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勇者になれなくても世界を救う  作者: 久瑠美 雷華
第二章 魔王と勇者
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第十六話 託されたもの

 リオンは一歩、前へ出た。


 胸の奥で何かが震えている。

 恐怖ではない。逃げ出したくなる衝動でもない。


 ただ――確かめたい、という気持ちだった。


「僕は……知りたいんです」


 声は小さい。だが、確かに届く。


「どうして……こんなことが起きてるのか。人も、魔族も……どうして争ってるのか」


 ナタージャは微動だにせず、その言葉を受け止める。


「……ほう」


 わずかに興味を示すように目を細めた。


 エルも続く。


「あたしは……止めたい」


 ハープを抱きしめるようにして言う。


「誰かが傷つくのも、壊れるのも……もう見たくない」


 ラグナは、最後に口を開いた。


「俺は――」


 一瞬だけ、言葉を選ぶ。


「守れるやつになりたい」


 その言葉は、剣よりも真っ直ぐだった。


 静寂が落ちる。


 ナタージャはゆっくりと立ち上がった。


 衣が揺れる。その動き一つで、空気がわずかに重くなる。


「……守る、か」


 呟くように言う。


「容易く口にする」


 その声に責める色はない。だが、軽くもない。


「守るとは、何を指す?」


 ラグナが答える。


「目の前の誰かだ」


「では、その誰かを守るために、別の誰かを斬ることになったら?」


 間髪入れずに問いが返る。


 ラグナは言葉に詰まる。


 ナタージャは続ける。


「守るという行為は、常に選択を伴う。救う者と、救わぬ者を分けることだ」


 その言葉は静かだが、深く突き刺さる。


 リオンが唇を噛む。


 エルの指が、弦の上で震える。


「……それでも」


 ラグナが、顔を上げる。


「それでも、何もしねぇよりはいい」


 ナタージャの視線が鋭くなる。


「ほう」


「全部を救えないのは分かってる。でも、だからって何もしない理由にはならねぇ」


 言葉は粗い。だが、揺らがない。


 ナタージャはしばし沈黙し――


 やがて、小さく息を吐いた。


「……似ている」


 ぽつりと漏れる。


「これまでの者たちとは、な」


 三人がわずかに顔を上げる。


 ナタージャは玉座から一歩、降りた。


 石の床に、足音が静かに響く。


「これまで、わらわは三度“勇者”を見てきた」


 その言葉に、空気が変わる。


「いずれも強き意思を持っていた。だが――」


 視線が冷たくなる。


「魔族を滅ぼし、人の世を作る。それだけを疑わなかった」


 リオンが小さく呟く。


「……それは……」


「正しいと思うか?」


 問われ、言葉が止まる。


 ナタージャは続ける。


「魔族もまた、笑い、怒り、飢え、恐れる」


 静かな声。


「人と何が違う?」


 エルが、かすかに首を振る。


「……変わらない」


 ナタージャは頷く。


「そうだ。変わらぬ」


 そして、わずかに目を伏せた。


「だが人は魔族を恐れ、魔族は人を憎む」


「その果てにあるのは、ただの“言い訳”だ」


 ラグナが顔をしかめる。


「言い訳……?」


「己の行いを正当化するための、な」


 ナタージャの瞳が、三人を射抜く。


「人は言う。“魔族だから殺した”と」


「魔族は言う。“人間だから襲った”と」


 静寂が重くのしかかる。


 リオンの脳裏に、父の姿が浮かぶ。


 エルの胸に、あの森の光景がよぎる。


 ラグナは拳を強く握る。


 ナタージャは一歩、さらに近づいた。


「では問おう」


 低く、確かに響く声。


「貴様らは、それでも分けるのか?」


「人と魔族を」


 誰もすぐには答えられなかった。


 風の音すらない空間で、時間だけが静かに流れる。


 やがて。


「……分けねぇよ」


 ラグナが言った。


 ゆっくりと、だが確実に。


「少なくとも俺はな」


 ナタージャの眉が、わずかに動く。


「目の前にいるやつが誰かなんて関係ねぇ」


 ラグナは続ける。


