第48話:火花と欺瞞、および合法の開放門
砂漠の地下十メートルに穿たれたコンクリートの独房は、地上の熱気も風の音も届かない完全な防音ブロックだった。
重厚な鉄格子の向こう、湿った通路の蛍光灯が頼りなく瞬いている。通信電波は極厚の遮蔽壁によって完全に減衰し、外部とのリンクはゼロ。手足には冷たい合金製の枷が食い込んでいた。
俺は冷え切ったコンクリートの壁に背を預け、手巻き式機械時計の竜頭を指先で微かに弾いた。
三針式の小さなデイト窓。そこに刻まれた数字を、暗闇の中で見据えた。
(……十月十三日。午前二時十三分)
俺の口元に、乾いた獰猛な笑みが浮かぶ。
(ヘレナの奴は、俺たちを二度と出られない檻に叩き込んで手詰まりにしたと高を括ってるだろうが……現場のサピエンスを舐めるなよ。
――この日を、待ってたんだ。
中立セクタの環境監査機構が、全世界の地下資源プラントへ一斉に定期監査パケットを投下する『十三日』の同期ウィンドウをな)
「怜くん……足、痛くない?」
鉄格子の影で、歩実が身を寄せ合って小声で囁いた。
その体には、収容所で投げ渡された粗悪な囚人ツナギ。ダボダボの生地が華奢な肩からずり落ちそうになっている。
「平気だ。……おい由奈、お前の頭の中のクロックはどうだ」
「狂いはないわ」
由奈は同じ囚人服を着ていながら、背筋を伸ばし、冷徹な瞳を光らせていた。
「ヘレナが安心しきって眠りにつく時間よ。彼女の完璧主義は、自分より下の存在が策を講じる可能性をアルゴリズムから除外している。脆弱性は最大値に達しているわ」
「よし……反撃開始だ」
俺は腰を浮かせ、足元に転がっていた配給用の粗悪なアルミニウム製食器と、縁の欠けたスチール製スプーンを手に取った。
独房の隅、かつて監視カメラ用の非常用直流給電が通っていたとされる露出配線のジャンクションボックスだった。ゴムの絶縁被覆が劣化し、微小な電位差が生きている。
「歩実、耳を塞げ」
「う、うん!」
ガッ、ガリィッ――!
俺はスプーンの鋭利な角を配線の露出部に叩きつけ、アルミ皿の縁を渾身の力で擦り合わせた!
ショートによるアーク放電が、青白い火花を散らして爆ぜる!
バチバチッ! ジュウウッ!
金属の焼ける刺激臭とともに、立ち上る一筋の黒煙。さらにアルミ皿を煙感知器の直下へかざし、火花を連続で散らせた。
ジリリリリリリリリリッ――!!
けたたましい高周波警報ベルが、静寂の地下通路を引き裂いた!
天井の赤い非常警告灯が狂ったように回転し、スプリンクラーから勢いよく粉塵抑制用の水煙が噴き出す。
「な、なんだ!? 火事か!?」
「独房エリア画だ! 新入りの部屋から煙が出てるぞ!」
ドタドタと荒々しい足音を響かせ、スタン・バトンを手にした看守サピエンスたちが鉄格子の前へ雪崩れ込んできた。
「おい貴様ら! 何をしでかした!?」
怒号を上げる看守長に対し、俺は水飛沫を浴びながら、悠然と立ち上がって薄笑いを浮かべた。
「おいおい、慌てて火消しか? のんきなもんだな、看守長さんよ」
「あぁ!? 何を言ってやがる、死にぞこないが!」
「哀れだと言ってんだよ」
俺の眼光が、冷酷な光を帯びて看守の眉間を射抜いた。
「……あのヘレナがこの収容所のお前たちに、まともな退職金や利益をもたらすとでも思ってんのか?」
「な……何だと?」
「あの女の本命は、お前らごとの『共倒れ』だ。採掘区の非人道労働の証拠を知りすぎたこの収容所のサピエンスを、事故に見せかけてまとめてパージする気だぜ」
俺は一歩、鉄格子へと詰め寄った。その圧倒的な気迫に、屈強な看守たちが思わず半歩後退する。
「今頃、ゴビの砂の底から、未確認巨大生物――UMA『モンゴリアン・デス・ワーム』を呼び寄せる低周波音響発信器をセットしてる頃だ」
「は……!? デス・ワームだと!?」
「地下の怪生物に襲われて収容所が全滅すりゃ、不可抗力の事故死扱いで世界中誰も疑わねぇからな!」
俺の声が地下通路に反響する。
「嘘だと思うなら、今すぐ中央管制室の外部データ通信ログを洗ってみろ! ヘレナが裏で走らせてるプロトコルをな!!」
「ば、馬鹿な……そんなオカルト……」
看守たちが顔を見合わせ、激しく動揺した。
日頃からヘレナの血も涙もない粛清と冷酷さを目の当たりにしてきたからこそ、その「あり得なさそうな狂気の計画」が、不気味な真実味を帯びて彼らの脳髄を麻痺させたのだ。
「お、おい! 管制室に確認を――」
看守長が狼狽し、鉄格子に前のめりに張り付いた。
その瞬間だった。
俺の指先が、電撃のように動いた。
鉄格子の隙間から腕を伸ばし、看守長の腰のホルダーに差されていた業務用ハンディトランシーバーのアンテナ基部へ、掌の中に隠し持っていた「作業用生体ログ端子のピン」をコンマ数秒で直接接触させた!
