第百十六話 今できること
神殿を出たラグナたちは、来た時とは違う道を歩いていた。
大通りから外れ、建物と建物の間を抜けるような細い道。
行き交う人の姿も少なく。
時折、荷物を運ぶ者とすれ違う程度だった。
「こんな道あったんだな」
ラグナが辺りを見回す。
「王都には、表通り以外にも道はいくらでもあるよ」
先を歩くラケルが答える。
「騎士団が使うことも多い」
「でも、なんで帰りはこっちなの?」
エルが尋ねた。
ラケルは。
少しだけ振り返る。
「今の君たちが表通りを歩けば、どうなると思う?」
「……?」
エルが首を傾げる。
その隣で。
リオンが気付いた。
「あ……」
「そういうことだ」
ラケルが頷く。
「神殿に集まっていた者たちだけではない。勇者様が神殿の光に選ばれたという話は、すぐに王都中へ広がるだろう」
「そんなに早く?」
「人の噂というものは、時として馬より速いからね」
「嫌な速さね……」
エルが呟く。
ラグナも。
なんとなく想像した。
本物の勇者が現れた。
しかも。
その勇者は魔族を連れている。
そんな話が広まれば。
一目見ようとする者が現れても不思議ではない。
「つまり」
ラグナは。
ルミナスの隣を歩くライカを見る。
「人が集まるのを避けたのか」
「ああ」
ラケルが答える。
「今は特にね」
ライカは。
何も言わなかった。
けれど。
その表情は。
少しだけ安堵しているようにも見えた。
先ほどまで。
あまりにも多くの視線を浴びていた。
敵意だけではない。
好奇心。
驚き。
恐れ。
様々な感情を持った目が。
一斉に自分へ向けられていた。
「……」
ライカは。
自分の隣を歩くルミナスへ。
ほんの少し近付いた。
◇
騎士団の詰所へ戻ると。
ラグナたちは。
先ほどと同じ部屋へ案内された。
机を囲み。
それぞれが椅子へ座る。
「……」
誰も。
すぐには口を開かなかった。
ラグナは。
机の上へ視線を落とす。
頭の中には。
先ほどラケルが口にした言葉が残っていた。
『彼女は勇者様の管理の下に置かれます』
管理。
その言葉を聞いて。
真っ先に浮かんだもの。
それは。
ユリウス領だった。
首輪をつけられた人間たち。
魔族のために働き。
魔族の許可なく。
自由に生きることすらできなかった人々。
人間は。
魔族に管理されるもの。
あの土地では。
それが当たり前だった。
「……」
リオンも。
エルも。
同じものを思い出しているのだろう。
表情は明るくない。
ルミナスも。
静かに俯いていた。
そして。
ライカは。
そんな皆の顔を見ていた。
やがて。
ラケルが向かいの席へ座る。
すぐに話し始めることはなかった。
一人。
また一人と。
ラグナたちの顔を見る。
そして。
小さく息を吐いた。
「やはり」
ラケルが口を開く。
「気に入らなかったようだね」
ラグナが顔を上げる。
「……管理って言い方か?」
「ああ」
ラケルは頷いた。
「神殿で君たちの顔を見れば、それくらいは分かる」
ラグナは。
何かを言おうとした。
だが。
ラケルが先に続ける。
「だからまず」
ラケルは机の上で手を組んだ。
「私に聞かせてもらえないかな」
「何を?」
「君たちが、あの言葉を嫌った理由を」
「……」
ラグナたちは。
顔を見合わせた。
「私は」
ラケルは続ける。
「君たちがこれまで何を見てきたのか知らない」
穏やかな声だった。
「知らないものを、勝手に決めつけるつもりもない」
「だから」
「まずは君たちの話を聞きたい」
しばらくの沈黙の後。
ラグナが口を開いた。
「……俺たち」
そして。
少し考える。
「ここに来る前に、ユリウス領にいたんだ」
「ユリウス領?」
ラケルの眉が。
僅かに動く。
「ああ」
ラグナは。
