第百八話 カインの帰る場所
翌朝。
朝食を終えて間もなく、ラグナはカインに声を掛けた。
「カイン、ちょっといいか?」
「僕ですか?」
「ああ。少し話したいことがある」
カインは不思議そうに首を傾げた。
その隣では、リオンもラグナを見ている。
「リオンも来てくれ」
「僕も?」
「ああ」
何も聞かされていないリオンは僅かに戸惑っていたが、それでも頷いた。
三人は村長の家を出る。
向かったのは、昨夜ラグナが剣を磨いていた場所だった。
森の中にある、小さな広場。
朝の日差しが木々の隙間から差し込み、昨夜とはまるで違う場所のように見える。
三人が立ち止まる。
カインはラグナとリオンを交互に見た。
「それで、話というのは?」
「ああ」
ラグナは濁さず、真っ直ぐカインを見る。
「元いた村のこと、どう思ってるのかフィリアが気にしてたぞ」
「……」
カインが目を瞬いた。
そして。
困ったように首の後ろへ手を当てる。
「……単刀直入ですね」
「回りくどく聞いても仕方ねぇだろ」
「それは、そうですが……」
何も聞かされていなかったリオンも、ようやく話の内容を理解したらしい。
少し考えてから、カインを見る。
「でも、確かにカインさんが元いた村のことは、ほとんど聞いたことがなかったね」
「……ええ」
二人の顔を見て。
カインは小さく息を吐いた。
「気を使ってくれたんですね」
「フィリアが?」
「はい」
カインは村長の家がある方へ目を向ける。
木々に遮られ、ここから家は見えない。
それでも。
その先にいる者たちを見ているかのようだった。
「彼らの前で人間の村の話をするのは、余計な心配をさせますから」
「心配?」
「僕が、この村を出ていくんじゃないかって」
カインは僅かに笑う。
「この村に受け入れてもらえただけで、僕は本当にそれだけで良いと思っています」
その言葉に嘘はないように見えた。
昨日。
魔族たちと同じ黒い衣を身につけ、耳には紫色のアメジストを飾っていた。
村長も、村の魔族たちも。
もうカインを余所から来た人間として扱ってはいなかった。
カイン自身も。
それを嬉しく思っている。
けれど。
「とはいえ……」
カインの手が、首元へ伸びる。
「何も心残りがない、というわけでは確かにありません」
服の下から取り出したのは、小さな琥珀のネックレス。
カインはそれを握る。
「僕の両親は、もういません」
ラグナとリオンは黙って聞いていた。
「それでも村には、両親と過ごした家があります」
琥珀を見つめる。
「僕がいなくなってから、もう随分経ちました」
少しだけ。
カインの声が弱くなる。
「そこが今、どうなっているのか……」
その表情には。
隠しきれない不安があった。
ラグナたちが初めて見る、カインの表情だった。
「……そっか」
ラグナはそれだけ答えた。
カインは魔族たちに捕らえられてから、一度も人間の村へ帰っていない。
フィリアと森の小屋で暮らし。
再びこの村へ戻ってきて。
それからは、自分を受け入れてもらうために過ごしてきた。
ようやく魔族たちに受け入れられ。
生活も落ち着いた。
だからこそ。
今になってようやく、置いてきたものを思い出す余裕ができたのかもしれない。
「見に行きたいんだな?」
ラグナが尋ねる。
カインは少し迷ってから。
「……はい」
頷いた。
「家を、一目見るだけで良いんです」
「だったら行けばいいんじゃねぇか?」
「そう簡単にはいきません」
カインは苦笑する。
「僕がこの村を出て人間の村へ行くことは、ここの人たちにとって不安になるでしょうから」
「人間から隠れて暮らしてるから?」
リオンが尋ねる。
「ええ」
カインは頷く。
「僕が他の人間に、この村のことを話してしまうんじゃないか。そんな不安を煽ってしまうことになります」
ラグナとリオンは顔を見合わせる。
少し考えて。
リオンが口を開いた。
「人間の村へ帰って、そのまま暮らしたいというわけではないんですよね?」
「ええ」
カインの答えに迷いはなかった。
「家を一目見るだけで良いんです」
「それならさ」
ラグナが言う。
「俺たちが一緒について行って、また魔族の村に戻ってくればいいんじゃねぇか?」
