第49話:鉄路の偽装コードと救急搬送の突破口
焼けたオイルと土埃の熱気が、ボンネットから立ち上っていた。
タリムセクターへ続く荒野の果て、砂嵐を避ける岩陰に愛車をねじ込み、エンジンを切る。
車体の上に遮熱シートを被せ、赤土をスコップでぶっかけて偽装した。
このまま境界まで乗り突っ込めば、熱源スキャナーに一発で捕捉されるからだ。
「……ほら歩実、起きろ。時間がない」
「うぅ……腰が痛いよぅ……」
後部座席から引きずり出された歩実が、ボサボサ頭のまま半泣きで足をバタつかせる。
由奈は手早く端末を懐にしまい、岩陰の先に見える赤茶けた鉄骨の建造物を指差した。
「四十分後、単線のポイント切り替え信号所で鉱物列車が一時停止するわ。乗り込むならあの駅よ」
かつて旧世紀にサピエンスを運んでいた電車の名残だろう。
風化した無人駅の薄暗いコンコースには、錆びついた金属製の自動改札機がぽつんと三台、通せんぼをするように立ちはだかっていた。
奥のホームには、ポイント切り替えのため重低音のアイドリングを響かせる巨大な長距離鉱物列車が停車している。
「よし、改札を蹴破るぞ。由奈、バールを寄越せ」
俺が腰袋から工具を引っ張り出そうとした、その時だった。
「待って怜くん! これ使えるんじゃない?」
「あ?」
見れば、歩実が得意げな顔で財布から一枚のプラスチックカードを取り出していた。
動物のマスコットが描かれた、見慣れたジパングの交通系ICカード。
それを改札の読み取り部へ近づけようとしている。
「おいバカ! 何やってんだ!」
俺は思わず怒鳴った。
「ここは異国だぞ! 規格が違うんだよ! ジパング独自の非接触NFC規格が、こんな大陸の果ての骨董品改札で通るわけねぇだろ――」
ピピッ――『419円』。
パカンッ! と軽快な音を立てて、緑の矢印ランプが灯り、プラスチックのフラップドアが全開した。
「ほらね! 開いたよ!」
「……は?」
「……意味不明ね」
俺と由奈は、揃ってその場にフリーズした。
俺は改札機の側面へ回り込み、煤けた銘板を爪で擦る。
そこには、見慣れたジパング大手電機メーカーの刻印と、日本語の製造管理シールがそのまま貼り付いていた。
「……おいおい、嘘だろ。ジパングの鉄道会社から払い下げられた中古改札機を、NFCチップの仕様すら変更せずにそのまま横流しで運用してやがる……」
「なるほどね」
「タリム・セクター(シンテン・ゴビア)は完全な共産型統制国家。クレジットカードを所持できるのは特権階級の上流サピエンスだけで、末端の民衆決済はスマホQRコード決済と、このオフライン交通系ICカードの二値に限定されているわ。安価にインフラを揃えるため、ジパングのレガシーシステムを丸ごと買い叩いて据え置いたのね」
ジパングの規格が、この異国の地でそのまま生きている。
俺の背筋に、技術屋としてのゾクッとした閃きが走った。
(……使える。このセクターの物理決済ゲート、全部ジパングのプロトコルで裏口が開くぞ)
「歩実、大手柄だ。さあ走れ、列車が出るぞ!」
俺たちは開いた改札を駆け抜け、荷物積み込みの死角から、労働者でごった返す三等硬座車両へと滑り込んだ。
◇
車内に充満するのは、刺激の強い香辛料と生々しい熱気、そして衣服に染み付いた重金属の粉塵だ。
木製のボックス席は、硬い。
骨董品のディーゼル機関車がレールの継ぎ目を踏み越えるたび、ガタン、ゴトンと腹の底に重い衝撃が突き刺さる。
俺は薄暗い車内の片隅で、胸ポケットから防水野帳を取り出した。
シルバコンパスの真鍮針は、西を指して微かに震えている。
紙の地図なんてもんは最初からねぇ。
信じられるのは、耳に届くジョイント音の周期と、磁針の振れ幅だけだ。
一、二、三――時速約五十五キロ。
進路方位二百五十五度。
砂漠の懐へ向かって、列車は確実に西へ潜り込んでいる。
「……ん、ぅ……」
隣で、薄汚れた粗悪なフードを被った歩実が小さく身じろぎした。
極限移動の連続で体力の底をついたのだろう。
コテッと俺の肩に頭をもたせかけ、泥のように眠りこけている。
重ぇよ。
だが、文句を言って起こす気にもなれなかった。
乾いた喉を潤すため、俺はポケットから冷えた『ソルティ・ルミナス』のパウチを取り出し、口に含んだ。
通路の向かいでは、由奈が無表情にオフライン端末を膝に乗せ、車載配線の漏洩電磁波を指先で拾い続けている。
その時だった。
キィィィィッ――!
