第百五話 同じなんだってこと
ラグナたちは、魔族の森を目指して歩いていた。
ガルドのいる村を出てから、しばらく経った頃。
辺りには街道沿いに広がる草原と、遠くまで続く緩やかな丘が見えている。
空はよく晴れていて、時折吹き抜ける風が旅人たちの髪や服を揺らしていった。
ラグナは先頭を歩きながら、遠くに見え始めた森へ目を向ける。
「ルナたち、元気にしてるかな」
何気なく口にした言葉に、エルがすぐに答えた。
「ルナは絶対元気でしょ」
「まあ、そうだろうな」
「また勝手に村の外に出て、怒られてたりしてね」
エルが笑う。
その後ろを歩いていたライカは、二人の会話を聞きながら首を傾げた。
「ルナ?」
「ああ、ライカは会ったことないもんな」
ラグナが振り返る。
ライカは小さく頷いた。
これから向かう場所が魔族の村だということは聞いている。
そこに、以前ラグナたちが出会った者たちが暮らしていることも。
けれど、どんな者たちなのかまでは詳しく知らなかった。
「ルナは魔族の女の子だよ」
リオンが柔らかい声で教える。
「僕たちが旅を始めて、初めて出会った魔族なんだ」
「最初の魔族……」
「そう」
リオンは懐かしそうに笑った。
まだ、ルミナスと出会うよりも前。
ラグナとリオンとエル。
三人だけで旅をしていた頃の話だった。
「人間に襲われてたんだよ」
ラグナが言う。
ライカがラグナを見る。
「魔族だから?」
「ああ。俺たちが見つけた時には、もう追い詰められてた」
魔族だから。
それだけの理由で、剣を向けられていた。
ラグナたちは三人でその場へ割って入り、ルナを助けた。
「その頃から、ラグナは魔族を助けてたんだ」
ライカがぽつりと言う。
「まあ……困ってたからな」
ラグナは当たり前のように答えた。
ライカは少しだけ目を細める。
リリアナの刻を預けた日の夜。
ラグナから聞いた話を思い出す。
リオンと出会ったこと。
エルと出会ったこと。
三人で、誰かを傷付けずに戦う方法を考え始めたこと。
そして今度は、その三人が初めて魔族を助けた話を聞いている。
自分が知らなかった頃のラグナたち。
今、自分が一緒に歩いている者たちが、どんな道を通ってここまで来たのか。
少しずつ。
その道が見えてくる。
「それで、魔族の森の入り口で見送ったんだ」
「村までは行かなかったの?」
ラグナとリオンが顔を見合わせる。
「その時は、僕たちもまだ魔族のこと知らなかったんだ」
「今じゃ普通に話してるけどな」
ライカは少し考える。
ラグナたちも最初から魔族と接して来られたわけじゃない。
自分が人間を、魔族を怖がるように。
彼らも少しずつ魔族たちと向き合うようになった。
「……同じなんだ」
「ん?」
「なんでもない」
ライカは小さく首を振った。
少し歩いたところで、今度はルミナスが口を開く。
「私が皆さんと出会った後にも、あの村へ行きましたね」
「ああ、カインとフィリアの時だな」
その名前にも、ライカが反応する。
「その二人も、そこにいるの?」
「いるはずだよ」
リオンが答えた。
「カインは人間で、フィリアは魔族なんだ」
ライカが目を瞬く。
「人間と魔族?」
「そう」
二人が出会ったきっかけも、決して穏やかなものではなかった。
カインは森の植物を調べている途中で、誤って魔族の森へ迷い込んでしまった。
当然。
人間が一人で魔族の地へ入り込めば、歓迎されるはずもない。
捕らえられ、牢へ入れられた。
「それをフィリアが逃がしたんだ」
ラグナが続ける。
「どうして?」
「フィリアは、人間が本当に怖い存在なのか自分で知りたかったんだよ」
エルが答えた。
村の中だけで生きてきたフィリア。
人間は怖い。
危険な存在。
そう教えられてきた。
けれど、自分の目で人間を見たことはなかった。
だから捕らえられていたカインと話した。
そして、村の外へ逃がした。
「それから二人で、森の小屋に住んでたんだ」
「一緒に?」
「うん」
「……変わってる」
ライカの素直な感想に、ラグナが笑った。
「俺も最初は驚いたよ」
それでも二人は共に暮らしていた。
人間と魔族。
本来なら争うはずだと思われていた二人が、同じ小屋で。
互いに出来ないことを補いながら。
静かに。
「でも、ある日カインが魔物に襲われて怪我をしたんだ」
リオンが言う。
「そのまま二人だけで暮らし続けるのは危険だって分かって、フィリアはカインと一緒に村へ戻ることを決めた」
「人間を連れて?」
「ああ」
今度はラグナが頷く。
「だから俺たちも一緒に行った」
魔族の村へ。
人間であるカインを連れて。
当然。
すぐに受け入れられたわけではなかった。