カインが目を瞬いた。
「皆さんが?」
「ああ」
「うん。それなら良いかもしれないね」
リオンも頷く。
「僕たちも一緒なら、村長さんたちも少しは安心してくれるんじゃないかな」
「ですが……」
カインは二人を交互に見る。
「皆さんの旅の妨げになるのでは?」
「俺たち、別に急いでねぇし」
ラグナは笑う。
「それに、フィリアや村長が受け入れてくれるかどうか……」
「少なくとも、フィリアは賛成してくれると思うな」
リオンが柔らかく笑った。
「ああ」
ラグナも頷く。
「むしろフィリアには話した方が良い」
「……」
「カインから聞きたかった言葉だと思うぜ」
カインは黙る。
手の中にある琥珀を見つめ。
やがて。
二人を見た。
「本当に……助けていただいてばかりですね」
「なんてことねぇよ」
ラグナは笑顔で答える。
「僕も、役に立てるなら嬉しいです」
リオンもそう続けた。
カインは二人を見て。
ほんの少しだけ。
肩の力を抜いた。
◇
三人が村長の家へ戻ると、ライカたちはまだ机を囲んで話していた。
扉が開き。
ライカが顔を上げる。
ラグナと目が合った。
ラグナが小さく頷く。
それだけで。
ライカには分かった。
隣に座っていたフィリアを見る。
「大丈夫」
声には出さず。
ただ、頷く。
フィリアは僅かに目を見開いた。
それから。
安堵したように小さく息を吐いた。
「……?」
そんな二人をルミナスが交互に見る。
「何かありましたか?」
「なんでもないわ」
「……ううん」
フィリアとライカがほぼ同時に答える。
ルミナスはますます不思議そうな顔をした。
「ねぇねぇ!」
そこへエルが割って入る。
「それで、あたし達が村から出てから何か変わった?」
「変わったことか」
村長が腕を組む。
「そうじゃな。色々あるが……」
そこで。
戻ってきたカインの姿を見て、少し得意そうに笑った。
「こやつが農具を直してくれるようになってから、畑仕事は随分と楽になったの」
「へぇ!」
「壊れるたびに新しいものを仕入れる必要もなくなった。作業も早くなって、採れる作物も増えた」
村長の口調は。
どこか自分のことを話しているように誇らしげだった。
「それに、カインは村の外の植物にも詳しい。最近では他の者たちと一緒に森へ出て、食べられるものを探しておる」
「もう村の外にも一緒に出てるんだ」
リオンが驚く。
「ええ」
カインが笑う。
「最初は皆さん警戒していましたけどね」
「当然じゃ」
村長が言う。
「人間を連れて森の外へ出るなど、昔なら考えられんかった」
そう言いながらも。
その表情は穏やかだった。
「おかげで、この村も随分と暮らしやすくなった」
フィリアが嬉しそうにカインを見る。
カインは少し照れくさそうに笑った。
そして。
一度だけ、ラグナを見る。
ラグナが頷く。
カインは小さく息を吸った。
「フィリア」
「なに?」
カインの声に。
フィリアが振り返る。
「少し、話したいことがあるんだ」
フィリアの目が僅かに見開かれた。
カインは首元へ手を伸ばす。
琥珀のネックレスを握った。
「僕がいた、人間の村のことなんだけど」
「……」
フィリアは黙ってカインを見る。
昨日まで。
何度尋ねても。
『僕は大丈夫だから』
それしか言わなかった。
そんなカインが。
今。
自分から話そうとしている。
フィリアはほんの少しだけ俯いた。
そして。
顔を上げた時には。
柔らかく笑っていた。
「……うん」
ずっと。
聞きたかった言葉だった。
「聞かせて」
◇
カインは全てを話した。
両親と暮らしていた家が、今どうなっているのか気になっていること。
人間の村へ戻って暮らしたいわけではないこと。
ただ。
一度だけ、家を見に行きたいこと。
そして。
ラグナたちが一緒に来てくれると言っていること。
フィリアは最後まで黙って聞いていた。
「……そう」
話を聞き終えて。
小さく頷く。
「じゃあ、私も行くわ」
「……え?」
カインが固まった。
「私も行く」
「いや、フィリア」
「なに?」
「君は村に残っていた方が良いと思う」
フィリアの眉が僅かに動いた。
「どうして?」
「僕のいた村は、その……」
