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第百十一話 どちらも帰る場所

 その日の夜。


 ラグナたちは、カインの家で一晩を過ごすことになった。


 長い間誰も暮らしていなかったとはいえ、家そのものに大きな傷みはない。


 人数は多いものの。


 一晩を過ごすだけなら、十分だった。


「これを持っていきな」


 日が沈む少し前。


 一度家へ戻った村長が、再び大きな籠を抱えてやって来た。


 中には野菜やパン。


 それから、少しばかりの干し肉が入っている。


「こんなに……いいんですか?」


 カインが驚く。


「一晩分くらいさ」


 村長は笑った。


「久しぶりに帰ってきたんだから、今日くらいは気にしなくていいよ」


「ありがとうございます」


 カインが頭を下げる。


「何度もお礼なんて言わなくていいよ」


 村長はそう言い残し。


 杖をつきながら帰っていった。


 夕食は。


 皆でテーブルを囲んだ。


 カインが幼い頃。


 両親と何度も食事をした場所。


 そこに今は。


 ラグナたちが座っている。


「これ、美味しい!」


 エルがパンを頬張る。


「エル、まだあるからそんなに急がなくても大丈夫だよ」


 隣でリオンが笑った。


「分かってるわよ」


 そう言いながら。


 エルは次の一切れへ手を伸ばしている。


「……分かってないな」


 ラグナが呟く。


「聞こえてるわよ」


「聞こえるように言った」


「なによ!」


 いつも通りの声が。


 静かだった家の中に響く。


 カインは。


 その光景を眺めていた。


「どうしたの?」


 向かいに座るフィリアが尋ねる。


「いや」


 カインは小さく笑う。


「こんなに大勢で、このテーブルを囲むことになるとは思わなかったから」


「嫌だった?」


「まさか」


 カインは首を横に振る。


「少し、不思議なだけだよ」


 そう言って。


 テーブルへ目を落とす。


 そこには。


 人数分の食事が並んでいる。


 両親が亡くなってからは。


 一人で座ることの方が多かった場所。


 それが今は。


 少し狭いくらいだった。


「……悪くないね」


 カインが小さく呟く。


 フィリアは。


 その言葉を聞いて。


 何も言わずに笑った。


 ◇


 夜が更ける。


 久しぶりに人の声が響いた家も。


 今は静まり返っていた。


 それぞれが場所を見つけ。


 眠りについている。


 窓から差し込む月明かりだけが。


 薄暗い室内を照らしていた。


 フィリアは一人。


 窓辺に立っていた。


 窓の向こう。


 静かな村の上に。


 丸い月が浮かんでいる。


「……」


 昼間。


 村長から聞いた話を思い出す。


 幼いカイン。


 その両親。


 三人でこの村へやって来た日のこと。


 父親が農具を直し。


 母親が種を分け。


 少しずつ村の中に居場所を作っていったこと。


 そして。


 父親が母親へ贈った琥珀。


 何も知らなかった。


 カインが。


 自分と出会うより前に。


 どんな場所で。


 どんな人たちと生きていたのか。


「フィリア」


 後ろから。


 小さな声がした。


 フィリアが振り返る。


「ライカ」


「寝ないの?」


「もう少ししたら寝るわ」


 ライカは。


 眠っている皆を起こさないように静かに歩き。


 フィリアの隣へ立った。


 二人で。


 窓の外を見る。


「……この前もこうしてた」


 ライカが言う。


「この前?」


「魔族の村で」


「ああ」


 フィリアは思い出す。


 あの夜も。


 一人で考えていた。


 カインは。


 本当にこのままでいいのか。


 人間の村へ帰りたいと思っているのではないか。


 けれど。


 自分に心配を掛けないために、何も言わないだけなのではないか。


 そんなことを。


 ずっと考えていた。


「あの時は、あなたが話を聞いてくれたわね」


「うん」


「……ありがとう」


「?」


 ライカがフィリアを見る。


 フィリアは。


 窓の外へ目を戻した。


「今日のカイン」


 少しだけ笑う。


「笑ってたでしょう?」


「うん」


 ライカも。


 昼間のカインを思い出す。


