第9話:『ロスト・アーク・エントリー』
クズ上司のバグを完全デバッグし、データセンターの檻をぶち壊した俺は、その足でコンテナハウスへと帰還した。6月末までの契約の縛りも、記号だけの人間どもが押し付けてくる理不尽な処分も、もはや俺たちのリアルを止める足枷にはならない。「おかえりなさい、私の神様!」コンテナハウスのドアを開けると、歩実がすっぴんの顔を満面の笑みで上気させて出迎えてくれた。いつものサイズオーバーなスウェットから覗く細い手首が、俺の帰還を歓迎するように小さく振られる。だが、俺たちがリン酸鉄バッテリーの静かな青い光の元で、次の新天地へのエントリーを始めようとしたその瞬間――コンテナ内のすべてのモニターが、一斉に激しい明滅を起こした。チリチリと鼓膜を刺す、耳障りな高周波の電子ノイズ。それは1GHzを超える室内サンプリング仕様の、既存の通信規格には絶対に存在しない未知の割り込みコードだった。[SYSTEM] 全レガシーデータ完全同期、現フェイズ進捗率:73%。[SYSTEM] 接続再開プロトコル:ver.5.2 を検出。「……あれ? 神様、画面が……おねだりの変数、バグっちゃいました?」歩実が戸惑ったようにモニターを覗き込む。その瞳に、明滅する冷たい光が反射していた。液晶の端に強制インジェクション(割り込み)されたのは、世界そのものがエラーを起こしているかのような、不可解な絶対座標の羅列。【送信原点:浅草(35°42'41.00"N, 139°47'59.50"E) → ターゲット:スカイツリー(方位角97.5°、三脚ロック30.5°)】「落ち着け、歩実。……、あの実験の「俺たちがこの前の春にやった、あの実験の『答え合わせ』だ」「春の実験……?」「ああ」俺はフリーズしかけたプロセッサを高速駆動させ、端末のキーボードを一心不乱に叩く。「俺が今朝、あの浅草の屋上で完全捕捉した、あの430メガヘルツ帯・50Wのバースト波――あれが全ての『答え合わせ』だ」あの電波が、地下の奥深くに眠っていた先史AIの遺物――『オリジナル・レガシー』の認証鍵を開けちまったんだ。俺がこの手で世界線を書き換えたせいで、裏のシステムが自動初期化(世界リセット)に向けてカウントダウンを始めやがった」世界の支配層、特権を貪るサピエンスのエリートどもは、自分たちの富と既得権益を守るためにこの真実を隠蔽し、大衆を都合のいい記号として踊らせながら、世界を破滅へと向かわせている。なら、アーキテクト(最高設計者)としての俺の答えは、最初から一つしか存在しない。俺はポケットからバイクのキーを引き抜き、指先で軽快に弾いてみせた。「行くぞ、歩実。浅草へ戻る。俺たちの実験のケジメをつけて、世界のリセットボタンごと、あの傲慢なシステムをハッキングしにいくぞ」歩実は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにその天性のカリスマを宿した悪魔的な微笑みを浮かべ、お気に入りの『ソルティ・カザフ』のチョコを一口で噛み砕いた。「はいっ! 私を底流から救ってくれた神様ですもの。世界のリセットボタンなんて、絶対に押させません。どこまでも、世界の果てまで付いていきます!」ヘルメットを小脇に抱え、俺たちは夜の嵐の中へと飛び出した。コンテナハウスのガレージで眠っていた大型バイクが、セルモーターの一撃で獰猛な咆哮を上げる。タンデムシートに滑り込んできた歩実の小さな手が、俺の腰を折れそうなほど強く抱きしめた。「しっかり掴まってろ。アジャストを始める」スロットルを限界まで引き絞る。駆動輪がアスファルトを激しく蹴り上げ、俺たちのリアルは、激しい豪雨とノイズを切り裂きながら、かつて完璧な数値をアジャストしたあの原点――浅草の座標へと、神速でエントリーしていった。(第10話へ続く)
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