けたたましい鉄の摩擦音とともに、列車が速度を落とした。
砂漠外縁の寂れた信号所で、行き違いのための単線一時停止。
窓の砂埃を袖で拭い、外の闇に目を凝らす。
その瞬間、俺の技術屋としての嗅覚が、強烈な違和感を捉えた。
(……おい、なんだあの側線)
本線から分岐した、一本の線路。
明らかに標準軌より幅が広い「広軌」だ。
なのに、電化用の架線柱が一本も立っていない。ディーゼル車の引き込み線にしては、敷き詰められたバラストの砂利が異様に新しすぎる。
(線路はただのダミーだ……!)
地下に埋め込まれた巨大な暗渠。
このタリムの底から南の山脈――遥かヒマラヤ山脈の巨大データセンターへと一直線に伸びる、超大容量光ファイバー網(FTTH)の敷設痕だ。
「由奈」
俺は声を潜め、向かいの席を蹴った。
「あの信号所の柱についてる監視カメラ、今すぐバックドアを仕込め」
「……は? 意味不明ね」
由奈が怪訝そうに眉をひそめる。
「ただの砂埃まみれのローカル信号所よ。なぜそんな辺境の設備にアクセスする必要があるの?」
「んぁ……? なになに、もう着いたの……?」
目を擦りながら歩実も身を乗り出してきた。
「そうだよ怜くん! 早くタリムに行かなきゃいけないのに、寄り道してる場合なの!?」
「いいからやれ。あと一分で発車する」
俺は窓の隙間を指差した。
「あの線路の地下、生きてる光パケットが這い回ってやがる。タリムを落とした後、南へ抜けるときの絶対の命綱になる」
「……チッ、怜の直感は非論理的で疲れるわ」
由奈は悪態をつきながらも、細い銅線プローブを窓の隙間から車載給電ラインへ物理接触させた。
指先がキーを叩く。わずか二十秒。
「……完了よ。カメラのファームウェアに極小ルーティングを常駐させたわ」
フォォォォン――!
重い汽笛とともに、列車が再び闇の中へと動き出した。
◇
未明。
列車はタリム・セクターの境界検問ステーションへと滑り込んだ。
だが、ホームに降り立った瞬間、俺たちの視界を真っ赤な電光掲示が染め上げた。
【シンテン・ゴビア特別警戒令:一般観光査証・自由往来の全面凍結】
改札口にはスタン・バトンを構えた武装警備兵がずらりと並んでいる。
下車した労働者たちが次々と別室へ連行され、厳重な身体検査と生体チップの照合を受けていた。
「完全封鎖ね」
由奈が冷ややかに呟く。
「観光客ヅラして並べば、即座に不法侵入で留置場行きよ」
「ど、どうするの怜くん!? ここまで来て引き返せないよ……!」
青ざめる歩実に、俺は不敵に笑ってみせた。
「ああ。だから最初から、正面のドアをノックする気はねぇよ」
俺はポケットに手を突っ込み、鉱物列車の床からこそぎ落としておいた、乾いた微小鉱物粉を指先に取った。
そして、躊躇なく鼻と喉の奥深くへ吸い込む。
気管の内壁に、強烈な異物が突き刺さる。
肺胞が一気に痙攣し、気道がキュッと極限まで狭窄した。
「ゲホッ……! ヒュ、ヒューッ……ゼーッ、ゲホッ!!」
「怜くん!?」
演技じゃない。
本物の、気管支喘息の発作だ。
酸素が来ない。視界が急速に狭まり、唇が紫色のチアノーゼに変色していく。
俺は胸を掻きむしりながら、冷たいコンクリートのプラットホームへ派手に倒れ込んだ。
「開けて!! 誰か助けてぇぇぇぇッ!!」
瞬間、歩実のスイッチが入った。
大粒の涙をボロボロとこぼしながら、検問ゲートの防弾ガラスに体当たりして絶叫する。
「この人、重度の発作なの! 吸入器が切れて、このままだと窒息死しちゃう!! 見殺しにする気!? 人殺し!!」
「な、なんだ貴様ら!」
武装兵たちが血相を変えて銃口を向けた。
そこへ、由奈が冷徹な足取りで割り込み、ゲートのインターホン端末へ俺の作業員医療ログを叩きつける。
「国際緊急人道医療搬送コード704よ」
由奈の声は、一切の感情を削ぎ落としていた。
「患者の生体バイタルは危険水域。ゲート前での急患放置による死亡ログが記録された場合、管轄責任者の生体IDと照合の上、先刻の中立セクタ人権監視ネットワークへ即時ブロードキャストされるわ。……拒否する度胸はある?」
「う……ぐっ……!?」
ゴビの強制収容所で起きたばかりの「外部リーク騒動」が、警備責任者の脳裏をよぎったのだろう。
責任問題に怯えた男は、青ざめて叫んだ。
「救急車を呼べ! 今すぐだ!!」
◇
ウゥゥゥゥ――ッ!
