第百五話 神殿で証明されるもの
「神殿……ですか?」
ルミナスが小さく首を傾げた。
ラケルは頷く。
「ああ」
「王都の中央から少し外れた場所にある。ここからなら、そう遠くない」
ラケルは席を立った。
「私も同行しよう」
「今から行くのか?」
ラグナが尋ねる。
「できればね」
ラケルは窓の外へ視線を向けた。
まだ日は高い。
「君たちが王都へ入ったという話は、もうそれなりに広がっている。時間を置けば、余計な噂まで増えてしまうだろう」
「噂……」
「勇者様が魔族を連れている、という話だけが広がればね」
ラグナは。
隣に座るライカを見る。
ライカは何も言わず。
ただ自分へ向けられた視線に気付いて、ラグナを見返した。
「……分かった」
ラグナは立ち上がる。
「行こう」
「ラグナ」
リオンが呼ぶ。
「どうした?」
「神殿って、知ってるの?」
「ああ」
その答えに。
エルが目を丸くした。
「行ったことあるの?」
「昔にな」
ラグナは。
少しだけ言葉を止めた。
「勇者になれるか、試したことがある」
「えっ!?」
エルが声を上げる。
「初耳なんだけど!」
「言ってなかったか?」
「聞いてない!」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
そのやり取りを見ながら。
リオンが小さく笑った。
「それで、どうだったの?」
「どうって……」
ラグナは頭を掻く。
「何も起きなかった」
「何も?」
「ああ」
少し前までなら。
口にするだけで胸の奥に引っ掛かるものがあったかもしれない。
けれど今は、ただ昔の出来事を話すようにラグナは続けた。
「光があってさ。勇者が近付けば反応するって聞いてたんだけど」
「ラグナには?」
「素通りされた」
「素通り」
エルが繰り返す。
「見事にな」
「そんなことある?」
「あるから俺が勇者じゃなかったんだろ」
「それは……そうだけど」
エルが何とも言えない顔になる。
その横でルミナスがラグナを見る。
「では」
「ん?」
「ラグナは、私より先に神殿へ行ったことがあるのですね」
「ああ」
「そうでしたか」
ルミナスはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「なんで嬉しそうなんだよ」
「同じ場所へ行けると思いましたので」
「……たぶん、同じじゃねぇぞ?」
「え?」
「俺が行ったの、王都じゃねぇから」
ルミナスが目を瞬く。
その会話を聞いていたラケルが口を開いた。
「神殿は王都にしかないわけではないよ」
全員の視線が集まる。
「この国の各地に存在している。現在も使われているものもあれば、長い年月の中で人の手が入らなくなったものもある」
「へぇ……」
エルが感心したように声を漏らす。
「それじゃ、ラグナが行ったところもその一つなんだ」
「たぶんな」
ラグナは昔の記憶を思い返した。
古い石造りの建物。
崩れた壁。
ところどころ欠けた柱。
天井はほとんど残っていなかった。
神殿と呼ばれてはいたが、子どものラグナには大昔に捨てられた遺跡のようにしか見えなかった。
その中に、一つだけ不思議なものがあった。
丸い光。
手のひらほどの大きさで、何にも支えられていないのに。
ふわふわと宙を漂っていた。
手を伸ばしても触れることはできなかった。
光は、ラグナの手を何事もなかったかのように通り抜けた。
「……」
あの日。
何度近付いても光は何も答えなかった。
「では、行こうか」
ラケルの声で。
ラグナは記憶から戻った。
◇
騎士団の詰所を出て、ラケルの案内で王都を歩く。
先ほどまでより少しだけ人の流れは落ち着いていた。
それでも、ライカはルミナスの隣を離れない。
二人の手も繋がれたままだった。
そして。
しばらく歩いた先でラグナは足を止めた。
「……え?」
目の前に大きな石造りの建物があった。
高く伸びる柱。
綺麗に整えられた白い石壁。
