第百十二話 待っていた
森の奥。
木々の間を抜けた先に、見慣れた村が見えてきた。
「……着いた」
フィリアが小さく呟く。
その隣で、カインも村を見つめていた。
数日前。
ここを出発した時と、何も変わっていない。
木造の家々。
畑の向こうに広がる森。
そして、村の中を行き交う魔族たち。
「おーい!」
村の入口にいた魔族の一人が、こちらに気付いて手を上げた。
「フィリアたちが帰ってきたぞ!」
その声を聞いて、近くにいた村人たちも振り返る。
「ああ、カインじゃないか!」
「待ってたぞ!」
「農具の修理、まだ終わってないんだからな!」
カインは思わず笑った。
「ただいま戻りました。修理は後で確認しますね」
「頼むぞ!」
別の村人が、フィリアへ声を掛ける。
「フィリアもおかえり!」
「ただいま」
フィリアは嬉しそうに手を振った。
カインは、村人たちの顔を見回す。
誰も、どこへ行っていたのかと問い詰めたりはしない。
ただ、帰ってきたことを喜んでくれている。
昨日。
人間の村で、村長から言われた言葉を思い出す。
『いつでも帰っておいで』
そして今。
目の前にいる魔族たちが、自分を待っていたと言ってくれる。
「……カイン?」
フィリアが顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「ううん」
カインは笑った。
「帰ってきたんだなって思って」
「そうね」
フィリアも笑う。
「帰ってきたのよ」
「フィリア!」
村長の家へ戻ると、出迎えた村長が真っ先にフィリアへ歩み寄った。
「無事だったか!」
「ただいま」
「人間たちに酷いことをされなかったか?」
「されてないわよ」
「本当か?」
「本当よ」
「嫌なことを言われたりは?」
「お父さん!」
フィリアが少し声を上げる。
「心配しすぎよ。ラグナたちも一緒だったんだから」
「それは分かっているが……」
村長はまだ心配そうにフィリアを見ている。
「人間の村へ行くと言い出した時は、どうなることかと思ったぞ」
「ちゃんと帰ってきたでしょう?」
「……そうだな」
村長はようやく息をついた。
その様子を見ていたラグナが、カインへ小声で話しかける。
「……ずっとあんな感じなのか?」
「はい」
カインは苦笑した。
「僕たちが出掛ける前から、ずっと心配していましたから」
「聞こえているぞ」
村長が振り返る。
「お前たちが無事だったから言えることだ」
「はいはい」
フィリアは笑いながら答えた。
「心配してくれてありがとう」
「……まったく」
村長はそう言いながらも、少し嬉しそうだった。
村長の家で荷物を下ろすと、カインとフィリアはそれぞれ着替えを始めた。
人間の村へ行くために身につけていた服を脱ぎ、いつもの服へ戻る。
カインは黒い服に袖を通し、外していた紫色のアメジストの耳飾りをつけた。
フィリアも、普段の服に着替える。
そして。
「ライカ、こっち向いて」
エルが声を掛けた。
「……うん」
ライカはエルに手伝ってもらいながら、人間の村で着ていた服を脱ぎ、深海の巫女服へ着替えた。
黒と深い青を基調とした衣装。
胸元には、深海色の刻。
長い髪を整え、いつもの姿へ戻る。
ライカは、自分の袖を見下ろした。
それから、裾を軽く持ち上げる。
「……落ち着く」
その一言に、エルが吹き出した。
「ふふっ、やっぱりそっちの方がいい?」
「……うん」
ライカは頷く。
「こっちの方が、慣れてる」
「そうよね。あたしもいつもの服が一番落ち着くし」
エルはライカの服を整えながら、笑った。
「でも、人間の服も似合ってたよ?」
「……そう?」
「うん! また着てみたくなったら言ってね」
ライカは少し考える。
「……また、必要になったら」
「必要な時だけなの?」
「……うん」
エルはもう一度笑った。
「そっか!」
ライカも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
その日は、村で過ごすことになった。
カインは約束していた農具の修理へ向かい、ラグナは畑仕事を手伝う。
「悪いな、こっちも頼めるか?」
「ああ、任せろ!」
ラグナは村人から渡された道具を受け取り、畑の端へ運んでいく。
「お前、力があるなぁ」
「まあ、剣振ってたからな」
「剣?」
「……いや、こっちの話」
村人は不思議そうに首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
その頃。
村の広場では、エルがハープを抱えて座っていた。
その隣には、フルートを手にしたフィリアがいる。
「じゃあ、始めるわよ!」
エルが声を掛けると、ルナたち子どもが集まってきた。
「エル、今日はどんな曲?」
「そうねぇ。今日はフィリアと一緒だから、少し違う曲にしようかな」
「フィリアも吹くの?」
「ええ」
フィリアが笑う。
「久しぶりだから、上手く吹けるか分からないけど」
「大丈夫よ!」
エルはハープの弦を軽く弾いた。
柔らかな音色が広場に響く。
それに重なるように、フィリアのフルートが静かに鳴り始めた。
二つの音が重なり合い、森の中へ溶けていく。
ルナたちは目を輝かせながら、その音色に耳を傾けていた。
一方。
リオンは、村の家々を回っていた。
「少し見せてもらってもいいですか?」
「ああ、頼むよ」
畑仕事の途中で手を切ったという村人が、リオンへ手を差し出す。
「大きな傷じゃないんだけどな」
「そうですね。でも、ちゃんと治しておきましょう」
リオンは傷口を確認し、静かに手をかざした。
柔らかな光が傷を包み、少しずつ塞がっていく。
「おお……」
村人が驚いたように声を漏らす。
「相変わらず、すごいな」