 琥珀を握りながら。


 村長の話を聞いていた。


 そして最後に。


 来て良かったと笑った。


「あんな顔、初めて見たわ」


「初めて?」


「ええ」


 フィリアは頷く。


「カインって、いつも笑ってるのよ」


「そうなの?」


「そうよ。困ってる時も、私が何か言った時も」


 少し呆れたように。


 けれど。


 どこか優しい声で続ける。


「大丈夫だからって笑うの」


 ライカは。


 黙って聞いていた。


「でも今日の笑顔は、少し違った」


 フィリアは。


 月を見る。


「あんなに安心したような顔は、初めて見たわ」


 ずっと気になっていた家が。


 まだ残っていた。


 自分が帰ってくるかもしれないからと。


 村長が守ってくれていた。


 そして。


 知らなかった両親の話まで聞くことができた。


「ここへ来られて良かった」


「……うん」


「あなたに話して良かったわ」


 ライカが。


 目を瞬く。


「私に?」


「ええ」


「……私、何もしてない」


 フィリアがライカを見る。


「何も?」


「フィリアが心配してたことを、ラグナに言っただけ」


 ライカは。


 少し考えてから続ける。


「カインに聞いたのもラグナ」


「そうね」


「ここに来るって決めたのもカイン」


「ええ」


「だから」


 ライカはフィリアを見る。


「私は、何もしてない」


 フィリアは。


 少しの間。


 ライカを見つめていた。


 それから。


 小さく笑った。


「それでもよ」


「……?」


「私の様子がおかしいって気付いて」


 フィリアは言う。


「こうして話を聞きに来てくれたのは、あなたでしょう?」


 ライカは。


 何も言わなかった。


 あの夜。


 一人で外にいたフィリアを見つけた。


 何かあったのかと思って。


 隣へ行った。


 ただ。


 それだけだった。


「あなたが声を掛けてくれなかったら、私はずっと一人で考えてたかもしれない」


「……」


「だから、ありがとう」


 ライカは。


 少しだけ俯いた。


 月明かりの中。


 長い髪が顔に掛かる。


「……うん」


 小さな声。


 少しだけ。


 恥ずかしそうだった。


 フィリアは。


 そんなライカを見て笑う。


「ライカも変わったわね」


「?」


「なんでもない」


「……そう?」


「ええ」


 二人は。


 もう一度。


 窓の外を見た。


 静かな村。


 その向こうに。


 月が浮かんでいる。


 今度は。


 どちらも悩んでいなかった。


 ◇


 翌朝。


 朝の光が。


 カインの家へ差し込む。


「忘れ物ない?」


 エルが荷物を確認しながら尋ねる。


「大丈夫だよ」


 リオンが答える。


「ラグナは?」


「俺も大丈夫」


「本当に?」


「なんで俺だけ疑うんだよ」


「なんとなく」


「なんとなくで疑うな」


 そんな声を聞きながら。


 カインは家の中を見回していた。


 昨日。


 開けた窓を閉める。


 椅子を元の場所へ戻し。


 使った食器を片付ける。


 ここへ来た時と。


 ほとんど同じ姿へ戻っていく。


 けれど。


 カインにとっては。


 昨日までとは少し違う場所になっていた。


「カイン」


 フィリアが呼ぶ。


「準備できた?」


「うん。もう大丈夫だよ」


 その時。


 玄関の扉が叩かれた。


「おや、もう出るところだったかい?」


 聞き覚えのある声。


 カインが扉を開ける。


「村長さん」


 昨日と同じように。


 杖をついた村長が立っていた。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 村長は家の中を覗く。


 すでに全員。


 荷物を持って出発の準備を終えている。


「もう行くのかい?」


「はい」


 カインが頷く。


「一度、魔族の村へ戻ります」


「そうかい」


 村長は。


 それ以上何も聞かなかった。


 ただ。


 カインを見上げる。


「カイン」


「はい」


「この家は、このまま残しておくよ」


「……え?」


 カインが目を瞬く。


「でも」


「昨日も言っただろう?」


 村長は笑う。


