表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第二章 魔王と勇者
21/24

第二十話 壊れる音を知っている

挿絵(By みてみん)

 森を抜けるころには、昼の光がやわらかく地面に広がっていた。

 木々のざわめきも遠のき、四人は小さな川のほとりで足を止める。


 水は透き通っていて、石の輪郭までくっきりと見える。

 ラグナはその場にどさりと座り込み、両手を後ろについて空を仰いだ。


「はー……いい天気だなぁ」


「緊張感なさすぎだよ、ラグナ」


 リオンが苦笑しながらも、その隣に腰を下ろす。


 エルは少し離れた場所で、ハープの弦を静かに整えていた。

 風が触れるたび、かすかな音が生まれては消える。


 ルミナスは、そのエルの背中をじっと見ていた。


「……エル」


 呼びかける声は、遠慮がちで、それでいてまっすぐだった。


 エルは手を止める。


「ん?」


「先ほどの話ですが」


 少しだけ間があく。


「“壊さずに止める方法を探している”と、言っていました」


 エルの指先が、弦の上で止まったまま動かない。


「どうして……そこまで“傷つけること”を避けるのですか?」


 風が止まったみたいに、空気が静かになる。


 ラグナとリオンも、自然と口を閉じた。


 エルはすぐには答えなかった。

 視線を落とし、ハープの木の部分を親指でなぞる。


 まるで、記憶の中のどこかに触れているみたいに。


「……知りたい?」


 小さな声だった。


 ルミナスは迷わず頷く。


「はい」


 その即答に、エルは少しだけ困ったように笑った。


「そっか……」


 逃げられないな、という顔だった。


 ゆっくりと腰を下ろし、ハープを膝に乗せる。


「ちょっと、長くなるよ」


「構いません」


「……ほんと、真っ直ぐよねあんた」


 エルは息をひとつ吐いた。


 そして――弦に触れる。


 ぽろん、と音がひとつ落ちた。


 それは今の音じゃない。

 どこか遠い、昔の音。


「……あたしね、小さい頃から普通に狩人の村で育ったの」


 静かに語り始める。


「弓の練習して、足跡覚えて、獲物の気配読む訓練して……」


 ラグナがうんうんと頷く。


「でもさ、全然ダメだったのよ」


 エルは苦笑する。


「的に当たらないし、集中すると逆に手がズレるし」


 ルミナスが小さく目を見開く。

 それはもう知っている話。でも、その“理由”はまだ知らない。


「でね、ある日――村に旅人が来たの」


 弦が、今度は少しだけ流れるように鳴る。


「その人、吟遊詩人でさ。ハープを弾いて、歌を歌ったの」


 音が、少しずつ広がる。


 森の匂い。土の温度。遠くの空気。

 それらを連れてくるような旋律。


「すごく綺麗で……びっくりした」


 エルの声が、少しだけ柔らかくなる。


「で、あたし、食いついたのよ。“それ、教えて!”って」


 リオンがくすっと笑う。


「想像できるなぁ……」


「でしょ?」


 エルも少しだけ笑う。


「そしたらさ、その人、嬉しそうに教えてくれたの」


 指が弦を滑る。

 音は、今や完全に“その日の記憶”を連れてきていた。


「そしたらね――変なことが起きたの」


 ルミナスが一歩近づく。


「歌ってたら……森の動物たちが、寄ってきたの」


 音が、ふわりと広がる。


 まるで見えない波紋みたいに。


「鹿も、鳥も、小さなウサギも……みんな、逃げないで」


 エルの目は、もうここにはない。


「ただ、あたしの近くに来て、座って……聴いてた」


 ルミナスの瞳が揺れる。


「それは……」


「うん。すごく嬉しかった」


 エルは笑う。


 でも、その笑顔は少しだけ危うい。


「“ああ、あたしでも、何かと仲良くなれるんだ”って思った」


 音が、少しだけ明るくなる。


「壊さなくても、繋がれるって」


 ――そして。


 音が、止まる。


 一瞬の無音。


「……でもね」


 エルの指が、弦を強く弾いた。


 びん、と硬い音。


「その直後だった」


 空気が、きゅっと縮まる。


「後ろで見てた大人たちがさ」


 言葉が、少しずつ重くなる。


「“いい場所に集まったな”って」


 ルミナスの呼吸が止まる。


「……矢を、放ったの」


 弦が震える。


 短く、鋭く。


「さっきまで、あたしの歌を聴いてた動物たちが――」


 言葉が、そこで詰まる。


 エルは一度、目を閉じた。


「……倒れた」


 静かな声だった。


 でも、その静けさは、深く刺さる。


「逃げる暇もなくて。何が起きたかも分からないまま」


 ルミナスの指が、わずかに震える。


「血の匂いがして……さっきまで近くにいたのに」


 エルは笑った。

 けれどそれは、笑いじゃなかった。


「“ごめんね”って思った」


 ぽつり、と落ちる言葉。


「“あたしが呼んだからだ”って」


 ラグナが何か言おうとして、やめる。


 リオンはただ、黙って聞いている。


「それが、普通なんだよ」


 エルはぽつりと続ける。


「食べるために狩る。生きるために殺す」


「間違ってない。誰も悪くない」


 でも――


「でも、あたしには無理だった」


 声が、かすかに震える。


「仲良くなれたって思ったのに」


「その瞬間に壊れるのが、怖くて仕方なかった」


 ルミナスは、一歩も動けない。


「それから、弓もちゃんと引けなくなった」


「当たる瞬間に、ズラしちゃうの」


 小さく笑う。


「壊したくないから」


 静寂が落ちる。


 風が、やっと戻ってきたみたいに葉を揺らした。


「……だから、あたしは歌うの」


 エルがハープを軽く鳴らす。


 今度の音は、優しかった。


「壊さない方法で、誰かと繋がりたいから」


 ルミナスの瞳に、何かがゆっくりと沈んでいく。


 理解。共感。

 そして――迷い。


「……では」


 彼女は静かに言う。


「もし、“壊さなければならない時”が来たら?」


 その問いは、鋭かった。


 けれど逃げていない。


 エルは少しだけ考えて、肩をすくめた。


「そんときは――たぶん、泣きながらやるわね」


 あっけらかんとした声。


 でも、その奥は揺れている。


「でもさ」


 エルはルミナスを見る。


「選べるなら、壊さないほうを選びたいじゃない?」


 その言葉は、強くはない。

 でも、芯があった。


 ルミナスは、しばらく何も言わなかった。


 やがて――


「……覚えておきます」


 それは、先刻と同じ言葉。

 でも、意味は少し違っていた。


 今度は、“知った上で”の言葉だった。


 ラグナが立ち上がる。


「よし、そろそろ行くか」


 リオンも頷く。


 エルはハープを抱え直し、いつもの調子に戻る。


「次はあたしのイチゴジャムパンの話でもする?」


「それは今じゃなくていい!」


 ラグナが即ツッコミを入れる。


 少しだけ、空気が軽くなる。


 ルミナスは最後にもう一度だけ、エルを見た。


 その背中には、歌と傷と、優しさが混ざっていた。


 森の中を進む四人の影が、少しだけ長く伸びる。


 壊すこと。壊さないこと。

 その間にある、まだ名前のない選択。


 ルミナスは、それを胸の中でそっと転がした。


 まだ答えは出ない。


 けれど――


 その問いを持ったまま歩いていくことを、彼女は選び始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