第百二十話 歴史に残らない名前
王城を訪れた日の午後。
ラグナたちは、王都の小さな食堂で昼食を済ませていた。
窓の外には、賑やかな通りが見える。
行き交う人々の声。
荷車の車輪が石畳を転がる音。
遠くから聞こえてくる商人の呼び声。
そんな中、ラグナは食事を終えてからも、何かを考え込んでいた。
「……ラグナ?」
リオンが声をかける。
「ん?」
「どうかしたの?」
「いや……」
ラグナは少し考えた。
「さっきの王女様の話なんだけどさ」
「アステリア様?」
「ああ」
ラグナは頷く。
「勇者は魔王を倒して、人々を救う存在だって言ってただろ?」
「うん」
「俺も、ずっとそう思ってたんだよな」
ラグナは窓の外へ目を向けた。
勇者になりたかった。
神殿の光に選ばれれば、魔王を倒せる。
そうすれば、世界は平和になる。
子どもの頃から、何の疑いもなく信じてきたことだった。
「……でもさ」
ラグナは再び仲間たちを見る。
「勇者が魔王を倒したって話、俺たち聞いたことあったっけ?」
「……え?」
リオンが首を傾げた。
「どういうこと?」
「いや、勇者が魔王を倒せば平和になるってのは、ずっと聞いてきたけどさ」
ラグナは腕を組む。
「実際に倒したって話は、聞いたことねぇなって」
「……」
リオンは少し考えた。
「そう言われると……僕も知らないかもしれない」
「あたしも」
エルが頷く。
「勇者が魔王を倒すっていうのは知ってるけど、誰が倒したとか、いつ倒したとか……そういう話は聞いたことないわね」
「だろ?」
ラグナは小さく頷いた。
それは、今まで疑問に思ったこともなかった話だった。
勇者は魔王を倒す存在。
そう教わってきた。
だから、そういうものなのだと思っていた。
けれど。
旅をして、ラグナたちは一つの事実を知った。
勇者が魔王を倒せば、その勇者が新たな魔王になる。
それは、ラグナたちが思い描いていた勇者の役目とは、あまりにも違うものだった。
「……王様たちも、知らねぇのかな」
ラグナが呟いた。
「何を?」
エルが尋ねる。
「勇者が魔王を倒したら、次の魔王になるってこと」
その言葉に、リオンが顔を上げた。
「……そういえば」
「今日、王女様は勇者が魔王を倒して平和にするって言ってただろ?」
「うん」
「でも、その後に何が起きるかは、何も言ってなかった」
ラグナは少し考えた。
「俺たちも、旅に出るまでは知らなかったけどさ」
「……王家の人たちも、知らないのかもしれないね」
リオンが静かに答えた。
「だよなぁ……」
ラグナは椅子の背にもたれた。
王都の人々も。
神殿の人々も。
そして、王家の人々も。
勇者が魔王を倒せば世界は平和になると信じている。
けれど、その先に何が起こるのかを、誰も知らないのかもしれない。
そう考えると、何かが噛み合っていないように思えた。
◇
「……それとさ」
ラグナが再び口を開いた。
「サルヴァザードのことも、ちょっと気になってるんだ」
「サルヴァザード領?」
リオンが尋ねる。
「ああ」
ラグナは頷く。
「王女様が言ってただろ。昔、魔王に滅ぼされたって」
「うん。五百年以上前のことだって話してたね」
「でも、それってナタージャじゃねぇよな」
エルが顔を上げる。
「……前の魔王ってこと?」
「ああ」
ラグナは頷いた。
「ナタージャが人間の国を滅ぼそうとするとは、どうにも思えなくてさ」
ラグナは魔王城で出会ったナタージャの姿を思い出していた。
人間を憎んでいるようには見えなかった。
むしろ、人間と魔族の違いについて、何度も考えているようだった。
もちろん。
今のナタージャを知っているからといって、過去のすべてが分かるわけではない。
それでも。
「大戦争を起こしたのは、ナタージャの前の魔王だったんだろ?」
「……オルディス」
小さな声が聞こえた。
ライカだった。
それまで黙って話を聞いていたライカが、顔を上げていた。
「ああ」
ラグナが頷く。
「ライカが知ってる魔王だ」
「……うん」
ライカは静かに頷いた。
その瞳は、少し遠くを見つめていた。
海底神殿。
今はもう、誰もいなくなった場所。
そこに暮らしていた人々。
そして、オルディス。
「……オルディスは」
ライカが小さく呟いた。
「あの魔王は……わたしたちを、戦争に利用した」
その声には、かすかな苦さが滲んでいた。
ラグナは静かに頷く。
「……そうだったな」
「でも……サルヴァザードのことは、知らない」
ライカは目を伏せた。
「オルディスが、あの国を滅ぼしたのかどうかも……」
「そっか」
ラグナはそれ以上、問いかけなかった。
オルディスという名を、ラグナたちはナタージャとライカから聞いていた。
けれど。
「……そういや」
ラグナは、ふと顔を上げた。
「昔の記録を調べた時、オルディスって名前は出てこなかったよな?」
「……うん」
リオンが考え込む。