けたたましいサイレンを響かせ、白と赤の救急車が街の防弾ゲートを駆け抜けた。
拒絶されるはずだったタリム・セクターの境界線を、サイレンのフリーパスで鮮やかに突破する。
ストレッチャーの上、酸素マスクを当てられた俺は、救急隊員が心電図モニターに目を奪われた一瞬の隙に、薄く目を開けた。
隣で付き添いとして座る歩実へ、小さくウインクを投げる。
「…………っ!」
歩実は涙をゴシゴシと袖で拭い、顔を真っ赤にして口パクで怒鳴ってきた。
(……バカ怜くん! 本当に死ぬかと思ったじゃない!!)
すまねぇな、迫真の演技助かったぜ。
由奈は足元で、車載通信機の診断ポートへ手製のドングルを静かに滑り込ませていた。
「病院の配管図、オフライン端末へ吸い上げ完了」
由奈が囁く。
「ついでに……逃げ出したあの女の端末へ、救急搬送の通知ログを直結でプレゼントしておいたわ」
◇
――タリム・セクター某所、最上級特権シェルター。
豪奢な大理石の部屋で、ヘレナは深紅の高級ワインを満たしたクリスタルグラスを指で震わせていた。
「下流サピエンスどもめ……! 私の収容所を荒らしあがって……!」
白銀の髪を乱し、血走った目で端末の内部告発ログを睨みつける。
裏切り者は誰だ。側近か、それともシンテン・ゴビアの連中か。猜疑心で胃が焼け爛れそうだった。
「……でも、タリム・セクターのゲートは完全封鎖を命じてある。あの小生意気なサピエンスどもは、水も尽きて砂漠の真ん中で干からびるしかないのよ……!」
ピピッ――!
その時、ヘレナの最高幹部端末が、けたたましい最優先割り込み音を響かせた。
画面が激しく点滅し、赤い文字が躍り出る。
【国際人道医療プロトコル適用:患者1名・同伴者2名、タリム・セクター内へ正規通過完了】
「……は?」
ヘレナの思考が停止した。
直後、端末のスピーカーから、ノイズ混じりの擦れた声が再生される。
酸素マスクの奥から響く、聞き慣れた憎たらしい男の嘲笑。
『よおヘレナ。また逃げ足だけは一丁前だったな。……わざわざ救急車のサイレンで出迎えてくれてありがとな。お前がどこにいようが、すぐ引きずり出してやるよ』
パリンッッ!!
ヘレナの手からクリスタルグラスが滑り落ち、上等な赤ワインが大理石の床一面に飛び散った。
「な……っ!? きゅ、救急車……!? バカな……ゲートは封鎖していたはずよ……!?」
青ざめていたヘレナの顔が、一瞬で屈辱と激怒の紅潮に染まる。
喉を引き裂くような金切り声が、シェルターに木霊した。
「下流サピエンスの分際でぇぇぇッ!! なんで……なんで正規ルートで私の足元に入り込んでいるのよぉぉぉッッ!!」
◇
病院の赤色灯が、夜の帳を濡らしている。
救急車が処置室の搬入口に停車した瞬間、俺は酸素マスクを跳ね除け、点滴の針を迷わず引き抜いた。
「行くぞ、二人とも」
「うん!」
「ええ」
シンテン・ゴビアの巣食うオアシス都市タリム・セクター。
さあ――第二ラウンドの始まりだ。
(第50話へ続く)




