第三十話 隠れ住む魔族
夜は、森の境界をやわらかく飲み込んでいた。
人間の森と、魔族の森。その狭間に、小さな火が灯る。
ぱち、ぱち、と薪が弾ける音が、静かな円を作っていた。
ラグナは地面に腰を下ろし、膝に肘を乗せて火を見つめている。リオンは少し離れて座り、炎の揺れをどこか安心したように眺めていた。エルはハープを横に置き、足を抱えて丸くなる。
その向かいに、ルナ。
そして、その少し後ろに、ルミナス。
火の光が、五人の影を不揃いに揺らした。
「……あったかいね」
エルがぽつりと呟く。
「うん」
ルナが小さく頷いた。
その声は、昼間よりも少しだけ柔らかい。
しばらく、言葉はなかった。
ただ火の音と、時折吹き抜ける風だけが、会話の代わりをしていた。
やがて、ラグナが口を開く。
「……で」
短い一言。
だが、それだけで十分だった。
ルナは少しだけ視線を落とし、火を見つめる。
橙の光が、その瞳に映る。
「……魔族のこと、だよね」
「だな」
ラグナは頷く。
「聞きたいこと、山ほどある」
ルナは少しだけ考えるように間を置いてから、ゆっくりと話し始めた。
「……魔族はね」
火の音に重なるように、言葉が落ちる。
「人間より、ずっと少ないの」
ルミナスの瞳が、わずかに揺れる。
「……少ない、のですか」
「うん。圧倒的に」
ルナは指先で地面の小石を転がす。
「だから、ほとんどの魔族は……隠れて暮らしてる」
その言葉に、エルが少し身を乗り出した。
「隠れて……?」
「人間に見つからないように」
ルナは淡々と続ける。
「村も、自然の中に紛れてて……わたしの村は森の奥だし」
リオンが静かに尋ねる。
「……じゃあ、普段はどうやって生活してるの?」
「森で」
短い答え。
「木の実とか、野菜とか……あとは、少しだけ狩り」
エルがぴくりと反応するが、何も言わない。
ルナはそれに気付いた様子で、少しだけ視線を逸らした。
「……でも、あんまり大きい獲物は取らない」
「どうしてだ?」
ラグナが聞く。
「目立つから」
即答だった。
「血の匂いとか、足跡とか……人間に気付かれる」
火が一つ、弾ける。
その音が、言葉の隙間に入り込んだ。
ルミナスが、静かに問う。
「……では」
一拍。
「人間と遭遇した場合は、どうするのですか」
その問いに、空気がわずかに張る。
ルナは、火を見たまま答えた。
「……捕まえる」
エルの指先が、わずかに強く握られる。
「殺さないの?」
かすかに震える声。
ルナは首を横に振る。
「……できるだけ、殺さない」
「できるだけ?」
ラグナが低く繰り返す。
ルナは、少しだけ迷うように言葉を選ぶ。
「その場で殺したら……血で分かるし、痕も残る」
「逃がしたら……村の場所がバレる」
静かな現実だった。
「だから……捕まえて、牢に入れるの」
焚き火の炎が、ぱちりと揺れる。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
その沈黙の中で、ルミナスは思考を巡らせる。
――合理的です。
だが同時に。
――それは、恐怖に基づいた選択。
人間と、同じ。
ルナがぽつりと続ける。
「……ずっとじゃないよ」
その声は、少しだけ小さい。
「様子を見て……大丈夫そうなら、別の場所に移したり……」
「……ちゃんと、食べ物もあげるし」
言い訳のようでいて、違う。
ただ、知ってほしいという響きだった。
リオンがやわらかく言う。
「……優しいんだね」
ルナは一瞬、驚いたように顔を上げる。
「……え」
「だって、怖いはずなのに……ちゃんと考えてる」
リオンの言葉は、火よりも静かに温かい。
ルナは少しだけ目を伏せた。
「……怖いよ」
正直な声だった。
「人間も……怖い」
その言葉に、ラグナは何も言わない。
ただ、火を見つめている。
ルナは、続ける。
「……でも」
そこで、ほんの少しだけ間があった。
「……少し前にね」
炎が揺れる。
「捕まえた人間がいたの」
ルミナスの視線が、わずかに鋭くなる。
「その人……逃げたの」
「逃げた?」
エルが驚く。
ルナは首を振る。
「……違う」
そして、静かに言った。
「一緒に、逃げた」
一瞬、風が止まったように感じた。
「……魔族と?」
リオンが聞く。
ルナは頷く。
「うん」
その目は、遠くを見ている。
「人間に食べ物を与えてた魔族と……一緒に」
ラグナが、少しだけ顔を上げる。
「どういうことだ」
「……分からない」
ルナは正直に言う。
「気付いたら、いなくなってた」
「争った跡も、なかった」
ただ、消えていた。
「その時、村でちょっと問題になって……」
「それ以来、もっと厳しくなった」
焚き火が、小さく音を立てる。
誰もすぐには口を開かない。
ルミナスの中で、何かが繋がる。
人間の男と、魔族の女。
あの二人。
――もしかして。
だが、それを口にするには、まだ断片が足りない。
エルが小さく呟く。
「……一緒に、逃げたんだ」
その言葉は、どこか優しく響いた。
壊れなかった関係。
切られなかった繋がり。
ラグナが、ふっと笑う。
「いいじゃねぇか」
「え?」
ルナが驚く。
「逃げたんだろ?なら、生きてる」
それだけだった。
シンプルで、強い肯定。
「それで十分だ」
火が、少しだけ大きく揺れた。
ルナは、少しだけ目を見開いて――
それから、ほんの少しだけ笑った。
「……変なの」
「よく言われる」
ラグナは肩をすくめる。
リオンがくすりと笑い、エルもつられて笑った。
その笑いは、小さくて、でも確かにそこにあった。
ルミナスは、その光景を見つめる。
火の円の中で、
人間と魔族が、同じ温度で笑っている。
――非合理的。
それでも。
否定する言葉が、見つからない。
むしろ。
胸の奥に、かすかな熱が残る。
焚き火のせいか。
それとも――
「……」
ルミナスは、静かに火を見つめる。
揺れる炎の中に、
まだ言葉にならない“何か”を見つけるように。
夜は深く、
五人の影は、ゆっくりと一つの円に溶けていった。