カチッ。
現場感覚による、インピーダンス整合と高周波バイパス。
俺の生体ログに刻まれていた第13採掘区の非人道的証拠――十六時間強制労働、不正蓄財データのすべてが、トランシーバーの送信バッファへと一瞬でプリセットされた!
「管制室、聞こえるか!?」
何も知らぬ看守長が、恐怖に震える手でトランシーバーを掴み、PTT(送信)ボタンを力任せに押し込んだ!
「いますぐヘレナ監視官の外部ログを確認しろ! デス・ワームの誘導計画が――」
カチリ。
電波が放射された。
だが、そのトランシーバーから中継アンテナへ飛んだのは、看守の声だけではなかった。
十月十三日――今日この日、上空を通過していた中立セクタの環境監視衛星の受信用周波数と、収容所の警備波が完全に同期共振を起こしたのだ。
俺の生体ログが抱えた膨大な告発データが、国際監視ネットワークへ向けて、爆発的なバースト通信となって宇宙へと打ち上げられた!
◇
同時刻。採掘区の最上層、ヘレナの特権管制ルーム。
優雅にワイングラスを傾けていたヘレナの目の前で、巨大なコンソールモニターが一斉に真っ赤に染まった。
『警告:外部監査ライン強制開放』
『国際人道監視プロトコル受信――査察パケット同期中』
『流出データ:第13採掘区生体ログ、および……地下生物誘引音響計画(未確認プロトコル)』
ガシャンッ!!
ヘレナの手からグラスが滑り落ち、高価な絨毯の上に赤い液体が飛び散った。
ヘレナの顔から、完全に血の気が引いていた。瞳が狂気に見開かれ、呼吸が荒く乱れる。
「な……何よ、これ……!? なぜ……なぜバレたの……!?」
ヘレナはデスクに両手を叩きつけ、背後の側近たちへ向けて鬼のような形相で振り返った。
「あんな下流サピエンスどもに、私の崇高な完全消去シナリオを看破できる知性などあるはずがないわ! 間違いない……内部告発よ! 私のすぐ周りに、私を失脚させようとしている裏切り者がいるのよッ!!」
完璧主義を誇るヘレナは、怜の泥臭い現場ハックなど夢にも思わない。
自らの計画が漏洩した恐怖に駆られ、彼女は自ら側近たちを疑い、粛清の内ゲバへと転がり落ちていった。
◇
夜明け。
強制収容所の重厚な正門ゲートが、油圧の重い音を立てて外側から開け放たれた。
国際機関からの緊急査察通告を受け、シンテン・ゴビア本部から青ざめた特使が飛び込んできたのだ。不当拘束の証拠を全世界に握られた今、彼らにできるのは「人道的な解放」を演じることだけだった。
青ざめた看守たちが直立不動で震える中、俺、歩実、由奈の三人は、収容所の正面玄関を堂々と歩いて出てきた。
外縁のデポエリアに隠されていた愛車も、荷物も、傷一つなく返還されていた。
「ふぅ……! 外の空気は砂埃混じりでも最高だね!」
歩実が後部座席に飛び乗る。
その瞬間、歩実のポケットの中でレガシー端末が、甲高い勝利のビープ音を鳴らした。
液晶画面にノイズが走り、【UNDETERMINED】と途切れていた文字列が、鮮やかな光とともに上書きされていく。
【 NEXT LOCATION: UNDETERMINED 】
↓ [OVERWRITE]
【 NEXT LOCATION: EAST 75°59' / NORTH 39°28' ―― TARIM SECTOR 】
「座標が変わった……! 次は、タリム・セクターだ!」
歩実が歓声を上げた。
だが、運転席に乗り込んだ俺が、バックミラー越しに歩実を一瞥し、呆れたように言った。
「おい歩実。お前、いつまでその囚人服でいる気だ? 荷物から服出してさっさと着替えろよ」
「えっ? だってこれ、由奈ちゃんが『歩実っぽくて似合ってる』って言うから……!」
「あー、俺もそう思うぜ。今まで見てきた服の中で、一番しっくりきて似合ってるよ」
「褒めてない!! それ絶対ディスってるでしょ!!」
歩実は顔を真っ赤にして猛抗議したが、ふと絶望を思い出し、口をへの字に曲げた。
「……もう! 今度こそ本当にデッドポイント(世界の終わり)だって覚悟してたんだよ!? 奇跡的に生きて出られたんだから、もっと優しい言葉の一つくらいかけてくれたっていいじゃん……!」
プイッと横を向いた歩実は、シートに突っ伏してそのまま豪快にふて寝をキメ込んだ。
助手席の由奈がやれやれと首を横に振る。
同じ囚人服を着ていながら、由奈の凛とした美しさはモデルの撮影現場のように洗練されていた。
「ふっ……。賑やかなこった」
俺はクラッチを踏み込み、ギアをローへ叩き込んだ。
ヘレナが残した嘘の残骸を後目に、四輪駆動の咆哮が朝の砂漠に響き渡る。
目指すは、シルクロード最西端――タリム・セクター!
(第49話へ続く)