「助けたいと思ったら助ける。それだけだ」


 リオンが頷く。


「僕も……同じです」


 エルも、小さく笑う。


「あたしも」


 その答えに。


 ナタージャは、ほんのわずかに――笑った。


 それはこれまで見せたどの表情とも違う、微かなものだった。


「……ならば」


 ナタージャは静かに手を掲げる。


 その瞬間。


 足元に、淡い光が灯る。


 三人が息を呑む。


 光はゆっくりと集まり――揺らぎ――


 やがて、小さな影を形作った。


「……え?」


 エルの声が漏れる。


 そこに現れたのは――


 一人の“赤子”だった。


 白い肌につぶらな淡青の瞳。

 やわらかな金の髪。

 小さな手が、空を掴むようにかすかに動く。


 静かな空間に、不意に響く。


「……ぁ」


 か細い産声。


 あまりにも無防備で、あまりにも弱い命。


 ラグナはあの淡い光に見覚えがあった。


 幼い頃、神殿で自分を選ばずに素通りした “光”


「……これが……勇者?」


 信じられないというように呟く。


 ナタージャはその赤子を、静かに抱き上げた。


 その仕草は、あまりにも自然で――

 まるで長い年月、何度も繰り返してきたかのようだった。


「これが、“勇者”だ」


 低く、確かな声。


 リオンが一歩近づく。


「でも……ただの、赤ちゃんじゃ……」


 ナタージャはわずかに目を細める。


「当然だ。生まれたばかりだからな」


 そして赤子を見つめる。


 その眼差しは、魔王のものではなかった。


「だが、この子は三日で成長する」


「……!」


 エルが息を呑む。


「姿も、言葉も、そなたらと同じになる。だが中身は空だ」


 ナタージャの視線が三人へと向けられる。


「どう育つかは、すべて周囲次第」


 その言葉は、静かに重く落ちる。


 ラグナは赤子を見つめる。


 小さな手が、宙を彷徨う。


 何も知らず、何も持たない命。


「……名前は?」


 ふと、ラグナが言う。


 ナタージャは首を振る。


「まだない」


「そなたらが与えよ」


 リオンが戸惑いながらも呟く。


「僕たちが……?」


 ナタージャは頷く。


「そうだ」


 そして、一歩前に出る。


 赤子を抱いたまま、三人の前へ。


「この子を、託す」


 その言葉と共に――


 静かに、差し出す。


 ラグナの体が一瞬固まる。


 受け取るべきか、ほんのわずか迷う。


 だが。


 赤子の小さな手が、空を掴むように動いた。


 まるで、何かを求めるように。


 ラグナは息を吸い――


 ゆっくりと、その命を受け取った。


 軽い。


 驚くほどに。


「……あったけぇ」


 思わず漏れる。


 その温もりは、剣では絶対に触れられないものだった。


 エルがそっと覗き込む。


「……かわいい」


 思わず頬が緩む。


 リオンも震える声で言う。


「こんな子が……戦うの……?」


 ナタージャは静かに答える。


「いずれな」


 そして、ほんのわずかに目を伏せる。


「だからこそ、問う」


 再び三人を見る。


「どう育てる?」


 その問いは鋭い。


 だが同時に、委ねるものだった。


 ラグナは赤子を見つめる。


 少し考えてから、口を開く。


「……戦うためだけには育てねぇ」


 ナタージャの目が、わずかに細くなる。


「守れるやつにする」


 リオンが頷く。


「人を救える人に……」


 エルも微笑む。


「優しい子にする」


 三人の声が、静かに重なる。


 その答えを聞き。


 ナタージャは、ほんのわずかに――笑った。


「……ならば」


 ゆっくりと背を向ける。


 玉座へと歩きながら。


「いずれ、その答えを証明せよ」


 足を止め、振り返らずに言う。


「その時は――」


 一拍。


「わらわを討ちに来い」


 その言葉は、やはり命令ではなかった。


 長い時を生きた者の、最後の願い。


 ラグナは赤子を抱いたまま、強く頷く。


「……ああ」


 静かな玉座の間に。


 新しい“命”の小さな寝息だけが、確かに響いていた。

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