第32話 『純血のネアンデルタール』
「……なるほどね。豪華なおもてなし、ってワケだ」
大広間の和室から案内された『離れ』――あてがわれたVIP用の客室を見回しながら、俺は低く呟いた。
重厚な革張りのソファにマホガニーのローテーブル、湯気を立てる淹れたての紅茶まで用意されている。一見すれば最高級の歓待だが、贅沢な調度品とは裏腹に、部屋全体に冷たい圧迫感が張り詰めていた。
由奈が携帯コンソール端末の画面から視線を外さずに言った。
「外側からの電磁遮蔽ロック、完璧に施されているわ。迎賓館のVIPルームを装った、完全な隔離監禁ね」
「ヘレナの奴、時間稼ぎのつもりか」
俺は冷静に状況を分析し、部屋の壁面に埋め込まれた給排気ダクトと配管の構造に視線を走らせた。マスターライセンスの知識が、即座にこの建物の構造的脆点を弾き出す。
「由奈、バイパスの信号をコンソールに送れるか? この配管の圧力バルブの先にあるセンサーに偽装信号を打てば、物理的な安全装置が働いて、ドアの電子ロックが強制解除されるはずだ」
「了解。3秒でコードを合わせる……今よ!」
由奈の素早い指先が端末を叩くと同時に、俺が壁面の緊急遮断弁へ物理的アプローチを試みた。カチリ、と重厚な電子音が響き、電磁ロックの圧力が解放される。スマートかつ鮮やかな脱出劇――ここまでは完璧だった。
「よし、開いたぞ――」
だが、ドアを押し開けた、まさにその瞬間だった。
通路の左右から、すでに照準を完全固定させたセキュリティドローンの駆動音と、ヘレナ直属の防衛部隊の重い足音が響き渡った。
「そこまでです、お客様」
「……ッ、最初からこの経路の物理バイパスを誘い受けしていたのか」
無機質な警告音が鳴り響くなか、整然と包囲される3人。こちらの知略による脱出手順すら事前に織り込み、二重のトラップを用意していたヘレナの手腕。鮮やかな連携による試行はあっけなく阻まれ、俺たちは即座に身柄を拘束された。
◆ ◆ ◆
連行される道中、歩実は静かに自身の身体の感覚に意識を向けていた。
ヤクートの集中医療ポッドによって施された処置は完璧だった。人体改造やサイボーグ化といったオカルトじみた変化ではない。疲弊しきっていたサピエンス(現生人類)としての生体が、最先端の集中医療システムによって、本来あるべき健全状態(100%)へと復元されたのだ。
頭の芯までクリアに澄み渡り、あらゆる情報が論理的かつ立体的に思考回路へと流れ込んでくる。
やがて3人が連れて来られたのは、神殿最深部に位置する統括室だった。
広大な部屋の中心には巨大なシステム・コアが鎮座し、その冷たい発光を背景にヘレナが佇んでいた。
「余計な足あがきは無意味だと、少しは理解できたかしら?」
ヘレナが冷ややかに見下ろしてくる。拘束された状態のまま、歩実はふっと息を整え、真っ直ぐな眼差しで一歩前へ出た。
「ヘレナさん……助けていただいたことには、今も本当に感謝しています。だからこそ、無用な争いや混乱は避けるべきだと思うんです」
歩実はいつもの素直さを失わないまま、澄み切った瞳で論理とデータを提示する。
「私たちは、サピエンスの社会構造における合理的なシステム共有と、対話による解決を提案します。100%の上書き権限をヤクートが独占しなくても、都市と熱力学の限界を回避する合意形成は、データ上十分に可能です」
万全のコンディションを取り戻した歩実の、誠実さと高精度な論理が同居した平和的交渉。
だが――それを受け止めたヘレナの口元に浮かんだのは、冷ややかな嘲笑だった。
「合理的なシステム共有? 対話? ……相変わらずね、サピエンスは。自分たちが世界の中心であり、万物の規範だと疑わないその傲慢さ」
ヘレナは優雅に手を掲げ、神殿コアのメインスクリーンを鮮烈な紅へと塗り替えていく。
「勘違いしないで。私はあなたたちサピエンスの作り上げた矮小な秩序になど興味はないの。私は『純血のネアンデルタール』の末裔……旧来の人類システムそのものを塗り替える権利と義務があるのよ」
◆ ◆ ◆
純血のネアンデルタール――その宣言とともに、統括室内の空気が一変した。
ヘレナはサピエンスの合理性を真っ向から否定し、歩実たちの提案を一蹴する。
「対話のフェーズは終わったわ。ここで私の反撃プロトコルによって完全に書き換えてあげる」
ヘレナの操作により、神殿コアが禍々しい光彩を放ち始め、100%の上書き処理に対抗する強力なセキュリティ・リベンジプロトコルが展開され始めた。
俺たちの持つ権限を完全剥奪すべく、ヤクート側の本格的なシステム攻撃の幕が上がる。
俺、歩実、由奈の3人は直面する。
知識とシステム権限、そして純粋な頭脳戦による本当の決戦が、今まさに始まろうとしていた。
(第33話へ続く)




