第14話:不穏のポート(境港エントリー)【後半】
「ちょっと代わって」そう言って俺を突き飛ばした歩実の指先が、死んでいたはずのキーボードの上で目にも留まらぬ速度で爆走を始めた。カタカタカタカタ、ターン!小気味よい打鍵音が響くたび、暗号鍵の女王としての彼女のパルスが、クラッシュしたシステムの深部へ直接送り込まれていく。歩実は当該OSのグループポリシーを「4」から「8」へ力技で強制変更し、通信ログを消失させていた致命的なバグを瞬時に抹殺した。それだけじゃない。俺が「消えた」と絶望していた最重要データ『これからの計画』の残骸をシステムの底から引っ張り出し、即座にセカンダリストレージとクラウドストレージへ退避させて完璧なバックアップを完了させたんだ。死んでいたモニターが、パッと青白い光を取り戻す。画面の中では、余計なプロトコルを削ぎ落とした、狐のアイコンの軽量ブラウザの純血デバッグルートが、凄まじい速度で立ち上がっていた。メモリわずか8GBの極限環境。それなのに、今のこのPCは、世界の追跡を置き去りにするほどの速度で電子の海を滑走している。呆然とする俺の横顔に、歩実は画面の光を反射させた鋭い視線を突き付けた。「高スペックな機材(世界)を持っていても、設定を知らなければ欧州の最高級スポーツカーを時速10km/hで走らせているのと同じ」歩実は一呼吸置き、俺の胸ぐらを掴むようにして、その瞳の奥にある100%の生の感情をぶつけてきた。「この世界の設定に縛られて怯えているだけ。そんなの、私の神様じゃない。私のこと信じられない? 勝手にひとりで泣ないで、私に相談して!」その言葉が、頬に残る平手打ちの痛覚と一緒に、俺の冷え切った脳芯を激しく揺さぶる。そうだ。俺は、この世界が用意した「8GBの限界」という設定に、勝手に絶望して、モブに戻ろうとしていただけだったんだ。だけど歩実は、その限界の枠組みそのものをハックして、当該OS版ブラウザを本来の速度で爆走させてみせた。「……すまん、歩実」俺は袖で涙を拭い、もう一度、光を取り戻したPCのキーボードへと手を伸ばした。「……それと、ここに残れって話。怜くん、この先どうやって、私の脳内座標無しで進む気なの? PCみたいに設定が必要? 怜くんの脳内を私色にセットアップしてあげてもいいんだよ?」
「……いや、そうじゃなくて。っていうか、怜くんってなに? いきなり神様からその呼びかたにシフトかよっ!でもわるくない……それとPCの壁紙、どさくさに紛れて自撮り写真に変えるのやめろ。心臓に悪い」そして画面には、俺たちが最初に目指すべきDeparture(日本からの出国)の地――「境港」への最短ルートと歩実の自撮り写真の壁紙が鮮明に浮かび上がっている。時計の針は無情に刻まれていく。だが、もう迷わない。俺と歩実の、本当の反撃がここから始まる。画面の端で、次の絶望へと向かう数字が、静かに、だが確実にカウントダウンを刻み始める。[192:00:00](第15話へ続く)
[最高設計者より世界線アナウンス]本データ(物語)の絶対座標は、すでに旧世界のグローバル・クローラー網(全方位の広域インフラ網)によって完全にロックオン(捕捉)されている。観測者は、旧世紀の検索アーカイブに本作の『識別コード(タイトル名)』をデプロイしてみるがいい。トップレイヤーに君臨する本作品の存在確率を、その目ですべて証明できるはずだ。