村人たちから向けられる視線。
戸惑い。
警戒。
それでもラグナたちは短い間、村に滞在した。
カインが魔族たちと共に暮らしていけるのか。
フィリアと一緒にいられるのか。
それを見届けるために。
「……人間が、魔族の村に住んでるんだ」
ライカが呟いた。
その声には、不思議そうな響きがあった。
「そういうことになるな」
ラグナが答える。
「今もちゃんと暮らせてればだけど」
「だから、これから見に行くの?」
「そう」
あれから。
いろいろなことがあった。
断崖の村へ行った。
海底神殿へ辿り着いた。
ライカと出会った。
谷底の集落を訪れ。
砂漠を越え。
ユリウス領へ行った。
戦いもあった。
別れもあった。
新しい出会いもあった。
長い旅を続けているうちに。
カインやフィリア、ルナと会ってから随分と時間が経っていた。
「元気にしてるといいな」
エルが言う。
「大丈夫だろ」
ラグナは笑った。
「ルナもいるしな」
「それ、大丈夫な理由になってる?」
「……たぶんな」
「たぶんなんだ」
そんな会話をしながら。
五人は歩き続けた。
やがて。
遠くに見えていた森が、目の前まで迫ってきた。
魔族の森。
以前と変わらず。
その森は昼間でも薄暗かった。
頭上を覆う木々の葉が陽光を遮り、地面へ届く光は僅かしかない。
森の奥には、薄い霧のようなものが漂っている。
ラグナたちは入口で足を止めた。
「変わってないな」
ラグナが森を見上げる。
「うん」
エルも頷いた。
何度か訪れた場所。
けれど。
この森には、普通に入ることが出来ない。
魔族の村を守るための結界。
人間だけで進めば、いつの間にか道を見失い森の外へ戻されてしまう。
村へ入るためには魔族に案内してもらわなければならない。
「じゃあ、ルナを呼ぼっか」
エルが背負っていたハープへ手を伸ばす。
その時。
手が止まった。
「……あれ?」
「どうした?」
ラグナが聞く。
エルはハープを持ったまま、ライカを見る。
「ライカが一緒にいたら、村まで行けるのかな?」
「え?」
ラグナもライカを見る。
リオンも。
ルミナスも。
同じようにライカへ視線を向けた。
突然。
四人から見られたライカが首を傾げる。
「なに?」
「いや」
ラグナは森を見る。
「この森って、人間だけじゃ村まで行けないんだよ」
「そうなの?」
「魔族に案内してもらわないと、結界で入口まで戻されるんだ」
ライカは。
自分を指差す。
「私、魔族」
「だよな」
「では、ライカと一緒なら結界を越えられるのでしょうか?」
ルミナスも興味深そうに森を見る。
「試してみる?」
エルが言う。
ラグナは少し考えて。
「試してみるか」
エルはハープを背中へ戻した。
「私がいると、何か違うの?」
ライカが尋ねる。
「たぶんな」
「たぶん?」
「まあ、行ってみれば分かるって」
「うん」
よく分かっていない様子のライカを連れ、五人は森の中へ入った。
最初は何も起こらなかった。
普通の森。
足元には落ち葉。
木々の間を縫うように、細い道が続いている。
「前はこの辺りで分からなくなったよね」
エルが言う。
「ああ」
ラグナは周囲を見る。
今のところ道は見えている。
「やっぱり、ライカがいるから?」
「かもしれないね」
リオンも辺りを見回す。
ライカだけは、何が起きているのかよく分からないまま皆について歩いている。
さらに森の奥へ進む。
一歩。
また一歩。
霧が少しだけ濃くなっていく。
「……あれ?」
エルが突然足を止めた。
「どうした?」
「この木……」
エルの目の前には。
一本の大きな木。
幹の途中で不自然に曲がった枝。
「さっき見なかった?」
ラグナもその木を見る。
「……見たような」
「僕も覚えてる」
リオンが言う。
「森に入ってすぐのところにあった木じゃない?」
五人は周囲を見回す。
そして、そのまま少し歩いたところで全員の足が止まった。
目の前には開けた場所。
明るい陽射し。
その先に、街道。
「…………」
ラグナは後ろを見る。
森がある。
前を見る。
街道がある。
「戻ってる」
ライカが言った。
「戻ってるな」
「戻ってるね」
「戻されていますね」
五人は、森の入り口にいた。
つい先ほど自分たちが入った場所。
「なんで?」
エルがライカを見る。
「ライカ、魔族だよね?」
「うん」
「でも戻ってきたよ?」
「うん」
「……なんで?」
ライカは少し考える。
そして首を傾げた。
「分からない」
「ライカにも分からないのか……」
ラグナは頭を掻いた。
確かに、ライカは魔族だ。
本人もそう言う。
これまで出会った魔族たちも、ライカを魔族として扱っている。
