第42話:白夜の沢登りと、失われた黄金時代
ズブブッ、と冷たい泥水が長靴のゴムを締め上げる。
「ぐえぇぇっ……! ちょっと怜くん、待ってよぉ! このウェーダー(胴長靴)、足首が泥に吸い付いて全然抜けないんだけど!」
沈まない白夜の太陽が低空から照りつける中、歩実が情けない悲鳴をあげて泥濘によろめいた。
手にしたパンニング皿を盾のように構えている。
水陸両用車の耐波ハルをもってしても、永久凍土の融解が引き起こした激流の土砂崩れは突破できなかった。
俺は迷わず車輪止めを噛ませて車体をデポし、全員に泥臭いウェーダーを履かせて沢登りへと切り替えていた。
「騒ぐな歩実。足を真上に引っこ抜こうとするから抜けねえんだよ。爪先から斜めに煽って泥の陰圧を抜け」
俺は背負子のロープを締め直しながら、呆れたように怒声を飛ばす。
その背中には、手持ちルーペ、地質用ハンマー、紫外線照射ライト、そして無骨なサンプル採取袋が括り付けられている。
「憐れな姿ですこと……。泥水に浸かりながら川底を這い回るだなんて、名門の生徒がすることではありませんわ」
「ええ、綾乃様……。ですが、背に腹は代えられません。足元の岩盤境界を外せば、私たちはこの広大な極北の迷宮で飢え死にですもの」
後ろからついてくる橘綾乃と白石栞は、泥飛沫を気にしながらも、必死に俺の背中を追っていた。
その姿を見て、ずっと喉に引っかかっていた疑問を無造作に投げつける。
「なあ、ずっと気になってたんだがよ」
「な、なんですの急に? 歩行の邪魔をしないでくださる?」
「お前ら、なんでそんなに頑なにセーラー服にこだわってんだ?」
俺のド直球な問いに、綾乃と栞がピタリと足を止めた。
「……は? 何を仰るのかと思えば……女子高生がセーラー服を着て何が不思議なんですの?」
「いや、大いに不思議だろ。ジェンダーレス制服やスラックス導入が当たり前で、セーラー服なんざ絶滅危惧種なんだよ。街中でそんなコテコテの名門セーラー着て歩いてたら、ただのアニメのコスプレか撮影会だと思われるぞ」
「こ、コスプレ……!? 無礼な! これは由緒正しき制服ですわ!」
綾乃が顔を真っ赤にして憤慨するが、隣の栞がハッとしたように唇を震わせた。
「……綾乃様、そういえば……。私たち、プトラセクタに来る前に街を歩いていた時……」
「し、栞?」
「すれ違うサピエンスの全員が、私たちをじろじろと奇異な目で見ていましたわ……! 『うわ、ガチのセーラー服じゃん』とか『なんかの撮影?』ってヒソヒソ囁かれて……私たち、ただふつうに歩いていただけなのに……!」
由奈が、冷淡な外部演算の瞳でため息を吐く。
「……やっぱりね。認知と時間軸のパケットが完全に孤立しているわ」
「ああ、やっぱりそうか」
俺は沢の岩場に片足を乗せ、泥を払いながら言い放った。
「お前たち、1990年代から世界線を飛ばされてきたんだろ。ネットが普及する前、PHSとルーズソックスを履いた女子高生が文化の頂点に君臨していた――あの『JK黄金時代』からな」
「「じぇ、JK黄金時代……!?」」
綾乃と栞の声がハモる。
「そうだ。お前たちにとっての『当たり前』は、現代じゃとうに失われた歴史の遺物なんだよ。だから街のサピエンスもお前らにビビってたわけだ。……だが、絶望することなんてねえよ」
俺は口元に不敵な笑みを浮かべた。
