第二十六話 選ばれた者のの始まり
朝の光が、森をやわらかく満たしていた。
小屋の外では、すでに男が支度をしている。
籠と、簡単な道具。
慣れた手つきでそれらを整えていた。
「もう行くのか?」
ラグナが声をかける。
男は振り返って笑った。
「ああ。食べる分は、自分で探さないとね」
エルが興味深そうに覗き込む。
「何探すの?」
「今日は木の実と、あと食べられそうな草かな」
リオンが頷く。
「なら、僕たちも手伝いましょう」
男は少し驚いた顔をする。
「いいのかい?」
ラグナが肩をすくめる。
「世話になったしな」
「それくらいはやらせてくれ」
ルミナスも一歩前に出る。
「……私も、知りたいです」
男は、少しだけ目を細めた。
それから、ゆっくりと頷く。
「じゃあ、一緒に行こうか」
森の中は、朝露の匂いがした。
葉の間からこぼれる光が、地面にまだらな模様を描く。
男は歩きながら、手際よく植物を見分けていく。
「これは食べられる。こっちはダメ」
エルが感心したように言う。
「すごいね、それ全部覚えてるの?」
「覚えないと、生きていけないからね」
男は笑う。
その言葉は軽いが、どこか現実の重さを含んでいた。
ルミナスは、その様子をじっと見ている。
「……選んでいるのですね」
ぽつりと呟く。
男が振り返る。
「え?」
「食べられるものと、そうでないものを」
「ああ、まあ……そうだね」
ラグナが横から言う。
「昨日の続きか?」
ルミナスは小さく頷いた。
「……少しだけ、分かる気がします」
ラグナはそれ以上は言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ口元を緩める。
しばらく歩いた先で、一行は小さな開けた場所に出た。
そこには、低い木に実がなっている。
男が手を伸ばして、一つ取る。
「これ、甘いんだ」
エルがすぐに食いつく。
「ほんと!?ちょうだい!」
「はいはい」
渡された実をかじって、目を輝かせる。
「おいしい!」
その様子に、皆が少しだけ笑う。
穏やかな空気。
その中で、リオンが静かに口を開いた。
「……昨日のお話、少し気になっていまして」
男が首を傾げる。
「昨日?」
「あなたと、あの方のことです」
その言葉に、男の動きがほんのわずかに止まる。
それから、少しだけ空を見上げた。
「……大した話じゃないよ」
そう言いながらも、ぽつりと続ける。
「昔、森に入った時のことだ」
その時も、こうして一人で森に入っていた。
食べるものを探して、少し奥まで来てしまっていたらしい。
「気づいた時には、囲まれてた」
男は苦笑する。
「魔族に」
ラグナたちの視線が、自然と集まる。
「戦う力なんてないし、逃げる間もなかった」
そのまま捕まって、連れていかれた。
暗い場所。
簡素な牢のようなところに入れられた。
「終わったと思ったよ」
静かな声。
けれど、そこに当時の恐怖が残っている。
「でも――」
そこで、男の表情が少しだけ変わる。
「来たんだ」
「彼女が」
ルミナスが息を呑む。
「……魔族の人が?」
「ああ」
男は頷く。
「見張りの目を盗んで、鍵を開けてくれた」
エルが目を丸くする。
「え、それって……なんで?」
男は少しだけ考えるように言う。
「さあね」
「気まぐれかもしれないし、同情かもしれない」
「今でも、ちゃんとは聞いてない」
ラグナがぽつりと呟く。
「……助けた理由、知らねえのか」
「助けてくれた理由は知らない」
「でも、あの人がどんな人かは知ってる」
男ははっきりと言った。
「それで十分なんだ」
ルミナスが静かに問う。
「……どうしてですか」
男は、少しだけ笑った。
「だって、助けてくれたのは事実だから」
それだけで十分だとでも言うように。
風が、葉を揺らす。
その音の中で、言葉がゆっくりと沈んでいく。
「逃げる時も、一緒だった」
「共に居ることを選んだから」
短い話。
けれど、その中には確かな時間が流れていた。
リオンが静かに言う。
「……不思議な縁ですね」
男は少し照れたように笑う。
「そうかもね」
ラグナは腕を組んで、少しだけ考える。
それから、ぽつりと。
「いいじゃねえか」
男が顔を上げる。
「え?」
「理由なんて、後からでもいいだろ」
ラグナは軽く肩をすくめる。
「 “これがいい”って思ってんならさ」
その言葉に、男は少しだけ目を見開いて――
それから、ゆっくりと笑った。
「……そうだね」
ルミナスは、そのやり取りを静かに見ていた。
“選ぶ”。
“理由”。
“これがいい”。
言葉が、少しずつ形になっていく。
まだ完全ではない。
けれど、確かに何かが繋がり始めている。
小屋に戻ると、魔族の女が待っていた。
「おかえりなさい」
その声は、昨日よりも少しだけ柔らかい。
男が籠を見せる。
「今日は豊作だ」
女がわずかに微笑む。
その光景を見て、ルミナスは静かに息をついた。
「……良いですね」
誰にともなく呟く。
エルがにやりと笑う。
「でしょ?」
ラグナは何も言わず、ただその様子を眺めていた。
支度を整え、一行は小屋を出る。
別れの時間。
男が頭を下げる。
「本当に助かった」
女も静かに言う。
「……ありがとう」
リオンが微笑む。
「こちらこそ」
エルは手を振る。
「元気でね!」
ラグナは少しだけ手を上げた。
「またな」
ルミナスは、二人をまっすぐに見つめる。
それから、ゆっくりと言った。
「……あなたたちは」
少しだけ間を置く。
「 人間と魔族であることよりも」
「共にいることを選んだのですね」
男と女は、顔を見合わせる。
そして、同時に小さく頷いた。
その仕草は、とても自然だった。
ルミナスも、ほんの少しだけ頷く。
まだ分からないことは多い。
けれど――
進むことはできる。
一歩ずつでも。
四人は、再び森の中へと歩き出す。
木々の間に、光が差し込む。
その道は、どこへ続くのか分からない。
それでも――
選びながら進んでいく。
それだけは、確かだった。




