第38話:形骸化した制服と、土に咲くシスター
更衣室が開き、金属フロアにぎこちない足音が響いた。
かつての聖ルミナス・ジパング女学院が誇った気品を残しつつ、ヤクートの超高機能繊維で織り上げられた特注制服『VALKANOR』。
吸い込まれるような深い群青のテキスタイルに、硬質な純白のパイピング。選ばれし名門エリートのために仕立てられた、鋭利な機能美を宿すセーラー服である。
だが――その場にいた誰もが息を呑み、次の瞬間、絶望的な沈黙がフロアを満たした。
モデル体型を前提にミリ単位で設計されたハイエンドなシルエットは、歩実の徹底して庶民的な等身と致命的なまでに噛み合っていなかった。
肩線は無残に落ち、胸当ては不自然に浮き、美麗なプリーツを描くはずのスカートは中途半端に脛を覆い隠している。完全なる「服に着られている」公開処刑。
ルミナスの橘綾乃が、氷のように研ぎ澄まされた視線を這わせ、容赦のない笑みを浮かべた。
「少しは外見の解像度が上がるかと期待いたしましたが……コスプレどころか、大人の痛々しいなんちゃって制服以下ですわね」
「う、うぐっ……! わ、わざと一サイズ違うの渡したでしょ! 聖母ヘレナ様に洗脳されただけあって、的確に人のコンプレックスえぐってくる~!」
床に突っ伏して咽び泣く歩実へ、コンソールを叩いていた由奈が冷徹な正論を突き刺す。
「歩実、現実を見なさい。サイズがアジャストしないのは、これまでダボダボのスウェットで甘やかしてきた自堕落なボディラインのせいでしょ。私たち、もう大人なのよ」
「由奈ちゃんまで刺してくるの何で!? 階段踏み外して両足骨折した気分だよ!」
阿鼻叫喚のギャグ時空へと転がり落ちていくフロアの中央で、俺は視線を端末から上げた。
「歩実がアジャストできないことなんざ、最初っからアジャスト済だ。本命はこっちだよ」
俺が備品庫の旧世代アーカイブからマテリアル復元させたのは――漆黒のロングローブ、頭部を包む純白のウィンプル、そして胸元に垂れる素朴な木製ロザリオ。
伝統的な旧世紀の修道服だった。
「え……これ、シスター服?」
「文句言わずに着てこい」
数分後。更衣室から戻ってきた歩実を見て、綾乃と栞は言葉を失った。
ハイテク制服では「解像度不足」と切り捨てられた素朴な佇まいが、虚飾を削ぎ落としたクラシカルな修道服と戦慄するほどの親和性を発揮していた。
地味さはそのまま「敬虔な美徳」へと反転し、纏う空気そのものが周囲の認知バイアスを暴力的なまでに書き換えていく。
「……な、なんなんですの。異常に似合っていて突っ込みどころがないのが、逆に腹立たしいですわ……!」
綾乃が悔しげに舌打ちを漏らす。だが、すぐに名門のプライドを取り戻し、冷徹な視線で俺を射抜いた。
「ですが、そのような茶番で私たちの心が動くとお思いですの? 私たちルミナスは、誰にも不可侵な専用セクタを下賜してくださる聖母ヘレナ様にお仕えする身。男サピエンスのあなたに靡く道理など、万に一つもありませんわ」
栞もまた綾乃の手を固く握り、拒絶の視線を向けてくる。
俺は軽く鼻を鳴らし、コンソールから2つの機密ホログラムを展開した。
「靡く必要なんてねえよ。だがな、お前らが縋りついている聖母の手口なんざ、とっくに割れてる。――ヘレナに忠誠を誓わされた本当の理由を言ってみろ」
「なっ……! 私たちの居場所が……二人の聖域が守られるならと……!」
「手始めにハインズをプトラセクタからパージしろと命じられた。失敗すれば、相応のペナルティがある――そうだろ?」
俺は冷徹に、彼女たちが最も恐れる急所を看破した。
「『メイドカフェで、男サピエンスの強制接客』。……違うか?」
ルミナスの二人の顔から、一瞬で血の気が引いた。
任務に失敗すれば、尊厳を粉砕され、男たちの嘲笑に晒される見世物にされる。
絶対者ヘレナの慈愛の裏に隠されたどす黒い脅迫を突きつけられ、綾乃と栞は唇を震わせ、耐えきれずにその場へ崩れ落ちた。
「な、なんで……どうしてそこまで……」
「俺たちはあの女に散々煮え湯を飲まされてきたんだ。コンマ1ミリ秒で見抜ける」
俺は膝をついた二人を見下ろし、淡々と事実を突きつける。
「ヘレナの言う専用セクタは、外部通信を遮断して再生産性のないサピエンスを隔離・管理する『家畜収容所』だ。だが――お前ら二人が『修道女』になるなら話は変わる」
「修道女……? 私たちを別の宗教で縛るおつもりですの?」
「聖書文学『ルツ記』の時代から、中世の修道院に至るまで――修道女という身分はな、家父長制の婚姻や男サピエンスの支配から逃れ、女性同士が精神的・生活的に生涯結ばれることを社会的に認めた『最古にして最強の治外法権』だ。お前たちの百合を、外部のあらゆる権力者から不可侵にする法的シェルターなんだよ」
ルミナスの二人が弾かれたように顔を上げた。
「俺のマスターライセンスで、中央行政の公的シスター条項を書き換える。男の介入を法的に永久排除し、誰にも引き裂かれない地位をお前ら二人に付与する。ヘレナの気まぐれな口約束じゃない。社会システムとして、お前たちの愛を公認・保全する」
「私たちの愛を……制度として……?」
綾乃の喉が鳴り、栞の瞳が激しく揺れる。
それはただの布地ではない。二人を守るための、絶対不可侵の装甲だった。
「さらに第2の柱だ。デッドポイント前夜、この都市を襲うのは深刻な食糧危機だ。ヘレナは配給を独占して収容区を支配する腹積もりだろうが――お前たちが閉鎖温室で積み上げてきた環境制御、土壌循環、植物バイオのノウハウがあれば、既存の農業を遥かに超える高効率食料プラントが建つ」
俺は床にへたり込む二人の目線まで屈み、言葉を叩き込む。
「ルミナス製有機野菜の供給から始まり、最終フェイズでは食料流通そのものをルミナスが掌握する。『ソルティ・ルミナス』のブランドロゴには、お前たちのフェイスと祈りを捧げるシルエットを刻む。搾取される見世物から、世界の胃袋を救済するブランドの象徴へ成り上がるんだ」
圧倒的な救済プロトコル。
怯えるだけの存在だった自分たちが、愛を守られたまま救世主として世界に立つ未来。
あまりのスケールに息を呑み、恐怖と希望の狭間で激しく揺れ動くルミナスたちへ、俺は告げた。
「リアルから目を逸らすな。どっちを選ぶかは、お前たち自身が決めることだ」
命じるのではない。「自分たちの意志で選べ」という主権の返還。
その一言が、二人の精神を縛り続けていたヘレナの呪縛を完全に砕き散らした。
綾乃と栞は涙を拭い、互いの手を骨が軋むほど強く握りしめた。
「……私たちの未来は、私たち自身の意志で掴み取ります」
修道服に身を包んだ歩実が、穏やかに、だが不敵に微笑んで立ち上がる。
ヘレナの包囲網を食の根底から叩き潰す『ソルティ・ルミナス』奪還戦線が、ここに幕を開けた。
(第39話へ続く)




