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第十三話 辿り着いた影

2026.10.13改訂しました

 草原を渡る風が、三人の服を揺らしていた。


 町を出てから、道は緩やかな上り下りを繰り返している。

 木々はまばらになり、その先には背の高い草が広がっていた。


 エルは歩きながら、矢筒へ手を伸ばした。


 指先に触れる、丸い矢先。

 昨日、三人で何度も作り直したものだ。


「気になるか?」


 ラグナに聞かれ、エルは手を離した。


「うん。的には当てられたけど……」


 その先は、まだ分からない。


 ラグナが頷く。


「使えそうなときでいい。無理するなよ」


 エルが返事をしかけた、そのときだった。


 道の脇で、草が揺れた。


 風とは違う動きだった。


 ラグナが足を止める。

 少し前に、獣の耳が見えた。


 低い唸り声。


 狼に似た魔物が、草の間から現れた。

 続いて、その左右にも一体ずつ。


 三体が、道を塞ぐように広がった。


 ラグナは剣を抜いた。


「二人とも、近くにいてくれ」


 リオンが頷き、ロザリオを握る。

 エルも弓を手に取った。


 正面の一体が、頭を低くする。


 ラグナは周囲へ目を走らせた。


 右手には、岩の露出した斜面。

 左は草が深く、足元が見えない。


 下がるなら、今歩いてきた道しかない。


 魔物が地面を蹴った。


 ラグナは二人の前へ出て、迫る爪を剣で受け流した。

 獣の身体が横へ抜ける。


 追いかけて斬りつける間もなく、二体目が踏み込んできた。


「ラグナ、右も!」


 リオンの声に、視線を動かす。


 三体目が大きく回り込み、エルたちの方へ近付こうとしていた。


 ラグナは正面の獣を牽制しながら、二人の側へ戻った。


 剣先を向ければ、目の前の相手は止まる。

 けれど、その間にも横の一体が距離を詰めてくる。


 エルは矢をつがえた。


 丸く包まれた先端の、中身は白い粉。


 獣を狙いかけた腕が、わずかに強張った。


 息をしている。

 こちらを見ている。


 当たったあとを思い浮かべると、指が動かなかった。


 エルは息を吸い、狙いを横へ移した。


 獣の進路の先。

 斜面から突き出した岩がある。


「右の岩に射つ! 粉が出るから、離れて!」


 ラグナが短く頷いた。


「リオン、少し後ろへ!」


 二人が動く。


 その先へ、エルは矢を放った。


 岩に当たった先端が開き、白い粉が広がる。

 回り込んでいた魔物の姿が、薄い白さの向こうへ隠れた。


 獣が顔を振る。

 足が止まり、短い鳴き声がした。


「今のうちに、下がろう!」


 リオンが道の後ろを示す。


 三人はまとまって距離を取った。


 だが、粉はすぐに風へ流されていく。

 正面にいた二体も、追うように歩き出した。


 エルは残った矢へ手を伸ばす。


 今度は、中身を詰めた丸い矢。


 ラグナの向こうで、一体が身を低くした。

 後ろ脚に力が入る。


 跳ぶ。


 そう思った瞬間、エルは弦を引いていた。


「ラグナ、前の一体!」


 矢が飛ぶ。


 獣の肩へ、丸い先端が当たった。


 短い声が上がる。

 踏み出しかけた足がずれ、獣は横へよろめいた。


 倒れはしなかった。


 すぐに四肢で踏ん張り、こちらへ顔を向ける。


 それでも、飛びかかってくるはずだった一瞬は過ぎていた。


 ラグナが間合いを取り直す。


「助かった!」


 エルは弓を握ったまま、息を吐いた。


 当たった。


 獣はまだ立っている。

 牙を剥き、低く唸っている。


 痛みは与えた。

 けれど、ラグナへ届こうとしていた爪を止められた。


 指が、少し震えていた。


「エル、歌える?」


 リオンの声に、顔を上げる。


「僕たちで、時間を作るから」


 エルは頷いた。


「……うん。お願い」


 道端へ弓を置き、ハープを抱える。


 その前へ、ラグナが立った。

 リオンも隣へ寄り、三体の動きを見ている。


 粉の向こうにいた一体が、再び姿を現した。


 こちらは、もう弓を構えていない。


 魔物たちが近付く。


 ラグナは剣を握り直した。


 横から踏み込んできた一体へ刃を向け、進路を塞ぐ。

 獣が後ずさった隙に、別の一体が跳び出した。


「ラグナ、目を伏せて!」


 リオンが手を伸ばす。


 掌に集まった光が、白く弾けた。


 獣が顔を背ける。

 その脇へラグナが身体をずらし、エルの前に留まった。


 背後で、ハープが鳴った。


 最初の音は、少し震えていた。


 エルは息を整え、もう一度、弦へ指を滑らせる。

 今度は音が繋がった。


 歌声が、草原へ流れ始めた。


 ラグナは剣を下ろさなかった。

 リオンも、伸ばした手をそのままにしている。


 目の前の獣が、一歩進んだ。


