王女と金の涙2
リリアンは一度だって嘘をついたことはなかった。そもそも嘘をついてまで誤魔化したいことなどなかったからだ。まず、誤魔化そうという考えすら浮かばないのである。だから、子供の頃はよく叱られた。
上手くいくだろうか。いや、上手くいくかではない。上手くやるしかないのだ。失敗は出来ない。
古い塔は監獄の東の端に建っている。それを囲うようにして続く塀の正面には門番が二人、森と接する裏口には一人。リリアンは階段裏の物陰にベルを隠す。彼は深く息を吐き、湿った空気を吸いこんだ。
勢いよく外へ走り出ると、塔の裏口を見張っていた若い番人に「何を見張っていたんだ」と怒鳴りつけた。
彼に怒鳴られた番人は縮み上がった。怒鳴られるいわれなどないと言うのに、若者は己の不手際だとすぐに信じ込み、リリアンが何も言わぬうちに謝った。反射的に体がそう動いたのだろう。おろおろと顔を上げる番人が口を開く前に、リリアンは彼を睨み付け「魔女がいなくなっている。俺は塔の裏へ行くから、お前は他の奴に知らせてくれ」と告げた。
案の定、番人は慌てて同僚のもとへかけて行った。
走り去る彼の姿を見て、リリアンは角灯の火を消した。ベルを塔の物陰から連れ出すと、東に広がる堀へと駆け出した。このまま真っ直ぐ走れば、森を抜けた先に大きな川が流れている。そこで渡し守の船に乗って国境さえ超えてしまえば、もう追手が来ることはないだろう。
そうなればベルは自由の身だ。
リリアンはベルの手を引き、迷いのない足取りで彼女の前を行く。その先のことは何も考えていなかった。
細い女の手を強く握りしめ、彼は黒い影が覆いつくす夜の森を足早に進んだ。ベルは何度も転びそうになりながら、後をついて行った。月が二人を追って暗い道を照らした。リリアンは照らし出される先をひたすら歩いた。
いくらか進んだ頃、ふいにベルが足を止めた。
ふり返ると、上目づかいにこちらを見る彼女の顔があった。どうした、と声をかけるとベルは困ったように笑った。
「もう歩けませんの」
彼女の足は傷だらけだった。すり減った靴の隙間から血が滲んでいた。
「申し訳ありませんわ」
「……俺こそ悪かった」
リリアンはベルの前に背を向けて屈んだ。意図を汲み取ると、彼女はゆっくり彼の背中に体を預けた。ためらいがちに後ろから白い腕が伸びて、リリアンの首を包んだ。ベルの体温が背中に伝わる。彼は立ち上がると再び歩き出した。
「重くありませんこと?」
ベルの息が耳にかかる。生い茂る草木の暗がりを見つめながら「なに、重くはないさ」と彼は答えた。実際彼女は驚くほど軽かった。
「優しいのですね」
「そうかい」
「そうですとも」
森の道は奥へ奥へと続いている。国境はまだ遠い。
ベルは彼のベルトに差された、蔓のような細い皮の巻かれたリリアンのナイフに視線を移すと「まあ、不思議な柄をしていますのね」と尋ねた。
「護身用にと思ってな、いつも持っているんだ」
「それは役に立って?」
「いや、一度も使ったことはない。ただの飾りだ。飾りでもつけてりゃ囚人も下手な真似はできんだろう。侮られちゃ仕事にならんからな」
あんたには何の効果もなかったが、とリリアンは嫌味っぽく言った。
「ええ、ちっとも。だってあなたはいい人なんですもの。一目見た時からわかりましたわ」
ベルは声を弾ませた。
「ねぇ、私の母も持っていたんですのよ? きっと魔女の短剣なんだわって私はずっと思っていたんですの」
「何だそれは」
「何でも奪ってしまうこともあるそれは、真に求めていたものを教えてくれるのです」
ベルはリリアンの背に揺られながら、いつものように話した。彼は黙って彼女の言葉の続きを聞いた。
「とある王女は真実の恋を探し求めていたのですわ」
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ある王女が、次期国王となる夫を決めることになったのです。彼女は絶えず己の心を揺さぶる者を夫に迎えようと決めていたのですわ。けれど、どれだけ彼女を恋人だと呼ぶ男が現れようと、彼女は絶えず疑っていたのです。どれも偽物のように思えたのですわ。彼女が欲しいのは”本物”だったのですもの。
妹曰く、心を奪い、我を忘れさせ、至高の幸福を与えてくれるという。
侍女曰く、出会いは人生の悦びであり、別れはないよりつらい悲しみであるという。
街の娘曰く、全てを捧げる価値があり、疑う余地はないという。
いつまでたっても王女はそれを見つけられずにいました。