「あんたが帰ってくるかもしれないから残しておいたんだ」


「……」


「これからも同じさ」


 村長は。


 家を見る。


「ここは、あんたの家なんだから」


 カインは。


 何も言えなかった。


「いつでも帰っておいで」


 その言葉を聞いて。


 カインは僅かに目を伏せた。


「……ありがとうございます」


 深く。


 頭を下げる。


「だから、何度も礼なんていらないって」


 村長が笑う。


 そして。


 視線を動かした。


 カインの隣。


 そこに立っていたフィリアを見る。


「それから」


「?」


 フィリアが首を傾げる。


「あんたもね」


「……私?」


「ああ」


 村長は。


 当たり前のように言った。


「あんたも、いつでもおいで」


 フィリアが。


 目を見開く。


「私も……いいんですか?」


「もちろんさ」


 村長は笑う。


「カインの友達なら、誰でも歓迎するよ」


「……」


 フィリアは。


 すぐに言葉を返せなかった。


 今。


 自分が着ているのは人間の服。


 長い耳も。


 目立たないように髪で隠している。


 けれど。


 村長が本当に。


 何も気付いていないのか。


 フィリアには分からなかった。


 カインは。


 幼い頃からこの人を知っている。


 そして村長も。


 カインがどんな人間なのかを。


 ずっと見てきた。


 だから。


 それ以上。


 何も聞かなかった。


「……ありがとうございます」


 フィリアは。


 ゆっくりと頭を下げた。


「また来ます」


「ああ」


 村長は嬉しそうに頷く。


「待ってるよ」


 それだけ言って。


 村長は背を向けた。


 杖をつきながら。


 ゆっくりと歩いていく。


 その背中を。


 皆で見送る。


「……良い村長だな」


 ラグナが言った。


「はい」


 カインは。


 遠ざかっていく村長を見る。


「本当に……」


 小さく。


 けれど。


 穏やかな声だった。


 ◇


 村を出る。


 昨日。


 自分たちが入ってきた道を。


 今度は反対へ歩いていく。


 村人たちは。


 相変わらずだった。


 遠くからこちらを見る者はいても。


 声を掛けてくる者はいない。


 それでも。


 カインは昨日ほど気にしていなかった。


 やがて。


 村の出口へ辿り着く。


 そこで。


 カインが一度だけ振り返った。


 遠く。


 家々の向こう。


 両親と暮らした家がある。


 この村で。


 両親は生きた。


 決して。


 最初から受け入れられていたわけではなかった。


 それでも。


 父親は畑を手伝い。


 農具を直した。


 母親は種を分け。


 必要な者へ渡した。


 二人で。


 幼い自分を育ててくれた。


 そして。


 二人がいなくなった後も。


 あの家を守ってくれていた人がいた。


 いつでも帰っておいで。


 その言葉が。


 胸の中に残っている。


 もう。


 あの家がなくなってしまうかもしれないと。


 心配する必要はない。


 帰ってきてもいい。


 そう言ってくれる人がいる。


 カインの手が。


 胸元へ伸びる。


 服の上から。


 琥珀へ触れた。


 父が。


 母へ贈ったもの。


 そして今は。


 自分が持っているもの。


「カイン」


 フィリアが呼ぶ。


 カインは。


 村から目を離す。


「うん」


 前を見る。


 そこには。


 ラグナたちがいる。


 そして。


 この先には。


 自分を待っている者たちがいる。


「行こうぜ」


 ラグナが言う。


「魔族の村に帰らないとな」


「……はい」


 カインは笑った。


「帰りましょう」


 歩き出す。


 両親と過ごした場所を背に。


 今。


 自分を待っている者たちのいる場所へ。


 どちらかを。


 選ぶ必要なんてなかった。


 大切な場所が。


 一つでなければならない理由もない。


 いつでも帰ってきていい場所。


 帰れば。


 待っていたと迎えてくれる場所。


 そのどちらも。


 カインにとって。


 大切な帰る場所だった。

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