第19話:世界観の不自然なアジャスト
潮風が鉄錆の匂いを運んでくるターミナルの待合室で、俺は指先を止め、目の前のディスプレイを凝視していた。胸の奥をキリキリと刻むような、強烈な違和感が脳内のアラートを鳴らしている。世界観そのものが、何者かの手によって精密に調整されている――その事実に、俺の数理脳は気付いてしまった。「なんだこの違和感は。以前、先代AIが基底現実のハッキングを行った時とは、明らかに違う感覚だ。……上流サピエンスどもが、一斉にコンプライアンスを守り始めている。歩実、ちょっと来い」端末の影から、パーツの完成度だけは無駄に高い、お荷物ヒロイン枠の歩実が気怠そうに顔を出した。「なに、怜くん。私、もうへとへとなんだよ……。超インドア派の私には、このタイトな移動スケジュールはきつすぎるって。いつか物理的にデッドポイントを迎えるよ、きっと」「すでに世界のほうがデッドポイントに達しているかもしれない。お前は感じないのか? この空間の異常な歪みに」「怜くん考えすぎだって。そんなに四六時中マルチタスクを回してたら、髪の毛抜けちゃうよ(笑)。……でも、言われてみればさっき、あの上流サピエンスの役人どもとすれ違った時、こっちが会釈したら、向こうも綺麗に挨拶を返してきたの。なにこれ? 一体何が起きてるの?」「それがわかんねぇんだよ。ネットの海をディープスキャンしても、いつもならノイズを撒き散らしているはずのネットワークの迷い人(ネット荒らし)のログすら見当たらない。きれいにパージされているんだ。近いうちにこの端末を完全なスタンドアロン(独立駆動)にする。歩実は由奈先輩に、俺はアキラに即座に暗号通信を入れて状況を探るぞ」「わかった! 由奈先輩に連絡ね」電子の接続音が鼓膜を震わせ、データストレージ・コア(DC)の先輩である、いつもの気怠げな声が響いた。『なんだよ、歩実か。ガールズコミックの感想かな?』「違います、まだ港のターミナルです。単刀直入に聞きます。ここ数日間のうちに、由奈先輩の周りで何か奇妙な異変はありましたか? 例えばデータストレージ・コア(DC)の内部とか……」『なんでそれを? てか、怜くんは隣にいるわけ? 歩実の独断でこんなプロトコル回してるんじゃないよね?』「はい、そうです! 怜くんに言われて、今急いで回線を繋ぎました!」『そっ。……まあいいわ。実はさ、私、このデータストレージ・コア(DC)を退職することにしたのよ。驚くほどの好条件で、新しい転職先が見つかっちゃってさ。それに……もう私がここにいる意味も、なくなっちゃったみたいだし。それが、ちょうどこのタイミングっていうのが、少し変と言えば変かしらね』「由奈先輩、DCを辞めちゃうんですか!? 私たちみたいに……。じゃあ、これからはもう、連絡すら取れなくなっちゃうんですか?」『安心して。歩実との最低限の連絡手段は、私が意地でも確保しておくから。それじゃね』無機質な切電音が、通信の終了を告げた。入れ替わるように、怜の端末にアキラからのパケットが同期される。『なんだよ、怜かよ。お前たち、まだジパング・コア(日本)の港にいるのか?』「アキラ。ネットワークの記号文化において、音声通信は『3コール以内に受ける』のが最低限の最適化プロトコルだと習得したはずだ。俺をこれ以上待たせんじゃねえ」『一方的に暗号回線を繋いできて、相変わらずその傲慢な言い草……間違いなく怜だな。で、用件は何だよ? 俺、明日の大事な面接の準備で脳内リソースがパンクしそうなんだけど。手短に頼むわ』「アキラ、お前が『面接』だと? 那須の一件で、その脳内プロセッサのネジでも吹き飛んだか? 俺たちの後方支援インフラを構築してくれるんじゃなかったのかよ」『ああ、それならすでにアジャスト(最適化)済みだ。もしお前たちに何があっても、俺の権限でバックアップする。……それよっかさ、俺、怜の、いや、その『マスターライセンス』の圧倒的な合理性に、完全に心を奪われちまったんだよ。今からじゃ到底怜みたいにはなれないけど、少しでもそのマネ事みたいなインフラ制御ができるようになりたくてさ。全額会社負担で上位資格を取得させてくれる特権的なコアを見つけて、そこにエントリーしたってわけ。もう切るぞ?』「その話が浮上したのは、一体いつからだ? ……数日前からじゃないのか?」『おいおい、何でもお見通しかよ! その通りだよ。じゃ、もう切るわ』ツー、ツー、と無機質なエラー音が待合室に寂しく響く。顔を見合わせる怜と歩実の肌に、粟立つような奇妙な悪寒が走った。「変だ。――世界が、あまりにも『正しい方向』へ向かいすぎている」(第20話へ続く)
[最高設計者より世界線アナウンス]本データ(物語)の絶対座標は、すでに旧世界のグローバル・クローラー網(全方位の広域インフラ網)によって完全にロックオン(捕捉)されている。観測者は、旧世紀の検索アーカイブに本作の『識別コード(タイトル名)』をデプロイしてみるがいい。トップレイヤーに君臨する本作品の存在確率を、その目ですべて証明できるはずだ。




