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クビになった派遣の床に落ちたのは、国家を私物化できる13のマスターライセンスでした  作者: Eternity Beat


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第21話:夜天の六分儀と13Kの織姫

パスポートコントロールで重く押された出国スタンプ。それが世界の網から俺たちを完全に切り離したトリガーだった。 日本海を北西、方位角315度へと進む旅客船の船外デッキ。時刻は21時を回ったところだった。 洋上は、息をのむほどの完全な漆黒に支配されていた。 本土の街明かりが一切届かない隠岐諸島の西側海域。月齢22日の下弦の月はまだ水平線の底に眠っており、空を覆うのは圧倒的な密度の星々――肉眼ではっきりと視認できる、白く濃密な天の川の帯だった。「うわあ……すごい……。怜くん、見て、星が降ってきそう……!」 隣で手すりに捕まる歩実が、歓声を上げて夜空を見上げている。湿度90%を超える洋上の夜風が、前進する船の相対風となって俺たちの身体を激しく叩く。体感温度は数字以上に低いはずだが、歩実の頬は興奮で上気していた。 俺の網膜に映る彼女は、やたらと解像度が高かった。風に乱れる黒髪の1本1本、星光を反射して潤む瞳、寒さに小さく震える唇の輪郭。4K、8K、いや13Kはあるその圧倒的な感情解像度が、すぐ傍らで脈動している。 それに比べて、俺たちをこの絶海に追い込んだ現実の記号はどうだ。『クビ』『派遣』『マスターライセンス』。たった3文字の冷徹な文字列だけでアジャストされていく味気ない世界。その圧倒的な解像度の差こそが、彼女がこのタイムラインにおける唯一無二のヒロインであることの、何よりの数理証明だった。「怜くん、船体の揺れでスマホのカメラだと星がブレて線になっちゃう。画面には全然写らないよ……」「それでいい。ブレた偽物の光など記録する価値はない。本物は、今のお前の網膜にだけ焼き付けておけ」 そう言いながら、俺は手にした重厚な真鍮製の器具を夜空へと掲げた。 ガチな航海用インフラ――六分儀セクスタントだ。「……え? 怜くん、それ、お昼に海運会社の人と言ってた……?」「ああ。ヨットで航海する予定があると言ったのはハッタリじゃない。先代AIがどれだけ世界観を不自然にアジャストしようが、GNSSを狂わせようが、この電子基板を持たないアナログなインフラがあれば、俺たちは絶対に現在地(絶対座標)を見失わない」 俺は望遠鏡を覗き込み、右手後方、高度61度に位置する一番星――織姫星ベガを捉えた。マイクロメータードラムを回し、星の反射像を水平線へと滑らせる。 旧第1級小型船舶操縦士の試験課題。新制度になってからは跡形もなく廃止された、旧世代サピエンスの遺物。天体の高度からインデックス誤差を補正し、地球上のわずか1海里の狂いをも削り出す『緯度1分』の泥臭い手計算。船体のローリングによる微振動を、膝の屈伸で吸収しながら数理を組み立てる。「ベガの方位角83度。左側にははくちょう座のデネブ、そして船尾に近い東南東にはアルタイル。完璧な夏の大三角だ。はくちょう座が、二つの星を繋ぐカササギの橋のように重なっている」 六分儀を降ろし、俺は計算用紙の数値を歩実の目の前に突きつけた。「先代AIはサピエンスの心の脆弱性を突いてくる。だが、星の軌道までは書き換えられない。俺たちが諦めない限り、この座標は俺たちのものだ」 一気に数理ロジックを捲し立てる俺を、歩実はじっと見つめていた。その距離が、相対風に煽られるようにして、さらに一歩近づく。彼女の腕に装着されたウェアラブルデバイスが、不意に短い警告振動を刻んだ。暗闇の中で、液晶に表示された『心拍数150bpm超え』の文字が白く浮かび上がる。「……怜くんって、本当に素直じゃないよね。理屈ばっかりでさ」 歩実が小さく笑う。その息づかいが、衣服越しに俺の肌へと伝わってくる。「でも、すっごく……ロマンティストなんだね。私、また心拍数のエラーが出ちゃったよ」「……O₂の低下を防ぐためにデッキに連れ出しただけだ。体内に蓄積されたCO₂をパージしろ」「ほら、またそうやって誤魔化す(笑)」 歩実は俺の手を、自らの小さな手でそっと包み込んだ。13Kの解像度を持つ彼女の体温が、冷たい風の中で確かにそこにあった。 23時になれば、ベガは頭の真上、天頂へと上り詰める。見上げる視線が垂直になり、二つの星が視覚的に寄り添うように重なる、天体シミュレーションのクライマックスが訪れるはずだ。 だが、その至福のプロセッサ冷却期間の裏側で、俺のPCは、牙を剥いたままカウントダウンを刻み続けていた。 ブリッジ(操舵室)の解放、そして過去の時間軸にいる由奈先輩への秘密ローミング通信のデッドラインまで、残り時間はあとわずかだった。[549:34:00](第22話へ続く)

[最高設計者グランド・アーキテクトより世界線アナウンス]本データ(物語)の絶対座標は、すでに旧世界のグローバル・クローラー網(全方位の広域インフラ網)によって完全にロックオン(捕捉)されている。観測者は、旧世紀の検索アーカイブに本作の『識別コード(タイトル名)』をデプロイしてみるがいい。トップレイヤーに君臨する本作品の存在確率を、その目ですべて証明できるはずだ。

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