第43話 悪役聖女と聖域の天秤
「その罪、俺が、ここで裁く!」
アルフォンス殿下の言葉は、ヒロインの狂気に火を注ぐ、最後の一押しとなった。
「裁かれるのは、あなたたちの方よ!」
彼女が絶叫と共に掲げた「黒い宝玉」から、禍々しい闇のエネルギーが、濁流となって溢れ出した。それは、これまで「アルカナの天秤」が人々から集めてきた、苦しみと、絶望と、憎悪が凝縮された、純粋な破壊の力。
大聖堂のステンドグラスが、甲高い音を立てて砕け散る。柱に亀裂が走り、貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う、阿鼻叫喚の地獄絵図。
「みんな、みんな、消えてしまえ!」
正気を失ったヒロインは、もはや、その破壊の力を制御できていなかった。
「させるか!」
殿下が、王家に伝わる聖剣を抜き、闇の濁流に敢然と立ち向かう。その剣から放たれる聖なる光が、闇と激しく衝突し、大聖堂を震わせた。
だが、一人では、あまりに分が悪い。
「殿下、ご無理を!」
「聖女様にばっか、いい格好はさせられねえからな!」
クロードが、アンスバッハ家に伝わる、古代の防御魔法陣を展開し、貴族たちを瓦礫から守る。ライナーが、太陽の騎士団より受け継いだ闘気の刃で、闇のエネルギーの一部を切り裂き、殿下への負担を軽減する。
私が救った仲間たちが、今度は、私を、そして、この国を守るために、必死に戦っている。
それでも、闇の力は、あまりに強大すぎた。このままでは、いずれ押し切られ、全員が飲み込まれてしまう。
私は、覚悟を決めた。私の中に眠る、本当の力。禁書庫で見つけた、あの記述。
『影の器』
これまで、無意識のうちに、その力で呪いを浄化してきた。だが、今、この瞬間、私は、初めて、自らの意志で、その力を解放する。
(わたくしは、悪役聖女。光だけでなく、この影もまた、わたくしの力……!)
私は、暴走する闇の中心へと、静かに、一歩、足を踏み出した。
「リディア、危ない!」
殿下の悲痛な声が聞こえる。だが、私は止まらない。
私の身体から、放たれたのは、これまでの聖なる光とは、全く違うものだった。
夜の闇よりも深く、全てを飲み込むかのように、静かで、そして、どこか優しい、「影」のオーラ。
その影が、暴走する闇のエネルギーに触れた瞬間、信じられないことが起こった。
破壊の濁流が、まるで、乾いた砂が水を吸い込むように、私の影の中へと、吸い込まれていく。破壊ではない。相殺でもない。ただ、無に還していくかのような、絶対的な浄化。
ヒロインは、自らの最後の切り札が、いとも容易く消滅していくその光景を、ただ、呆然と見つめていた。
「そんな……私の力が……闇が、喰われる……? ありえない……」
やがて、大聖堂を覆っていた全ての闇が、私の影の中へと完全に吸収され、後には、静寂だけが残った。
力尽き、その場に崩れ落ちたヒロインと、腰を抜かした侍医頭は、すぐさま、ガウェイン団長率いる太陽の騎士団によって、その身柄を拘束された。
国王陛下が、玉座から、厳かに宣言する。
「真の聖女は、リディアであった! 彼女こそ、我が国を救った、英雄である!」
大聖堂は、今度こそ、本物の、そして、心からの歓声に包まれた。
戦いは、終わった。私の元へ、アルフォンス殿下が、クロードが、ライナーが、駆け寄ってくる。
「リディア、無事か!」
「リディア様、あなた様は、本当に……」
「……とんでもねえ女だぜ、あんたは」
彼らは、私が使った未知の力に驚きながらも、その表情は、安堵と、労りに満ちていた。
私は、この頼れる仲間たちに囲まれ、自分がもう、決して孤独ではないことを、心の底から実感していた。
その時、アルフォンス殿下が、改めて、私の前に、まっすぐに立った。そして、彼は、この国の全ての貴族たちの前で、私の手を取り、深く、その瞳を見つめた。
「リディア・フォン・クレスメント」
その声は、真摯で、そして、少しだけ、緊張していた。
「俺と、結婚してくれ」
それは、国王の命令でも、政略でもない。一人の男としての、偽りのない、本物のプロポーズだった。
『聖域の天秤』。
光の聖女と、影の聖女。二つの力が揃って初めて、世界の均衡は保たれる。
私は、その片翼として、これからも、この国を、そして、愛する人たちを守っていくのだろう。
悪役聖女、上等じゃない。私は、目の前で答えを待つ、不器用な王子様に向かって、これ以上ないほど、意地悪で、そして、最高に幸せな笑みを、浮かべてみせた。




