第二十七話 誰かのために選ぶこと
森を抜けた先で、風の匂いが変わった。
湿り気を帯びた、どこか広がりを感じさせる空気。
「……なんだ、この匂い」
ラグナが足を止める。
エルが鼻をひくつかせて笑った。
「さあね。でも、ちょっとワクワクしない?」
そのまま進むと、視界が一気に開けた。
青。
ただひたすらに、広がる青。
空と地平の境目が溶け合い、きらきらと光を返している。
「……海だ」
リオンが静かに呟く。
四人は、しばらく言葉を失っていた。
ルミナスは一歩前に出る。
風が髪を揺らす。
「……これが」
小さく呟く。
「水……なのですか」
「水っていうか……まあ、めちゃくちゃでっかい水だな」
ラグナが苦笑する。
エルはもう駆け出していた。
「うわー!!すごい!!」
波打ち際まで行き、足を入れて声を上げる。
「しょっぱい!!」
「そりゃ海だからな」
ラグナもゆっくりと歩いていく。
リオンは少し遅れて、その様子を穏やかに見ていた。
ルミナスは、波をじっと見つめる。
寄せては返す動き。
同じようで、少しずつ違う形。
「……不思議です」
その言葉は、風にさらわれた。
しばらくして、ラグナとリオンは少し離れた岩場へ向かう。
「魚、いけそうか?」
ラグナが言う。
リオンが頷く。
「うん、やってみようか」
簡単な釣り道具を用意し、二人は腰を下ろした。
波の音に混じって、静かな時間が流れ始める。
その様子をちらりと見て、エルがくすっと笑った。
「ねえ、ルミナス」
小声で呼ぶ。
「ちょっとこっち来て」
ルミナスは首を傾げながらもついていく。
少しだけ離れた、砂浜の端。
人の気配が薄くなる場所。
エルは周りを確認してから、声を潜めた。
「実はさ」
いたずらっぽく笑う。
「明日、ルミナスとあたし達が出会って丁度一ケ月になるの」
ルミナスが目を瞬く。
「それがどうかしたんですか?」
「まぁ、記念日ってやつかなー」
「特別な日なのですか」
「そうだね。人によるけど……祝ってもらうと、ちょっと嬉しい日」
ルミナスは考える。
“特別”。
“嬉しい”。
まだ曖昧な言葉。
「それでね」
エルはしゃがみ込んで、砂の中を指で掘る。
小さな貝殻を取り出した。
白くて、少し欠けている。
「こういうの、プレゼントするのどうかなって思って」
ルミナスはそれをじっと見つめる。
「……これを?」
「うん。海で見つけたものって、なんか特別じゃない?」
エルは笑う。
「自分で選ぶのも大事だし」
その言葉に、ルミナスの中で何かが引っかかる。
“選ぶ”。
また、その言葉。
けれど今度は――少し違う。
「……誰かのために、選ぶのですね」
「そうそう」
エルは嬉しそうに頷く。
「どう?やってみる?」
ルミナスは、少しだけ迷う。
それから、静かに頷いた。
「……やってみたいです」
砂浜を歩く。
波が運んできた小さな欠片たち。
白、薄い桃色、灰色。
形も、大きさも違う。
ルミナスは一つ一つを見ていく。
拾っては、手の中で転がす。
「……これは」
少し丸い。
けれど、色がくすんでいる。
首を振る。
置く。
また、歩く。
エルは少し離れて見守っている。
口出しはしない。
これは、ルミナスの“選ぶ”だから。
ルミナスは、また一つ拾う。
今度は細長い。
光に当たると、少し透ける。
「……きれいです」
呟く。
けれど――
「……違う気がします」
なぜ違うのかは、分からない。
それでも、何かが足りない。
胸の奥で、小さな違和感が揺れる。
歩く。
探す。
波の音だけが、一定に響く。
やがて、ルミナスは足を止めた。
砂の中に、半分埋もれているもの。
手に取る。
それは、小さな貝殻だった。
淡い色。
ほんの少しだけ、欠けている。
けれど、形は整っていて――
どこか、静かな強さがある。
ルミナスはそれを見つめる。
ラグナの姿が浮かぶ。
不器用で、けれどまっすぐで。
強くて、少しだけ優しい。
「……」
言葉にはならない。
けれど、胸の奥が静かに揺れる。
「……これがいい」
小さく呟いた。
それは、初めての確かな選択だった。
エルが近づいてくる。
「見つけた?」
ルミナスは、そっと手を開く。
「……これにします」
エルはそれを見て、ふっと笑った。
「いいじゃん」
「ルミナスっぽい」
「……そう、でしょうか」
「うん」
エルは頷く。
「ちゃんと“選んだ”って感じする」
ルミナスは、その言葉を静かに受け止める。
夕方。
ラグナとリオンが戻ってくる。
「どう?釣れたー?」
エルが聞く。
ラグナは肩をすくめる。
「まあまあだな」
リオンが微笑む。
「食事には困らなさそうだよ」
ルミナスは、その様子を見ていた。
胸の奥に、小さな秘密を抱えながら。
波の音が、やさしく響く。
空は少しずつ、橙に染まっていく。
明日。
その日が、どんな顔をするのかは分からない。
けれど――
一つだけ、決まっていることがある。
ルミナスは、そっと手を握る。
その中に、小さな貝殻。
誰かのために選んだ、はじめての贈りもの。
まだ言葉はない。
けれど、その代わりに――
確かな想いが、そこにあった。




