第二十一話 はじめての“人の海”
森を抜けた先、ゆるやかな丘を越えたときだった。
「――見えてきたぞ」
ラグナが前方を指さす。
遠く、地平線の上に広がるのは、石でできた巨大な壁。
その内側に、無数の屋根と塔がひしめき合っている。
王都だった。
白い壁は陽を受けて輝き、旗が風に揺れている。
人の営みが、遠目にもはっきりと分かるほど濃く、そこにある。
「……あれが」
ルミナスの声は、わずかに震えていた。
「人間の、街……」
「王都だよ。いろんな国の人も集まる場所」
リオンが穏やかに説明する。
エルは軽く伸びをして、笑った。
「いやー、久しぶりだなぁ。賑やかなとこ」
ラグナはにやっと笑う。
「よし、まずはメシだな!」
「それしか頭にないの?」
「大事だろ!」
そんなやり取りをしながら、四人は王都の門へと歩いていく。
門前には、すでに長い列ができていた。
商人、旅人、兵士、家族連れ――様々な人間が行き交っている。
ざわめき。話し声。笑い声。
それらが重なり合い、ひとつの“音の波”になっていた。
ルミナスは、足を止めた。
「……すごい」
ただ、それだけを呟く。
彼女の視界に映るのは、“数えきれない人”。
一人ひとりが違う顔をして、違う声で話している。
それは、森や旅路では見たことのない光景だった。
「大丈夫?」
リオンがそっと声をかける。
ルミナスはゆっくりと頷く。
「はい……ただ、少し……」
言葉を探すように視線を揺らし、
「“多い”です」
ラグナが笑う。
「まぁな。最初はそんなもんだ」
「迷子にならないでねー?」
エルが軽くからかう。
「なりません。……たぶん」
「“たぶん”なのね」
そんなやり取りをしながら、列は少しずつ進んでいく。
やがて門番の前へ。
「通行目的は?」
兵士が淡々と尋ねる。
ラグナが一歩前に出る。
「王に報告があって来た。書状もある」
懐から取り出した書状を見せると、兵士の目がわずかに変わる。
「……確認する。少し待て」
短いやり取りの後、門は開かれた。
「通っていい」
その一言で――
四人は王都の中へ足を踏み入れた。
瞬間、世界が変わる。
「わ……」
ルミナスの口から、小さな声が漏れた。
石畳の道。
両側に並ぶ店。
色とりどりの布、果物、焼き立てのパンの香り。
人、人、人。
呼び込みの声が飛び交い、笑い声が重なり、荷車の音が響く。
まるで世界そのものが動いているみたいだった。
「すごいでしょ」
エルが得意げに言う。
「ここ、全部“人の生活”なのよ」
ルミナスはゆっくりと歩き出す。
ひとつひとつを確かめるように。
「……皆、違うことをしています」
「そりゃそうだろ」
ラグナが笑う。
「戦うやつもいれば、パン焼くやつもいるし、歌うやつもいる」
エルが軽く胸を張る。
「はい、ここに歌うやついまーす」
「知ってる」
リオンがくすっと笑う。
ルミナスは、立ち止まる。
屋台の前。
焼きたてのパンが並んでいた。
こんがりとした色。ふわりと立ち上る香り。
「……いい匂い」
思わず漏れた言葉に、エルがにやりとする。
「でしょ?パンは正義よ」
「その理屈はよく分からないけどな」
ラグナが苦笑する。
「食ってみるか?」
ルミナスは少しだけ迷い、そして頷いた。
ラグナがパンをひとつ買って手渡す。
「ほら」
ルミナスは両手でそれを受け取る。
少しだけ、戸惑うように見つめてから――
ひとくち。
「……」
静止。
次の瞬間、
「……美味しい」
小さく、けれど確かにそう言った。
リオンがほっとしたように笑う。
「よかった」
エルは腕を組む。
「まぁ、あたしのイチゴジャムパンには敵わないけどね!」
「はいはい」
ラグナが流す。
ルミナスはもう一口食べる。
その表情は、ほんの少しだけ緩んでいた。
「……“生きる”ためのもの、なのですね」
その言葉に、リオンが頷く。
「うん。食べることも、生きることの一部」
ルミナスは、周りを見渡す。
笑っている人。怒っている人。急いでいる人。
「……同じ“人間”でも、こんなに違うのですね」
エルが肩をすくめる。
「そりゃね。ひとくくりにはできないわよ」
ラグナが続ける。
「だから面白いんだろ」
ルミナスはその言葉を、ゆっくりと受け止める。
やがて――
「……はい」
小さく、頷いた。
しばらく歩くと、広場に出た。
中央では大道芸人が技を披露し、子どもたちが歓声を上げている。
その一角で、エルが足を止めた。
「ちょっと、いい?」
そう言って、ハープを取り出す。
「え、ここでやるのか?」
ラグナが驚く。
「せっかくの王都だし」
エルはにっと笑う。
軽く弦を鳴らすと、周囲の空気が少しだけ変わる。
人々のざわめきの中に、ひとつ別の流れが生まれる。
やがて、音に気づいた人たちが足を止める。
ルミナスは、その光景を見ていた。
歌が、人を引き寄せる。
森で見たものと、どこか似ている。
けれど――
ここでは、誰も傷つかない。
ただ、立ち止まり、耳を傾けるだけ。
エルの歌は、やわらかく広がる。
空気に溶けて、人の間をすり抜けていく。
歌が終わると、拍手が起こった。
自然に、あたたかく。
ルミナスはその音を、静かに聞いていた。
「……同じですね」
ぽつりと呟く。
「でも、違う」
リオンが優しく言う。
「うん」
ルミナスは頷く。
その違いを、まだ言葉にはできないけれど。
確かに、何かが違うと分かる。
ラグナが伸びをする。
「さてと」
「そろそろ、王のとこ行くか?」
エルがハープをしまいながら言う。
「報告、しなきゃだしね」
リオンも立ち上がる。
ルミナスは、もう一度だけ広場を見渡した。
人の声。笑顔。歌。
壊れない時間。
「……はい」
彼女は、今度は迷わず答えた。
四人は再び歩き出す。
王城へと続く道を。
その足取りは、ほんの少しだけ軽くなっていた。




