
リオンはその間を縫うように、丁寧に拾ってルナのカゴに入れていく。
「踏まないようにね」
静かな気遣い。
ルナはそれを見て、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「……みんな、慣れてるね」
「旅してるからな」
ラグナが上から言う。
「食えるもん見つけるのは得意だ」
そのやり取りの少し外で。
ルミナスは、一つの実を手に取っていた。
じっと見つめる。
形、色、匂い。
そして、口に運ぶ。
「……」
わずかに、目が細くなる。
「甘い、ですね」
その声に、ルナが振り返る。
「……うん」
少しだけ、間があった。
ルミナスは手の中の実を見つめたまま、言う。
「栄養も、問題なさそうです」
「毒もない」
「……ちゃんと、選んでいるのですね」
ルナは少しだけ首をかしげる。
「……当たり前じゃない?」
素直な返答。
ルミナスは、その言葉を受け止める。
「……そうですね」
少しだけ間を置いて、続ける。
「生きるために、必要な判断です」
ルナは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……ルミナスって」
「はい」
「なんでも、ちゃんと考えてるね」
ルミナスは一瞬だけ言葉を探す。
「……考えなければ、分からないことが多いので」
正確な答え。
けれど――
ルナは、小さく笑う。
「分からないこと、あるんだ」
「あります」
迷いなく答える。
「多く」
その言葉に、ルナは少しだけ安心したような顔をした。
「……よかった」
「よかった?」
ルミナスが聞き返す。
「うん」
ルナは実を一つ取って、くるくると指で回す。
「なんか……全部分かってるみたいだったから」
ルミナスは、その言葉にほんのわずかだけ視線を落とした。
「……いいえ」
そして、静かに言う。
「分からないことのほうが、多いです」
一拍。
「例えば」
ルナを見る。
「あなたたちが、人間を殺さない理由」
ルナの手が、少し止まる。
けれど、逃げない。
「……怖いから」
短い答え。
「殺したら……戻れない気がする」
「戻れない?」
「うん」
ルナは少しだけ考える。
「今みたいに……話せなくなる」
その言葉は、とても静かで。
とても確かだった。
ルミナスは、それを聞いて――
ほんの少しだけ、目を細めた。
「……理解、しました」
完全ではない。
だが、確かに一歩。
ルナも、小さく頷く。
「……うん」
それ以上は、言葉はいらなかった。
遠くで、ラグナの声が響く。
「おい、カゴいっぱいだぞ!」
「もう!?」
エルが慌てる。
「まだ取りたいのに!」
「持てねぇだろ」
「うぅ……」
リオンがくすりと笑う。
「また今度だね」
ルナはその様子を見て、少しだけ笑った。
――
森の入口。
最初に立った場所。
光はもう高く、影は短くなっている。
「……ここまで」
ルナが足を止める。
それ以上は、出ない。
ラグナが頷く。
「ありがとな」
「ううん」
ルナは首を振る。
エルがカゴを抱えたまま言う。
「また来ていい?」
「……うん」
少しだけ間を置いて。
「来てくれたら、嬉しい」
リオンがやわらかく微笑む。
「また来るよ」
ルミナスは、ルナを見る。
その視線は、昨日よりも少しだけ柔らかい。
「……また、話を聞かせてください」
ルナは少し驚いて――
それから、小さく頷いた。
「うん」
ラグナが軽く手を上げる。
「じゃあな」
「……うん」
ルナも、小さく手を振る。
四人が森を離れていく。
その背中を、ルナはしばらく見ていた。
やがて見えなくなっても、まだ少しだけ立っている。
風が吹く。
木々が揺れる。
ルナは、ゆっくりと振り返る。
カゴの中には、木の実。
手の中には、さっきの実がひとつ。
それを、そっと口に入れる。
「……あまい」
同じ味。
けれど、少しだけ違う気がした。
ルナは、森の奥へと歩き出す。
その背中は、ほんの少しだけ軽かった。




