第10話:『境界の支配者(国境ボス戦)』
夜霧を切り裂き、神速で疾走する大型バイクのシートの上で、俺の脳内プロセッサには、休業手当のあの日に単身で執行した「標高0mの地上フィールドワーク」の生データが鮮烈にフラッシュバックしていた。あの時、俺の目に映っていた浅草の街は、完全にサピエンスのバグに満ちていた。なかみせ(仲見世)。かつては有象無象の観光スポットだったらしいその場所は、今やシステムの強制リセットを恐れ、浅草寺のご本尊に向かって「許してほしい」と無意味に頭を下げ続ける愚民どもの、哀れなエマージェンシーゾーンへと成り下がっていた。記号だけの人間どもを冷徹に見下ろしながら、俺は一軒の古びた喫茶店跡の影に潜り込み、演算を回した。デバイスのバッテリーを温存するため、俺は埃を被った壁面に1基の商用ACコンセントを発見する。何年も放置され、インフラの情勢が悪化しきった現在のグリッド(電力網)において、正確な実効値100V( E = Es / √2 )を維持している可能性は低い。そんな場所にアダプタを挿せばデバイスごと基盤がお釈迦(完全フリーズ)だ。俺はバックを漁り、アナログテスターを『AC 250V』へと回して、リード線を狭いスリットへ滑り込ませた。白い背景に黒い文字。1本の赤い針が、ノイズに抗うようにキチキチと音を立てて跳ね上がり――正確に【AC 100V】のラインでピタリと静止した。『問題ない』歪みのない純粋な正弦波を、俺は確かにあの街で回収していたのだ。「……神様? どうしたの、急に黙って」後ろから歩実が俺の腰をギュッと抱きしめ、スウェット越しに体温を伝えてくる。「いや、なんでもない。アジャストのバグを計算していただけだ。――スロットルを開けるぞ」エリートどものGPS追跡ログをダミー世界線へリダイレクトしながら、俺たちの大型バイクは夜霧を切り裂き、すべての始まりであり終点となる原点――浅草のEKIMISEへと神速で再エントリーしていった。豪雨に煙る浅草の街を切り裂き、俺たちのバイクはEKIMISEのシャッター前へと滑り込んだ。閉鎖されたビル。すでに前回の潜入調査の段階で、俺はここの物理ロックのピン配置(構造)を完全にキャッシュ(記憶)していた。俺はバイクから降りると、ポケットから一本のピッキングツールを引き抜き、鍵穴の奥へ迷いなく滑り込ませた。カチ、カチリと音を立てて内部のシリンダーを脳内で逆演算し、トルクレンチを回す――コンマ4秒後、頑強な鉄扉は一瞬で『デバッグ(開錠)』され、静かに開いた。デバッグ(開錠)された頑強な鉄扉を開け、俺たちはエスカレーターを駆け上がり最上階のルーフフロア(屋上)へとエントリーした。豪雨の重低音だけが響く、完全な静寂の空間。「……本当に、静かですね」隣を歩く歩実が、雨に濡れるスカイツリーを見上げながら、ポツリと呟いた。「春にコンテナハウスの狭い部屋で、神様と2人でノートPCの画面に噛みつきながら、電子回路の熱に耐えてシミュレーションを回していたあの時間が……嘘みたいです」「ああ。部屋での理論値(計算)はすべて終わった。俺がこの屋上で直接アジャストした【97.5° / 30.5°】のクリアゾーン――ここが、俺たちの本番の狙撃地点だ」俺たちがかつて430メガヘルツ帯の電波のシュートを想定し、その数値を完全にロックしたまさにその場所に、そいつは最初から「存在」していた。防護服のノイズキャンセラーに身を包み、ホログラムの残像をまとった男。サピエンスの支配層が国境の検問と情報統制のために配備した、電子戦特化型のトップエージェント――通称『国境のボス』だ。俺は不敵に笑い、屋上の一点方向に乱立する無数の避雷針を見つめた。単身での潜入調査時に完全にロックしておいた、あの【430MHz帯・50W】をシュートするための電子照準線のデータが、俺の脳内プロセッサで1ミリ秒で逆算される。UHF帯特有 of 直進性、都市構造物による回折、 shadow の影響、そして大気密度の歪み。それらすべての減衰率を無線工学の数理トーンでアジャストした瞬間、俺の視界の最上流に、一つの【無線工学的仮説】がパチリと音を立てて組み上がった。