「大戦争については書かれていたけど、魔王の名前までは……」
「あたしも覚えてないわね」
エルが頷く。
「でも、何百年も前の話なんでしょ? 名前が分からなくなっちゃったんじゃない?」
「そうかもしれねぇけど……」
ラグナは腕を組んだ。
サルヴァザード王家が滅びたこと。
大戦争が起きたこと。
そうした出来事は、今も歴史として伝えられている。
それなのに。
その戦争を起こした魔王の名前が分からない。
「……なんか、変じゃねぇか?」
ラグナが呟いた。
「何が?」
エルが尋ねる。
「いや……」
ラグナは少し考えた。
「国が滅びるくらい大きなことがあったのに、誰がやったのか分からねぇってさ」
「……確かに」
リオンが頷いた。
「出来事だけが残っていて、名前が残っていないんだね」
「そうなんだよ」
ラグナは頷く。
「それに、勇者の名前もだ」
「……勇者?」
「ああ」
ラグナは続けた。
「ルミナスより前にも、勇者はいたはずだろ?」
「うん。魔王に挑んだ勇者がいても、おかしくはないと思う」
「でも、その名前は?」
リオンは、すぐには答えなかった。
「……知らない」
「だろ?」
ラグナは小さく息を吐いた。
「誰が勇者になって、何を思って魔王に挑んだのか。俺たちは、その名前すら知らねぇんだ」
エルも、少し考え込んだ。
「……そう言われると、不思議ね」
「だよな」
ラグナは頷いた。
勇者。
魔王。
人間と魔族の歴史に、何度も語られてきた存在。
それなのに。
歴史に残っているのは、その役割ばかりだった。
そこにいたはずの誰かの名前を、自分たちはほとんど知らない。
「……ルミナス」
ラグナが顔を向けた。
「はい?」
「ナタージャから、昔の勇者について何か聞いたことあるか?」
ルミナスは少し考えた。
「……詳しくは伺っておりません」
「そっか」
「ですが、ナタージャ様は、長い歴史について多くのことをご存じでした」
「……そうだよな」
ラグナは頷いた。
ナタージャは、五百年もの間、魔王として生きてきた。
自分たちの知らない歴史を、きっと多く知っているのだろう。
けれど。
そのすべてを聞いたわけではなかった。
◇
「……ねえ、ラグナ」
リオンが声をかけた。
「ん?」
「どうして、急にそんなことが気になったの?」
ラグナは少し考えた。
「……分かんねぇ」
正直に答える。
「ただ、王女様の話を聞いてたらさ」
窓の外へ目を向ける。
「俺たちが当たり前だと思ってたことって、本当にそうなのかなって」
「……」
「勇者が魔王を倒せば平和になるって、俺もずっと信じてた」
ラグナは続けた。
「でも、実際は違っただろ?」
「……うん」
「だったら、ほかにも俺たちが知らないことがあるんじゃねぇかなって」
リオンは、静かに頷いた。
「……そうだね」
その言葉に、エルが小さく笑った。
「ラグナがそんなこと考えるなんてねぇ」
「なんだよ」
「別に?」
エルは楽しそうに肩をすくめる。
「ちょっと意外だっただけ」
「俺だって考える時くらいあるぞ」
「はいはい」
「おい!」
そのやり取りに、リオンが吹き出した。
ルミナスも、柔らかく微笑んでいる。
ライカは少し不思議そうに二人を見ていた。
やがて。
「……でも」
エルが静かに口を開く。
「確かに、気になるわね」
ラグナが顔を向ける。
「何百年も前の勇者が、どんな人だったのか」
「……ああ」
「その人も、誰かを守りたいって思ってたのかしら」
エルは窓の外を見た。
「それとも、魔王を倒すことだけを考えてたのかな」
ラグナは、すぐには答えられなかった。
勇者。
自分が、ずっとなりたかった存在。
その名前も。
どんな人物だったのかも。
何を願っていたのかも。
何も知らない。
「……知りてぇな」
ラグナが小さく呟いた。
「昔の勇者が、どんな奴だったのか」
「……僕も」
リオンが頷く。
「僕たち、まだ知らないことがたくさんあるんだね」
「そうね」
エルが窓の外を見つめた。
「勇者も魔王も、ずっと昔から知ってる言葉なのにね」
ラグナは頷いた。
勇者になりたいと願い、剣を振り続けてきた。
けれど、その勇者がどんな歴史を歩んできたのか、何も知らなかった。
今すぐ確かめる方法も、思い浮かばない。
それでも。
ラグナの胸には、一つの疑問が残っていた。
勇者とは、何なのだろう。
そして、魔王とは。
今まで当たり前だと思っていたことが、少しだけ違って見え始めていた。
いつも『勇者になれなくても世界を救う』をお読みいただき、ありがとうございます!
これまで月・水・金の週3回更新を続けてきましたが、今後も無理なく、安定して物語をお届けするため、次回から月・金の週2回更新に変更いたします。
物語を書く楽しさは変わらず、これからもラグナたちの旅を大切に描いていきたいと思っています。
更新間隔は少し空きますが、引き続き『勇せか』をよろしくお願いいたします!