けれど、この森の結界はライカが共にいても、ラグナたちを通さなかった。
「不思議ですね」
ルミナスが言う。
「何か理由があるのかな」
リオンも考える。
けれど答えは出ない。
ライカ自身にも分からないのだから。
今ここでいくら考えても仕方がない。
「……まあ」
ラグナが言った。
「いつも通りにするか」
「そうだね」
エルが笑う。
今度こそ背中のハープを手に取った。
弦へ指を添える。
そして、優しく弾いた。
ぽろん。
柔らかな音色が森の中へ溶けていく。
木々の間を抜け、霧の奥へ音が広がっていく。
ライカは、その音を聞きながら森を見る。
「これで来るの?」
「うん」
エルが答える。
「前に約束したの。歌が聞こえたら迎えに来てって」
「ルナと?」
「そう」
エルは再びハープを奏でる。
静かな森の中に優しい音色が響いていく。
しばらく待った。
そして、遠くから何かが聞こえた。
「…………グナ!」
「ん?」
ラグナが顔を上げる。
「今、何か聞こえたか?」
「聞こえた」
リオンも森を見る。
「ラグナー!」
今度ははっきり聞こえた。
「この声」
エルが笑う。
森の奥、木々の間から小さな影がこちらへ向かってくる。
「エルー!」
「ルナ!」
エルが手を上げる。
二つに結んだ黒い髪を揺らしながら。
ルナが森から飛び出してきた。
「久しぶり」
そのままの勢いでラグナたちの前まで駆けてくる。
「久しぶりだな、ルナ」
「みんな来たの?」
ルナは嬉しそうに一人ずつ見る。
「リオン!」
「久しぶり、ルナ」
「エル!」
「元気そうだね」
「ルミナスも!」
「お久しぶりです、ルナ」
以前よりも元気な声と明るい表情。
ラグナはそれを見ただけで少し安心した。
「村のみんなは?」
「元気だよ」
「そっか」
そして、ルナの視線が止まった。
「…………」
ラグナ。
リオン。
エル。
ルミナス。
ここまでは知っている。
けれど、もう一人知らない少女がいる。
黒い髪、白い肌。
胸元には見慣れない深海色の宝石。
ルナはじっとライカを見る。
ライカも、じっとルナを見る。
「……誰?」
ルナが尋ねた。
ラグナが答える。
「ライカ」
「ライカ?」
「ああ。新しい仲間」
ルナの目が大きくなる。
「また増えたの!?」
「またってなんだよ」
「だって、前に来た時はルミナスが増えてたもん!」
「まあ……そうだけど」
ラグナが苦笑する。
ルナは今度はライカの前まで近付いた。
じっと見る。
ライカも逃げることなく見つめ返す。
「魔族?」
「うん」
ライカが答える。
ルナの顔がぱっと明るくなった。
「同じだ!」
「……同じ?」
「うん! わたしも魔族」
「知ってる」
「知ってるの?」
「みんなから聞いた」
「そっか!」
ルナはそれだけで納得した。
ライカがどこから来たのか。
どうしてラグナたちと一緒にいるのか。
何があったのか。
そんなことは今は気にしていないらしい。
「じゃあ、ライカも村に来る?」
「行く」
「分かった!」
ルナは嬉しそうに笑った。
その様子を見て、エルも小さく笑う。
「やっぱりルナだね」
「だな」
ラグナも頷いた。
「そういえば」
リオンが尋ねる。
「カインとフィリアは?」
「いるよ!」
ルナが即答する。
「二人とも村にいる」
その言葉にラグナたちは顔を見合わせた。
それだけで、まず一つ安心出来た。
「じゃあ、案内してくれるか?」
「もちろん!」
ルナが森の奥へ向かって歩き出す。
「こっちだよ」
ラグナたちはその後を追った。
ライカも一緒に森へ入る。
先ほどと同じ道、同じ木々、同じ霧。
けれど、今度は何も起こらない。
道が歪むことも方向が分からなくなることもない。
ルナの背中を追って、真っ直ぐ森の奥へ進んでいく。
ライカは、歩きながら一度だけ後ろを振り返った。
さっきは自分が一緒にいても通れなかった。
今は通れている。
何が違うのか分からない。
「ライカ?」
少し前を歩いていたラグナが振り返る。
「どうした?」
ライカは自分たちが歩いてきた道を見て少し考えた後に、首を横に振った。
「なんでもない」
「そっか」
ラグナはそれ以上聞かなかった。
「行こう」
「うん」
ライカはラグナたちのところへ戻る。
そして、再び五人でルナの背中を追った。
しばらく進むと、木々の向こうに懐かしい景色が見え始める。
魔族たちが暮らす村。
ラグナたちがかつて訪れた場所。
人間のカインと魔族のフィリアが、共に暮らすことを選んだ場所。
いろいろな土地を巡り、たくさんの出会いを重ねて。
新しい仲間と共に、ラグナたちは再び魔族の森の村へ帰ってきた。