 もう一歩。


 けれど、その次の足がなかなか出なかった。


 唸り声が低くなる。

 牙を剥いていた口が閉じ、身体がゆっくりと沈んでいく。


 一体が草の上に伏せた。


 続いて、隣の一体も。


 最後まで立っていた獣が頭を振った。

 それでも瞼は上がらず、やがて前脚を折り畳んだ。


 エルは、しばらく歌い続けた。


 三体の呼吸が落ち着いたのを確かめて、ようやく声を止める。


 風の音が戻った。


 ラグナは剣を構えたまま、魔物たちを見ていた。


 起き上がる気配はない。


「……行こう。今のうちに」


 リオンが頷く。

 エルは弓を拾い、ハープを抱えて立ち上がった。


 三人は眠る魔物から離れ、道を先へ進んだ。


 十分に距離を取ってから、ラグナが剣を収める。


 その音を聞いて、エルは大きく息を吐いた。


「……当たったね」


「ああ。ちゃんと止まった」


 ラグナが答える。


 エルは自分の手を見た。


「でも、丸くしても痛いんだね。声、出してた」


 ラグナはすぐには答えなかった。


 やがて頷く。


「そうだな」


「……うん」


 エルは弓へ視線を落とした。


「当てればいいってわけじゃないんだね」


「でも、あの矢がなかったら、俺は斬ってたかもしれない」


 エルが顔を上げた。


 ラグナは自分の肩へ目をやった。

 飛びかかる獣を、真正面で迎えるはずだった場所だ。


「あそこで止めてくれたから、待てた」


 リオンも頷いた。


「歌う時間も作れたね。すぐにハープを出してたら、間に合わなかったと思う」


 エルは二人を見た。


 今日の戦いを、順に思い返す。


 粉で姿を隠した。

 矢で踏み込みを止めた。

 その間、ラグナが前に立ち、リオンが周囲を見てくれていた。


 一つだけでは、きっと足りなかった。


「……二人が前にいてくれたから、歌えたよ」


 エルが言うと、ラグナは少し笑った。


「じゃあ、うまく繋がったんだな」


「うん」


 リオンも笑った。


 エルは矢筒へ手を伸ばした。


 使った分だけ、隙間ができている。

 残った矢先を確かめ、そっと手を離した。


「もっと、使い方を考えたいな」


「ああ。また作るときに、今日のことも話そう」


 三人は、歩く速度を少し緩めた。


 ゆっくりと緩やかな丘を上っていく。


丘を上りきると、視界が開けた。


「あ……!」


 エルが足を止める。


 草原を抜ける街道の先に、大きな街が見えていた。


 幾重にも重なる屋根。

 その周囲を囲む長い城壁と、街並みの上にそびえる塔。


「あれが王都?」


「ああ」


 ラグナが頷く。


 街道には、小さな点のように荷車が見えた。

 ここからでは声までは届かない。それでも、城門へ続く人の列が、その向こうの賑わいを思わせた。


「……大きいね」


 リオンが目を細める。


「入ってから迷いそう」


「三人で迷ったら、はぐれなくて済むね!」


「迷う前提かよ」


 ラグナが笑った。


 けれど、ふと視線を遠くへ移したところで、その笑みが止まった。


 王都よりも、さらに遠く。

 街並みから外れた地平の一角に、暗い雲が低く垂れ込めている。


 その下に、黒い影があった。


 初めは、岩山のようにも見えた。


 だが、目を凝らすと分かる。

 空へ突き出した塔と、その間をつなぐ巨大な壁。


「……あっちにも、城がある」


 リオンの声に、エルも顔を向けた。


 ラグナはしばらく黙っていた。


 旅の途中、何度も確かめてきた方角。

 その先にあるものが、今は自分の目で見えている。


「あれが、魔王城か……」


 口にすると、剣の重みを意識した。


 勇者にはなれなかった。

 十年、剣を振り続けても、それは変わらない。


 それでも、ここまで来た。


 遠くに見えるあの城で、自分に何ができるのか。

 まだ、答えはなかった。


 風が草を揺らす。


 隣で、エルがハープの肩紐を握り直した。


「ここから、両方見えるんだね」


「……うん」


 リオンも、王都と黒い城を見比べていた。


 人々の行き交う城門も、暗い雲の下に立つ塔も、同じ景色の中にある。


 三人はしばらく、その場に立っていた。


 やがてラグナが、小さく息を吐く。


「まずは王都だな」


 二人を振り返る。

 その声は、いつもの調子に戻っていた。


「日が暮れる前に着こう」


「うん」


 リオンが頷き、エルも街道へ目を向ける。


「宿、空いてるといいなあ」


「ああ。着いたら探そう」


 三人は並んで、丘を下り始めた。


 足元の道は、王都の城門へと続いている。


 ラグナは一瞬足を止めて、遠くの黒い城を見つめた。

 そして、隣を歩く二人に歩調を合わせ、街道へと視線を戻した。

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