カインは言いづらそうに視線を逸らす。
「あまり、外から来た人を歓迎するような場所じゃないんだ」
「でも、ラグナたちは行くんでしょう?」
「皆さんにも、本当なら申し訳ないと思っています」
「なんで?」
エルが首を傾げる。
カインは困ったように笑った。
「村の人たちは、昔から余所から来た人間にあまり良い顔をしないんです」
「人間にも?」
ライカが尋ねる。
「ええ」
「じゃあ、私が魔族だからじゃない?」
「……もちろん、それも心配ではありますが」
ライカは少し考える。
「なら、行く」
「……ライカさんもですか?」
「うん」
「……」
カインは完全に困っていた。
そんなカインを見て。
フィリアが小さく笑う。
「諦めた方が良いんじゃない?」
「……そうみたいだね」
「それに」
フィリアはカインを見る。
「あなたが育った場所でしょう?」
カインが黙る。
「あなたのお父さんとお母さんがいた場所も、あなたが暮らしていた家も、私は何も知らないもの」
フィリアは柔らかく笑った。
「知りたいわ」
「……フィリア」
「だから、一緒に行く」
しばらく。
カインは何も言わなかった。
けれど。
最後には小さく笑って。
「分かったよ」
そう答えた。
◇
人間の村へ行くことが決まった。
すると。
別の問題が出てきた。
「……その格好で行くの?」
フィリアがライカを見る。
「?」
ライカは自分の服を見る。
「いつもの服」
「それは分かってるわ」
「ならいい?」
「よくないわね」
「どうして?」
フィリアがライカの服に付けられた青い宝石を見る。
「人間の村では目立つわ」
「……目立つ?」
「かなり」
そこへ。
エルが身を乗り出した。
「じゃあ人間の服に着替えればいいんじゃない?」
「人間の服?」
ライカがエルを見る。
「そうそう!」
エルの顔が。
妙に楽しそうだった。
フィリアも何かを思いついたらしい。
「そうね。私も昔使っていた服が残ってるわ」
「私も?」
「もちろん」
「……」
ライカが僅かに後ずさる。
けれど。
遅かった。
「ほら、行くわよ」
フィリアがライカの手を取る。
「ちょ、ちょっと」
「大丈夫! 絶対似合うから!」
今度はエルが反対側から背中を押した。
「待って」
二人に連れていかれる。
ライカは助けを求めるように振り返った。
ラグナと目が合う。
「……」
「……頑張れ」
「ラグナ」
そのまま。
ライカの姿は部屋の奥へ消えていった。
しばらくして。
最初に戻ってきたのはカインだった。
昨日まで着ていた魔族の村の黒い衣ではない。
この村へ来る以前に着ていた、人間の服。
耳元にあった紫色のアメジストも外されている。
「なんだか久しぶりですね」
カインは自分の服を見下ろす。
その後。
フィリアが姿を現した。
こちらも以前、森の小屋で暮らしていた頃に着ていた人間の村人らしい服装だった。
そして。
最後に。
「……落ち着かない」
ライカが出てきた。
いつもの黒い衣ではない。
生成りの長袖に、落ち着いた青色のスカート。
その上には濃い青のベストを重ね、足元も歩きやすそうな革靴に変わっている。
普段なら胸元や髪を飾っている青い宝石もない。
何度も袖や裾を触りながら、自分の姿を確かめていた。
「ほら、似合ってるじゃない!」
エルは満足そうだった。
「ええ。これなら人間の村にいても不自然じゃないわ」
フィリアも頷く。
ライカだけは、まだ納得していないようだった。
「……変じゃない?」
「全然!」
エルが即答する。
ライカは少し考えて。
ラグナを見る。
「ラグナ」
「ん?」
「変?」
ラグナはライカを見る。
いつもとは違う服。
青い宝石も、胸元の刻も見えない。
見慣れているはずなのに。
どこか違って見える。
「……なんか普通の女の子みたいだな」
「……?」
ライカが首を傾げる。
「普段は違うの?」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
ラグナが慌てて首を振る。
「じゃあ、どういう意味?」
「だから……その……」
言葉に詰まる。
「似合ってるってことだよ」
「そう」
