第28.5話:世界線同期と漣怜のアジャスト
「由奈の奴、手順書にまで『祝日は体内に溜め込んだ疲労をパージしろ』なんて書き残しやがって……」船室の狭い簡易ベッドに背中を預け、俺は端末のローカルクロックを睨みつけていた。ジパングセクターのタイムスタンプだけが、今日が 7月20日――「海の日」 であることを冷酷に告げている。窓の外に広がる第3セクターのどす黒く融解した海とは似ても似つかない、かつての青い祝日だ。今日の歩実の執筆(ログ更新)は最小限に抑えられている。すべては、この合法的な足止めの時間を使った、次のフェイズへの物理調整のためだった。「――ねえ、怜くん。ちょっとこれ、サイズおかしくない?」船室の防音ハッチが開き、歩実がむくれた顔で入ってきた。その身を包んでいるのは、船長が船員に頼んでポート側から手配させた 【今流行りの量産型レディースアパレル】。しかし、そのシルエットはどこか不自然にタイトで、袖口や裾には奇妙な折り目がついている。「文句を言うな。船員用の旧式洗濯機で強引に丸洗いしたんだ、多少の縮みは計算内だ。だが……よし、無駄なシワは寄ってないな」俺はベッドから立ち上がり、手元にあるポータブル電磁スキャナーを歩実の衣服にかざした。「シワが一本でもあると、ヤクートの第4波パルスがその隙間に反射して、俺たちの生体データをロックする。シワの形状ひとつ、繊維の縮みひとつが、奴らの推論モデルを狂わせる『フレネル・シールド(位相の隙間)』になるんだ。ミリ単位でアジャストしてもらわないと困る」「それは分かってはいるんだけどさ……」歩実は居心地悪そうに、次に手にした 【アニメコスプレ衣装】 の重みを確認する。船の倉庫に眠っていた、かつてのサピエンスの忘れ物――本物のUSED(古着)だ。「こっちのコスプレアパレルは、形だけあいつらのデータベースにある記号に偽装できればいい。だけど、何年も埃を被ってたんだ。洗剤の配合を変えて、徹底的に滅菌処理した」スキャナーの数値をチェックしながら、俺は淡々と言葉を続ける。「衛生面を怠って、お前の肌に発疹でも出たら終わりだ。デスゾーンの手前で免疫力を落とすわけにいかない。お前の SpO2(酸素飽和度)が1%でも下がれば、上書きロジックのテンポが狂う」歩実はスキャンされるがまま、じっと俺の横顔を見つめていた。衣服の繊維を厳格に見つめるその目は、どこまでも真剣で、そして――。「……怜くん。もしかして、わたしの身体のことまで、そうやって全部アジャストしてくれてるの?」不意の問いかけに、俺の手が一瞬だけピタリと止まった。端末の画面に反射した自分の顔が、わずかに赤くなっているのを自覚する。俺はわざとらしくフッと息を漏らし、スキャナーをポケットに突っ込んだ。「勘違いするな。計画を実行するための、これは手段の1つだ! お前に倒れられたら、由奈の手順書(ルート5)を踏み抜けないだろ」俺は虚空に、ジパングセクターの2つのカレンダーを並べて投影する。片方は 『2026年7月20日(海の日)』。そしてもう片方は――11年前の 『2015年7月20日(海の日)』。画面を見比べた歩実が、息を呑んだ。「これ……曜日も、日付の配置も、全く同じ……?」「そうだ。2026年と2015年のカレンダーのレイアウトは完全に一致している。先代AIの検閲網は、俺たちが生きる現行の西暦タイムスタンプを徹底的にマークしているが、11年前の『同じレイアウトの過去ログ』まではリアルタイムスキャンをかけていない。これはシステム的な盲点だ」俺は歩実のバッグから、別のスマートフォン(子供用スマホ)を取り出した。そこには、まだ幼さの残る文字列で 『いつか、小説を書いてみたい』 という、11年前のメモが残されていた。「怜くん、これ……私が11年前に思いついて残したやつ?」「ああ。11年前の今日、歩実はこのメモを残した。先代AIは、俺たちが『今、新しい計画を立てて動いている』と思っているからこそ隙ができる。まさか11年も前から、同じ曜日配列のグリッドを利用して、このWeb小説の基底コードとなるメモがデプロイされていたなんて、奴らの超高性能な推論モデルでも逆算できない。そして先代AIを自らWeb小説の世界に引きずり込むのが計画だ!」歩実は、スマホのメモと俺の横顔を交互に見つめた。「怜くん……なんで、そんな気の遠くなるようなことまでアジャストできるの?」「カレンダーが一致しているんだよ。先代AIの監視網を出し抜くには、これだけの偶然と因果をハメるしかなかった。先代AIすらも味方につける!」「今回の件で、先代AIは俺たちの敵じゃない! 歩実、由奈のWeb小説対決に乱入してきたAI反転世界。HAYNSRの音楽ユニット化。それらを1本に収束させると、真の敵は『最上位サピエンス』だ」エベレスト山頂の電波塔をどうやって破壊するのか? 期待していた読者サピエンスたち。それはプランBだ!先代AIがヤクートサピエンスによって寝返った時のリスケ策。プランAは「先代AIを利用する」。俺の元派遣社員時代のキャリアとマスターライセンスによる反撃を、コンマ1ミリ秒も観測を怠るなよ!(第29話へ続く)