ゆっくりと話し始めた。
魔族が治める土地。
そこで。
人間たちが暮らしていたこと。
けれど。
同じ住民としてではない。
人間は魔族の所有物として扱われ。
首輪をつけられ。
自由を制限されていた。
「人間は、魔族に管理されてた」
ラグナは言う。
「俺たちが行った時には、それが当たり前になってた」
ラケルは。
口を挟まない。
ただ。
ラグナの話を聞いている。
リオンも続けた。
「人間たちは、それがおかしいことだとも思えなくなっていました」
「生まれた時から、そういう場所で暮らしていた人もいましたから」
「魔族の方も同じよ」
エルが言う。
「人間を管理するのが普通だと思ってた」
「……なるほど」
ラケルが小さく呟く。
「だから」
ラグナは。
真っ直ぐラケルを見る。
「あそこであんたが管理って言った時」
一度。
言葉を止める。
「同じに聞こえた」
ラケルは。
しばらく何も言わなかった。
「そうか」
やがて。
静かに頷く。
「それなら、あの表情にも納得がいく」
ラケルは。
椅子へ少し深く座った。
「そのユリウス領は」
「今も、その状態なのかい?」
「……分からない」
ラグナは答えた。
「分からない?」
「ああ」
そして。
ユリウスの顔を思い浮かべる。
「ユリウスは、自分が間違ってたって認めた」
「領主が?」
「ああ」
「すぐに全部変えられるわけじゃねぇけど」
ラグナは続ける。
「人間と魔族が一緒に暮らせるように変えていくって言ってた」
「俺たちは、それからすぐにあの土地を出たから」
「今どうなってるかまでは分からねぇ」
「そうか」
ラケルは。
ほんの少し考え込む。
「……だが」
顔を上げる。
「それだけでも、大きな成果だよ」
「成果?」
「長い間続いてきたものを、間違っていると認めさせたんだろう?」
ラグナは頷く。
「それも」
ラケルは続ける。
「その土地を治める領主自身に」
「……」
「簡単にできることではない」
その声には。
先ほどまでとは少し違う響きがあった。
感心。
そして。
僅かな驚き。
「君たちは、随分と難しいことをしてきたんだね」
「俺たちだけじゃねぇよ」
ラグナはすぐに言った。
「ユリウス領にはユーリって奴がいて」
「そいつがずっと、魔族と人間の間に立ってた」
「俺たちは……」
少し考え。
「最後に、ちょっと手伝ったくらいだ」
ラケルは。
僅かに笑った。
「そういうことにしておこう」
「なんだよ、その言い方」
「いや」
ラケルは首を振る。
「君らしいと思っただけだよ」
「……?」
ラグナが首を傾げる。
ラケルは。
それ以上説明しなかった。
そして。
今度はライカを見る。
「では」
表情を戻す。
「私からも、話をしよう」
部屋が。
再び静かになる。
「まず」
「君たちが感じたことは、間違っていない」
「……え?」
「私が神殿で使った『管理』という言葉」
ラケルは言う。
「ユリウス領で魔族の領主が人間を管理していたというのなら」
一度。
はっきりと言葉を区切った。
「意味としては、確かに同じだ」
ラグナが。
黙ってラケルを見る。
「ただし」
ラケルは続ける。
「同じことをするつもりはない」
その視線が。
ライカへ向く。
「彼女へ首輪をつける必要などない」
ライカが。
小さく瞬きをする。
「行動を制限して、誰かの所有物にするつもりもない」
「ただ」
「王都にいる間は、勇者様の目が届く場所にいてほしい」
ルミナスが。
静かに聞いている。
「それだけですか?」
「ああ」
ラケルは頷いた。
「少なくとも、今はね」
「……」
「君たちにとって」
ラケルは。
全員を見る。
「彼女が危険ではないことは、もう当たり前なのだろう」
ラグナが。
ライカを見る。