ライカは自分の服をもう一度見る。
「なら、いい」
「……おう」
その横で。
エルとフィリアが顔を見合わせて、くすくすと笑っていた。
◇
出発することを伝えると。
予想通り。
村長は渋い顔をした。
「家を見るだけなのじゃな?」
「はい」
カインは頷く。
「様子を確認したら、すぐに戻ります」
「……本当に戻ってくるんじゃろうな?」
「もちろんです」
村長はまだ何か言いたそうだった。
そこへ。
話を聞きつけた村の魔族たちも集まってくる。
「農具の修理、まだ頼んでるんだからな」
「帰ってこなかったら困るぞ」
「森に行く約束も忘れるなよ」
次々に掛けられる言葉に。
カインは少し驚いたようだった。
そして。
笑う。
「分かっています」
その耳には。
今は紫色の宝石はない。
けれど。
もう誰も。
カインがこの村の仲間であることを疑ってはいなかった。
「必ず戻ります」
村長はしばらくカインを見ていた。
やがて。
「……なら、行ってこい」
それだけ言った。
「はい」
カインが頷く。
こうして。
七人は魔族の村を後にした。
◇
森を抜け。
人間たちが使う道へ出る。
カインの村までは、それほど遠くないという。
歩きながら。
ライカは何度も自分の服を見ていた。
袖を引っ張る。
裾を見る。
また袖を見る。
「まだ気になるの?」
エルが笑う。
「うん」
「そのうち慣れるって」
「……いつもの服がいい」
「帰ったら着替えればいいじゃない」
「そうする」
フィリアも笑っていた。
その少し前を。
カインが歩いている。
人間の服に戻ったカイン。
その姿を見ながら。
ライカは昨日のことを思い出していた。
魔族の服。
紫色のアメジスト。
今はどちらも身につけていない。
それでも。
カインが変わったわけではない。
『どんな格好でも、カインはカインなのにね』
昨日。
フィリアが言っていた。
ライカは自分の服を見る。
「……」
人間の服を着ていても。
自分は自分。
少しだけ。
落ち着かないけれど。
やがて。
道の先に家々が見えてきた。
「あそこです」
カインが言う。
足が。
ほんの少しだけ遅くなった。
ラグナはそれに気付いたが。
何も言わなかった。
七人はそのまま歩く。
そして。
村へ足を踏み入れた。
「……?」
最初に違和感を覚えたのは。
誰だっただろう。
畑で作業をしていた男が顔を上げる。
七人を見る。
その眉が僅かに寄った。
「……こんなところに旅人か」
歓迎する声ではなかった。
少し離れた場所にいた女たちも。
こちらを見ている。
「ずいぶん大勢ね」
「何しに来たのかしら」
小さな声。
けれど。
聞こえないほどではない。
ラグナが周囲を見る。
リオンも。
エルも。
さっきまでの表情とは違っていた。
やがて。
一人の村人がカインに気付く。
「あれ……」
目を細める。
「カインじゃないか?」
その声で。
何人かがこちらを見た。
「あぁ……戻ってきたのか」
「本当に帰ってくるなんてね」
ひそひそと。
声が交わされる。
そして。
誰も近付いてこない。
カインに声を掛けることもなく。
村人たちは、その場を離れていった。
「……」
ライカは。
その背中を見つめていた。
ラグナの村とは違う。
セリナの村とも。
魔族の森の村とも。
何かが違う。
カインが足を止める。
そして。
ラグナたちへ振り返った。
「……不快な思いをさせたら、すまない」
「なんでカインが謝るんだよ」
ラグナはすぐに答えた。
カインが僅かに目を見開く。
「でも……」
「カインが何かしたわけじゃねぇだろ」
「……」
「家、行こうぜ」
ラグナが先を促す。
カインはしばらく黙っていた。
やがて。
「……はい」
小さく頷き。
再び歩き始める。
村の奥へ進んでも。
向けられる視線は変わらなかった。
懐かしいはずの道を歩くカインの表情も。
どこか硬い。
ライカはその横顔を見つめる。
昨夜。
フィリアが言っていた。
『だって、彼がずっと住み続けてきた場所なんだから』
帰りたい場所。
そう思っていた。
けれど。
この村が本当にカインにとって。
そう呼べる場所だったのか。
ライカには。
まだ分からなかった。