「ありがとうございます」
リオンは笑った。
「でも、無理はしないでくださいね」
「分かってるよ」
そう答える村人を見て、リオンは少しだけ苦笑した。
村の外。
ルミナスとライカは、食料を集めに行く村人たちに同行していた。
森の中には、食べられる木の実や山菜が多く生えている。
村人たちは慣れた様子で籠を抱え、木々の間を歩いていく。
「この辺りは、よく採れるんだ」
先頭を歩く魔族が言った。
「ただ、魔物が出ることもあるからな」
「それで、私たちが護衛をするのですね」
ルミナスが頷く。
「ああ。頼りにしてるよ」
「お任せください」
ルミナスは微笑んだ。
ライカも、その隣を歩いている。
村人たちが木の実を採る間、周囲へ目を向ける。
森の中は静かだった。
木々の葉が揺れ、時折、小鳥の声が聞こえる。
「ライカ」
ルミナスが小さく声を掛ける。
「はい?」
「何か気になることはありますか?」
「……ううん」
ライカは首を横に振った。
「静か」
「そうですね」
ルミナスは周囲を見回す。
「このまま何事もなく帰れるといいのですが」
その時だった。
茂みの奥から、低い唸り声が聞こえた。
「……!」
ライカが顔を上げる。
次の瞬間。
大きな魔物が茂みを突き破り、木の実を採っていた村人へ飛び掛かった。
「うわっ!」
村人が籠を落とす。
ルミナスが剣へ手を伸ばすより早く。
ライカの身体が動いていた。
「……!」
指先から、青白い光が走り、雷は魔物の足元の水たまりに落ちる。
鋭い音と光に驚いた魔物は、飛び掛かる勢いを失い、後ろへ跳び退く。
その隙に、ルミナスが村人の前へ立った。
「下がってください!」
魔物は二人を警戒するように唸ったが、やがて身を翻し、森の奥へ逃げていった。
「……ふう」
ルミナスが剣から手を離す。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……」
村人は地面に座り込んだまま、ライカを見上げていた。
ライカは、自分の手を見る。
今。
何も考えなかった。
村人が襲われそうになったのを見て。
ただ。
身体が動いた。
「……ごめんなさい」
ライカが小さく言う。
「驚かせた?」
「え?」
村人は目を瞬く。
それから、慌てて首を横に振った。
「いやいや! 助かったよ!」
「……」
「ありがとうな。おかげで怪我をせずに済んだ」
ライカは。
少しだけ驚いたように村人を見た。
「……うん」
小さく頷く。
その隣で、ルミナスが微笑んだ。
「ライカのおかげですね」
「……」
ライカは気付かれないようにもう一度、自分の手を見た。
指先に薄く残った白いヒビのような跡。
少し経てば、これも元に戻る。
それよりも。
村人が笑って礼を言ってくれたことが。
胸の中に残っていた。
夕方。
村へ戻ると、広場にはまだエルとフィリアの音楽が響いていた。
「おかえり!」
ルナが手を振る。
「……ただいま」
ライカが答える。
「今日はたくさん採れた?」
「うん」
ライカは村人たちの籠を見る。
木の実や山菜が、いっぱいに入っていた。
「すごい!」
ルナが目を輝かせる。
ライカは少しだけ笑った。
その日の夜。
ラグナたちは、村長の家で夕食を囲んだ。
それぞれが一日をどう過ごしたのか話しながら、賑やかな時間が流れていく。
やがて夜が更け、皆が眠りについた。
◇
翌朝。
ラグナたちは、再び旅立つ準備をしていた。
「もう行くの?」
フィリアが少し寂しそうに尋ねる。
「ああ」
ラグナが頷く。
「そろそろ王都に戻ろうと思ってな」
「王都ですか?」
カインが聞く。
「ああ。王様にも、今までのことを報告しておきたいしな」
「そうですね」
リオンも頷く。
「ルミナスのことも、ちゃんと伝えておきたいし」
「はい」
ルミナスが静かに答えた。
村の入口には、カインとフィリア、村長、それから何人かの村人たちが集まっていた。
「また来てね」
フィリアが言う。
「もちろん!」
エルが笑顔で答えた。
「今度はもっと長くいられるといいわね」
「そうね!」
カインも、ラグナたちへ笑いかける。
「今度はこちらから会いに行くかもしれませんね」
その言葉に。
村長がぴくりと反応した。
「……カイン?」
「はい?」
「こちらから、というのは……」
村長は心配そうにカインを見る。
「また人間の村へ行くつもりなのか?」
「……」
カインは一瞬だけ黙る。
それから。
小さく笑った。
「冗談ですよ」
「……まったく」
村長が大きく息をつく。
「心臓に悪いことを言うな」
「すみません」
カインは苦笑した。
その隣で、フィリアが嬉しそうに笑っている。
カインが自分から、また外へ出るかもしれないと言った。
それが。
少し前までのカインとは違っていたから。
「じゃあな!」
ラグナが手を上げる。
「また会いましょう」
ルミナスが頭を下げる。
「……またね」
ライカも小さく手を振った。
村人たちが手を振り返す。
「気をつけてな!」
「また来いよ!」
その声を背に。
ラグナたちは森の道へ歩き出した。
カインとフィリアは、並んでその背中を見送る。
やがて。
木々の向こうへ姿が見えなくなる。
「……行っちゃったわね」
フィリアが呟く。
「うん」
カインは頷いた。
「でも、また会えるよ」
「そうね」
フィリアは笑った。
二人は。
村の方へ振り返る。
そこには。
いつもの家々と、畑が広がっている。
そして。
自分たちを待っている者たちがいた。
「帰ろうか」
カインが言う。
「ええ」
フィリアは頷いた。
二人は並んで歩き出す。
自分たちの帰る場所へ。
そして。
ラグナたちもまた。
新たな目的地へ向かって、森の道を進んでいった。