迷うことなく頷いた。
「ああ」
リオンも。
エルも。
ルミナスも。
同じだった。
「だが」
ラケルは言う。
「王都の人々は、彼女を知らない」
「……」
「これまで魔族と関わったことのない者もいる」
「歴史の中で語られてきた魔族しか知らない者もいる」
「そんな人々に」
ラケルは。
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「今日から魔族を信用してくれと言っても、納得してもらうことは難しい」
ラグナは。
何も言えなかった。
神殿に集まった人々の顔を思い出す。
ライカを見て。
不安そうにしていた人々。
彼らは。
ライカから何かをされたわけではない。
けれど。
怖がっていた。
「だから」
ラケルは続ける。
「今の王都で、彼女の滞在を認めてもらうには」
「勇者が管理する」
「そう説明するのが、一番受け入れてもらいやすい」
「……」
「良い言葉だとは思っていないよ」
ラケルは。
僅かに苦笑した。
「君たちの話を聞いた後なら、なおさらね」
エルが。
ラケルを見る。
「それでも使うの?」
「ああ」
答えは。
迷いがなかった。
「今は」
「それが必要だと、私は判断している」
「……そっか」
エルは。
それ以上反論しなかった。
ラケルも。
納得するよう求めなかった。
「人の考えは」
ラケルが言う。
「命令したからといって、すぐに変わるものではない」
「ユリウス領も」
「そうだったのだろう?」
ラグナは。
少し考えてから頷く。
「……ああ」
領主であるユリウスが。
変わると決めた。
それだけで。
翌日から全てが変わったわけではない。
魔族にも。
人間にも。
それぞれの考えがある。
積み重ねてきた時間がある。
だから。
変わるには。
時間がかかる。
「王都も同じだ」
ラケルは言う。
「今日」
「勇者と魔族が一緒に歩いている姿を見た」
「それだけでも」
少し笑う。
「王都にとっては、とんでもない一日なんだよ」
「……そんなに?」
ラグナが聞く。
「そんなにだ」
ラケルは即答した。
そして。
ルミナスとライカを見る。
「これまで」
「勇者と魔族が共に歩むなど」
「私は想像したことすらなかった」
ルミナスが。
ライカを見る。
ライカも。
その視線に気付く。
「だが」
「君たちは、それを実現している」
ラケルは。
今度はラグナたち全員を見た。
「ならば」
「その先に何があるのか」
ほんの少し。
柔らかく笑う。
「私は君たちに期待するよ」
「……期待」
ラグナが呟く。
「重く考えなくていい」
「君たちは今まで通りでいてくれればいいさ」
ラケルは。
再びライカを見る。
「ただし」
「王都にいる間は、勇者様からあまり離れないでもらいたい」
「……分かった」
ライカは。
素直に頷いた。
「窮屈に感じるかもしれないが」
「大丈夫」
ライカは。
隣のルミナスを見る。
「ルミナスと一緒なら」
ルミナスが微笑む。
「はい」
「私も、ライカと一緒におります」
ラケルは。
その二人を見て。
小さく頷いた。
◇
話を終える頃には。
窓から差し込む光が。
少しずつ赤くなり始めていた。
「もうこんな時間か」
ラグナが窓を見る。
王城へ向かうには。
さすがに遅い。
「王城への訪問は、明日にした方がいいだろうね」
ラケルも窓の外を見る。
「今日は休むといい」
「そうしたい……」
エルが机へ突っ伏しそうになる。
「私もう疲れた」
「お前はそんなに何もしてねぇだろ」
「人混み歩くだけでも疲れるの!」
「それは分かるかも」
リオンが苦笑する。
その横で。
ライカは。
既にかなり疲れた顔をしていた。
「……」
ラケルは。
その様子を見て。
「宿は決まっているのかい?」
