表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

第一話 勇者になれなかった少年

挿絵(By みてみん)

夜の森は、まるで誰かの吐息みたいに静かだった。


ラグナは剣を握りしめたまま、じっと前を睨んでいる。月明かりが枝葉の隙間からこぼれ落ち、彼の足元を淡く照らしていた。けれどその光は、彼の心の中までは届かない。


「……来いよ」


小さく呟く声は、震えていた。


目の前には、低く唸る魔物が一体。毛並みは黒く濁り、目だけがぎらりと光る。村の外れに現れたそれを討つのが、今夜の役目だった。


本来なら、勇者がやる仕事だ。


ラグナは歯を食いしばる。


——自分は勇者になれなかった。


村の子供たちは皆、一度は神殿へ連れて行かれる。勇者の素質を持つ者は、そこで“光”に選ばれるのだ。ラグナも例外ではなかった。胸を躍らせて神殿に入り、そして——何も起きなかった。


光は、彼を素通りした。


その日からだ。「なれなかった者」という烙印が、彼の中に静かに刻まれたのは。


「……っ!」


魔物が地を蹴る。


ラグナは反射的に剣を振るった。けれど軌道は甘く、刃は空を裂くだけ。次の瞬間、衝撃が身体を弾き飛ばした。


地面に転がり、肺から空気が抜ける。


「ぐっ……!」


情けない。あまりにも。


勇者なら、こんな敵、一瞬で斬り伏せている。


ラグナは立ち上がろうとして、膝をついた。足が震えている。恐怖が、骨の奥にまで染み込んでいる。


逃げろ、と本能が叫ぶ。


でも。


「……嫌だ」


声に出していた。


逃げたら、何も残らない。


勇者になれなかった。強くもない。特別でもない。そんな自分が、さらに逃げるだけの存在になったら——本当に空っぽだ。


魔物が再び迫る。


ラグナは剣を構えた。腕は重く、呼吸は乱れている。それでも、目だけは逸らさない。


「俺は……!」


言葉が途切れる。


何者なのか、わからないからだ。


勇者じゃない。英雄でもない。じゃあ、自分は何だ?


その答えを持たないまま、彼はただ剣を握る。


魔物の牙が迫る。


——その瞬間だった。


ラグナの身体が、わずかに横へとずれた。


自分でも意図していない動きだった。だが結果として、牙は空を切る。間合いが一瞬だけ、開いた。


「……え?」


考えるより先に、身体が動く。


ラグナは踏み込んだ。ぎこちないが、それでも一直線に。剣を振り下ろす。


鈍い手応え。


魔物の肩口に、浅い傷が走る。


「当たっ……た……?」


信じられないという顔のまま、ラグナは息を呑む。


だが魔物は倒れない。むしろ怒りに燃え、さらに激しく襲いかかってくる。


ラグナは必死に剣を振るう。防ぎ、かわし、時に弾かれながら。それでも——今度はさっきよりも、ほんの少しだけ動きが見える。


恐怖は消えていない。


けれど、その中に、奇妙な感覚が混ざり始めていた。


「……俺、まだやれる」


誰に言うでもなく、そう呟く。


勇者じゃなくても。


選ばれなくても。


この一歩は、自分で踏み出せる。


ラグナは歯を食いしばり、再び踏み込んだ。


森の静寂はもうない。金属のぶつかる音と、荒い呼吸が夜を裂く。それでも月は変わらず、ただ淡々と光を降らせている。


その下で。


勇者になれなかった少年は、初めて自分の意志で戦っていた。


まだ未熟で、弱くて、みっともない。


けれど確かに——逃げなかった。


その事実だけが、小さな火のように胸に灯る。


やがてその火が、何になるのかは、まだ誰も知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