「地球温暖化で世界がデッドポイントを迎えようとしてるこの息苦しい時代にな、誰の顔色もうかがわず、自分たちの尊厳とスタイルを貫こうとするお前たちみたいな化石は――アジャストさえすりゃ、逆にこの時代を誰よりも泥臭く生き抜く最高の武器になるかもしれねえぞ」
「怜くん……」
歩実が胸を押さえて目を丸くする。
綾乃と栞もまた、俺の乱暴で温かい言葉に撃ち抜かれたように、言葉を失って立ち尽くしていた。
「無駄話は終わりだ! 現場の技術を見せてやる、皿を出せ!」
俺は沢が大きく蛇行し、流速がふっと緩む岩陰の窪み――天然の比重選別ポケットにシャベルを突き立てた。
ザクリ、と川底の砂礫をすくい上げ、緑色のパンニング皿へあける。
「歩実、皿に水を張れ。由奈、露頭の等高線を野帳に固定しろ!」
「りょ、了解っ!」
俺の両手がリズミカルに円を描く。
シャッ、シャッ、と水が渦を巻き、比重の軽い石英や泥が皿の外へと洗い流されていく。
残ったのは、皿の底に張りつく黒く重い砂――重砂だ。
俺はポケットから取り出した強力なネオジム磁石を底に滑らせ、磁性を持つ砂鉄を一気に吸い寄せてパージした。
そして、残された非磁性の重鉱物へ、胸ポケットの紫外線LEDライトを照射する。
カチッ。
波長365nmの紫外線が当たった瞬間、暗がりの中で重砂の微粒子が、鮮烈なチェリーピンクとネオングリーンの蛍光を放って怪しく輝いた。
「……蛍光反応、確認!」
歩実が10倍ルーペを目に当て、息を呑む。
「結晶のへき開、比重、それにこの露頭の周囲にだけ自生してる変異地衣類『クロロ・バイカル』の分布線……! ペグマタイトの熱水変成境界と完全に一致してる! 新セクタ鉱脈の絶対座標、特定成功だよ怜くん!!」
「やった……! やりましたわ栞!!」
「はい、綾乃様……! 私たち、見つけ出しましたのね……!」
歓喜に沸き立ち、手を取り合って泥だらけのまま抱き合う歩実とルミナスのふたり。
だが――その輪の中で、俺だけが眉根を鋭く寄せていた。
胸元の国際VHFトランシーバーからは、ただ『ザーッ』という大気のホワイトノイズが流れるのみ。
ヘレナからの電波妨害も、上空を旋回するはずの監視ドローンも、影すら見当たらない。
不自然すぎる、完全な静寂。
俺の脳内で、現場技術屋としての直感が警報を鳴らした。
衛星網を奪い、旧式のアナログ機材を与え、泥臭い沢登りを強要したヘレナの真意。
もし、奴らの目的が「俺たちに新セクタの場所を見つけさせること」ではなかったとしたら――?
ガリッと、俺の奥歯が噛み合わされた。
顔から一気に血の気が引いていく。
「……待て。おかしい」
「え? 怜くん……?」
歩実が不思議そうに振り返る。
「クソッ……!! 俺たちの負けだッ!!」
俺の怒声が、白夜の沢に響き渡った。
「ええっ!? な、なんでですの!? 鉱脈の場所は完璧に特定できたではありませんか!」
栞が怯えたように叫ぶ。
「ヘレナの目的は、この鉱床の特定なんかじゃねえ! 俺たちに意地配向でアナログ探査をやらせて、この泥沼に釘付けにしている間に――プトラセクタから脱出して、次の拠点へ逃げるための『時間稼ぎ』だったんだよ!!」
「な……っ!?」
全員の顔が凍りつく。
出し抜かれていたのは、最初からハインズの方だったのだ。
「全員、荷物をまとめろ! プトラセクタへ全速力で引き返すぞ!!」
白夜の熱線が照りつけるツンドラへ向けて、俺は泥水を蹴り飛ばして走り出した。
(第43話に続く)