――次のオリジナル・レガシーは、北の方角、那須高原の電波天文学的ノイズの空白地帯にある。「やはり来たか、最高設計者アーキテクト。そして、世界線のバグを撒き散らす聖女」ボスの声は、スピーカーから発せられる合成音声のように冷酷だった。「貴様らのデバッグ行為は、現行サピエンスの最上流システムに対する重大なテロだ。これ以上の同期アクセスは許可しない。――精神制圧シークエンス、起動」ボスが手に持ったデバイスをタップした瞬間、世界が反転した。物理的な銃弾ではない。1GHz超の高周波サンプリング波動が、屋上全体の空間の歪みとなって俺たちを襲う。「あぐっ……あ、頭が……ッ!?」 隣にいた歩実が、突然両頭を抱えてその場に膝をついた。すっぴんの顔が苦痛に歪み、その脳内OSに、ボスの端末から容赦のないブルートフォース(総当たり)・ハッキングが直接インジェクション(割り込み)されているのが分かった。「歩実……っ!」 俺は即座に自分のハッキングガジェットを起動し、歩実の精神防壁マージンエリアへと割り込み、ボスの広帯域パケットを遮断にかかる。だが、ボスの処理能力は、これまでのクズ上司どもとは次元が違っていた。「無駄だ。彼女の脳には、消えない刻印を焼き付けさせてもらう。この世界線をリセットから救いたくば、その意味を解いてみせろ」 ボスの精神攻撃が最大出力に達し、歩実の瞳が、見たこともない複雑な数理トーンで黄金色に明滅し始める。彼女の脳OSの最深部に、強制的に「何か」が書き込まれていく。俺は奥歯を噛み締め、プロセッサを限界までオーバークロック(過負荷駆動)させた。「サピエンスの分際で、俺のシステム(歩実)に勝手にアドレッシングしてんじゃねえよ……ッ!!」 俺の放ったカウンター・パケットが、ボスのデバイスの論理回路を逆ハッキングし、一撃でその全システムをオーバーロード(過負荷)させて焼き切った。「な……馬鹿な、この処理速度は……!」 残像を維持できなくなったボスが、ノイズと共にその場から完全に消滅ログアウトする。「はぁ、はぁ……、神様、私……」 ハッキングから解放された歩実が、俺の胸の中に崩れ落ちた。彼女の体は激しく震えており、その目元には、恐怖と過負荷による涙が滲んでいる。「歩実、大丈夫か!? 脳内ログを見せろ!」 俺が彼女のスマートフォンの同期画面を開くと、そこには、ボスの端末から焼き付けられた、明滅する奇妙な数列――世界中に分散する古代遺跡の『絶対座標』が、消えないノイズとして刻印されていた。【那須リモートノード:36°55'47.00"N, 140°00'53.00"E / 127.5k】 「これって……、新しい新天地のデータですか……?」 怯える歩実の手を、俺は折れそうなほど強く、しっかりと握りしめた。表示された絶対座標の数値は、俺がボス戦の直前に【無線工学に基づいて算出した仮説】と、コンマ以下の桁にいたるまで100%完全に一致(同期)していた。「怖がらなくていい。「この数字……ただの羅列じゃない。暗号化されていた防衛線の向こう、解読結果は俺の仮説通り、完全に『那須』だ。」アジャスト完了――Q.E.D.(証明終了)」ボスはこれを『呪い』としてお前に焼き付けたが、逆だ 。これは、世界のリセットを止めるためのパズルの枠だ 。俺は彼女の涙を親指でそっと拭い、不敵に笑ってみせた。「この座標の場所をすべて巡り、眠っているオリジナル・レガシーのコードを俺たちが回収する。すべてが集まって進捗率が100%になった時、この数字が持つ本当の意味と、俺たちの完全な目的地が必ず見える。――行こう、歩実。世界を相手取った、完璧な勝ち逃げの旅だ」 「……はいっ……! 神様のリアル、私が見届けてみせます!」 浅草の夜空を見上げる二人の前で、液晶画面の進捗ログが、静かに明滅していた。(SYSTEM) 全レガシー同期、次フェイズへ移行――残り 27%(第 11 話へ続く)
【システム同期通知】本作は『カクヨム』にて【1話先行公開】のパッチを適用しています。続きを今すぐ読みたい方は、本作のトップページ(あらすじ欄)に設置された【公式】からカクヨム版の最新話へアジャストしてください。