大きな入口へ続く階段。
その周囲には、手入れされた草木まで並んでいる。
「ここが神殿だ」
ラケルが言った。
「……これが?」
ラグナは建物を見上げる。
「何かおかしいの?」
エルが尋ねる。
「いや……」
「ラグナが行ったところも、こんな感じじゃなかったの?」
「全然違う」
即答だった。
「俺が行ったところ、壁なんて半分くらい崩れてたぞ」
「崩れてた?」
「柱も折れてたし。屋根もほとんどなかった」
エルが。
もう一度目の前の建物を見る。
「それ、本当に同じ神殿?」
「俺が聞きてぇよ」
リオンが思わず笑う。
けれど、ラグナは本気で驚いていた。
同じ神殿と呼ばれる場所がこれほど違うとは思っていなかった。
「王都の神殿は、今も人の手で管理されているからね」
ラケルが説明する。
「ここには、勇者が人々へ平和をもたらす存在だと信じ、その役目を後世へ伝えている者たちがいる」
「勇者が……」
ラグナが呟く。
その言葉をルミナスは黙って聞いていた。
「入りましょう」
ラケルに促され、一行は階段を上がる。
神殿の中へ入ると、外の喧騒が遠くなった。
高い天井。
規則正しく並ぶ石柱。
床まで綺麗に磨かれている。
壁には剣を掲げる者。人々の前に立つ者。魔物と戦う者。
様々な姿を描いた絵画が並んでいた。
「……すごい」
リオンが辺りを見回す。
「神殿って、こんなに大きいんだね」
「俺も初めて見た」
ラグナが答える。
「行ったことある人の感想じゃないわね」
「だから全然違うんだって」
奥へ進むと。
白い衣を纏った者たちが、ラケルに気付いて頭を下げる。
そのうちの一人が一行へ近付いてきた。
「副団長殿」
「突然すまない」
ラケルが答える。
「確認してもらいたいことがある」
そう言ってルミナスを見る。
白い衣の者も、その視線を追う。
「こちらの方が……?」
「ああ」
それだけで何かを察したらしい。
「分かりました」
白い衣の者は、神殿のさらに奥へと歩き始める。
「こちらへ」
ラグナたちもその後を追った。
やがて、広い空間へ出る。
そして。
ラグナはそこにあるものを見て、再び足を止めた。
「……あ」
中央。
透明なケースの中に、一つの光があった。
丸い。
小さな光。
ゆっくりと宙を漂っている。
「これは……」
忘れるはずがない。
周りはまるで違う。
崩れた壁も、折れた柱もない。
雨風に晒され苔の生えた石もない。
けれど、あの光だけは同じだった。
「ラグナが見たのも、これ?」
リオンが尋ねる。
「ああ」
ラグナは。
光を見つめたまま答える。
「これだ」
エルが透明なケースへ近付く。
「こっちは随分、大事にされてるのね」
「触れないでくださいね」
白い衣の者が慌てて言った。
「触らないって!」
エルが一歩下がる。
ライカが初めて光を見ながら口を開いた。
「……何の光?」
その問いに。
白い衣の者は少し驚いたようにライカを見る。
「私たちにも、詳しいことは分かっていません」
「分からない?」
「はい」
その者は光を見る。
「いつから存在しているのか。誰が生み出したものなのか。それすら、今となっては」
ラグナも。
黙って光を見る。
「ですが」
白い衣の者は続ける。
「一つだけ、分かっていることがあります」
視線が。
ルミナスへ向く。
「勇者様が近付いた時」
「この光は、強く輝く」
「……」
ルミナスは。
透明なケースの中の光を見つめた。
「近付けばよいのですか?」
「はい」
「分かりました」
ルミナスが。
一歩、前へ出る。
「……」
ラグナはその背中を見ていた。
何となく、昔の自分を思い出す。
あの日。
同じように光へ向かって歩いた。
もしかしたらと、そう思いながら。
一歩。
また一歩。
近付いた。
けれど何も起こらなかった。
光はただ、ラグナの身体を通り抜けただけだった。
そして今、ルミナスが光へ近付く。
あと数歩。
光は変わらない。
もう一歩。
「……」
ラグナは知らず、息を止めていた。