「いや」
ラグナは首を振る。
「王都に入ってすぐ探そうとしてたんだけど」
「その時に、あの騒ぎがあって」
「ああ」
ラケルが思い出したように頷く。
「それなら、一つ紹介しよう」
「いいのか?」
「構わないよ」
ラケルは。
机の上にあった紙を取り。
簡単な地図を描き始める。
「大通りから少し離れているが、清潔な宿だ」
「それほど大きくないから、客も多くはない」
その言葉に。
ラグナはライカを見る。
「……なるほど」
ラケルは。
何も言わずに。
地図をラグナへ差し出した。
◇
紹介された宿は。
確かに。
大きな建物ではなかった。
王都の中心から少し離れた。
静かな通り。
二階建ての。
素朴な宿屋。
「ここ?」
エルが地図と建物を見比べる。
「合ってる」
ラグナが答える。
中へ入ると。
客の姿は少ない。
けれど。
床は綺麗に掃除され。
机や椅子も。
丁寧に手入れされていた。
「良いところだね」
リオンが笑う。
「うん」
エルも辺りを見る。
「静かだし」
ラグナは。
何となく。
ラケルの顔を思い出した。
大通りから離れている。
人が少ない。
それでいて。
安心して休める。
偶然。
この宿を選んだわけではないのだろう。
「……あの人」
ラグナが呟く。
「結構、気ぃ遣ってくれてるんだな」
◇
部屋へ入った。
その直後だった。
「……」
ぼふっ。
ライカが。
ベッドへ倒れ込んだ。
「えっ」
エルが振り返る。
「ライカ?」
返事がない。
「……寝た?」
リオンが近付く。
ライカは。
ベッドへ横になったまま。
静かに目を閉じていた。
「早っ!」
エルが声を抑えながら驚く。
普段のライカなら。
夜になっても。
ラグナたちより長く起きていることがある。
そんな彼女が。
部屋へ入って。
ほとんど何も言わずに眠ってしまった。
ルミナスが。
ベッドの横へ腰を下ろす。
そして。
眠るライカの髪へ。
そっと手を伸ばした。
「多くの人の目に」
優しく。
頭を撫でる。
「疲れたのでしょうね」
「……だろうな」
ラグナも。
少し離れたところからライカを見る。
王都へ入ってから。
ずっと。
人。
人。
人。
それだけでも。
ライカにとっては初めてのことだった。
そのうえ。
神殿では。
大勢の人々から。
一斉に視線を向けられた。
「今日は色々ありすぎたね」
リオンが言う。
「ああ」
ラグナは。
空いている椅子へ腰を下ろした。
そして。
少し考える。
「でもさ」
「うん?」
「少なくとも」
ラグナは。
眠るライカを見る。
「ラケルが、ライカが王都にいることを認めたってことは」
一度。
言葉を止める。
「騎士団が認めてくれたって思っていいんだよな」
リオンが。
静かに頷く。
「うん」
「副団長が、あそこまで言ってくれたんだから」
「……そっか」
ラグナは。
背もたれへ身体を預ける。
「それだけでも」
ぽつりと呟く。
「今までのこと考えたら、異例なんだよな」
魔族と人間。
互いに。
近付くことすらなかった。
魔族の村へ。
人間であるカインが帰る。
人間の村へ。
魔族であるフィリアが向かう。
そして今。
人間の王都に。
ライカがいる。
どれも。
少し前なら。
考えられなかったことだった。
「……」
ラグナは。
窓の外を見る。
夕暮れの王都。
その向こうには。
先ほどまでいた神殿がある。
今日。
王都の人々は。
勇者と魔族が。
並んで立つ姿を見た。
それだけで。
何かが変わったわけではない。
けれど。
「今できること、か……」
ラグナが呟く。
全てを。
一度に変える必要はない。
今。
できることを一つずつ。
その積み重ねの先に。
何があるのか。
それはまだ、誰にも分からなかった。