ルミナスが透明なケースの前に立つ。
その瞬間。
光が揺れた。
「……!」
一度。
大きく脈打つように。
そして次の瞬間、眩い光が神殿の中へ広がった。
「わっ……!」
エルが目元を手で覆う。
リオンも思わず目を細める。
光は、透明なケースの中で先ほどまでとは比べものにならないほど強く輝いていた。
まるで、そこに立つルミナスへ応えるように。
「……綺麗」
ライカが呟く。
ルミナス自身も驚いたように光を見つめていた。
「これが……」
白い衣の者が、震える声で言う。
「勇者の証……」
ラグナは何も言わなかった。
ただ、光の中に立つルミナスを見ていた。
昔、自分には応えなかった光。
けれど不思議と悔しいとは思わなかった。
「……やっぱり」
小さく。
笑う。
「お前が勇者なんだな」
ルミナスが振り返った。
「ラグナ?」
「いや」
ラグナは首を振る。
「何でもねぇ」
その時だった。
神殿の入口の方からざわめきが聞こえてきた。
「何だ?」
振り返ると、いつの間にか神殿の外には多くの人々が集まっていた。
「……あ」
リオンが声を漏らす。
王都を歩いていた時よりもさらに多くの視線。
噂を聞きつけたのだろう。
勇者が神殿へ来た。
その話を確かめるために人々が集まっていた。
開かれた入口から神殿の中を覗いている。
「光ったぞ」
「本当に……?」
「じゃあ、あの人が……」
「勇者様……」
声が少しずつ広がっていく。
ルミナスが本物の勇者である。
光景を見た者たちから、その事実が波紋のように伝わっていく。
けれど、その中から別の声が上がった。
「でも……」
誰かが言った。
「あの魔族は何なんだ?」
空気が変わった。
ライカの肩が僅かに揺れる。
「勇者様と一緒に来たんだろ?」
「どうして魔族が王都にいるんだ」
「本当に大丈夫なのか?」
ルミナスがライカの前へ一歩出ようとする。
だが、その前に。
「皆さん」
ラケルが神殿の入口へ歩いていった。
声を荒らげてはいない。
それでも、騎士団副団長の声に人々は少しずつ静かになる。
「今、皆さんが見た通りです」
ラケルは神殿の中を示す。
「神殿の光は、彼女に応えました」
人々の視線がルミナスへ集まる。
「彼女は」
ラケルははっきりと言った。
「勇者です」
ざわめきが再び広がる。
だが先ほどまでとは違う。
疑いではない。
驚き。
戸惑い。
そして、どこか安堵したような声。
それでもライカへ向けられる視線だけは消えなかった。
ラケルもそれを分かっている。
「そして」
続ける。
「皆さんが不安に思っている魔族についても、騎士団は把握しています」
ライカがラケルを見る。
「王都に滞在している間」
ラケルは言った。
「彼女は勇者様の管理の下に置かれます」
「……」
ラグナの表情が変わった。
リオンも。
エルも。
言葉を失う。
ライカはただ、ラケルを見ていた。
管理。
その言葉をラグナたちは知っている。
ほんの少し前までいたユリウス領で、何度も聞いた言葉。
魔族が人間を管理する。
人間は魔族の所有物として扱われる。
そこから少しずつ変わろうとしている土地。
「勇者様が……」
群衆の中から声がする。
「勇者様が見ているなら……」
「騎士団も把握しているのか」
「それなら……」
人々の緊張が、ほんの少しずつ解けていく。
ラケルの言葉は確かに人々を安心させていた。
けれど、ラグナたちは笑えなかった。
「……」
ラケルが振り返る。
その目が、ラグナたちを見る。
そして彼らの表情を見た瞬間、ほんの僅かに目を細めた。
「……なるほど」
小さな声だった。
群衆には届かないほどの。
ラグナが、ラケルを見る。
「ラケル」
「話は」
ラケルが静かに言った。
「中でしよう」
その視線が一度だけライカへ向く。
「君たちが、その言葉を好ましく思っていないことも含めてね」
ラグナは何も答えなかった。
神殿の光は、今もルミナスの傍らで静かに輝いていた。




